思索ノートについて

もう何年前になるだろうか? アウトラインプロフェッサーとかアイデアソフトとか呼ばれているアプリケーションを使うようになったのは。

元々は企業などの製品企画会議や編集会議などでの利用を想定しているようだが、わたしは、これを思索のツールとして重用してきた。

わたしの「反戦平和」論なども、このソフトの力を借りて思索が展開されたものだ。
思考を展開していく上で、特にわたしのテーゼである「異論・反論との対話」を身を以て日々具体的に実践していけるのが有り難い。

思索段階のノートなので、整理されていない部分や重複する部分もあり、他人には些か厄介なところもあるかもしれない。
一つの単語が肯定的に使われているのか、否定的に使われているのかといった点も疑問に感じられるかも知れない。

もともと発表を前提に思索を展開していくわけではないので、そういう欠点も出てきてしまいがちだが、時間と心に余裕のある時はできるだけ客観的に意味を理解しやすいような表現に改めたいとは思うものの、たぶんそのままの場合も少なくないと思われる事を、ここで先に謝しておきたい。


   ―――新晩鐘抄録 9/08


























































(妹からの言葉)
 このノートでは、兄の思考をつねに占めている全体像と多角的構造がよくわかり、
また一人の人間の中で行われているとは思えぬ幅広い、かつ層の深い対話;世の中の諸々の人格や各立場(時に、イデオロギー)を、よく“反映”せしめた さまざまな要素との自己内対話というものがよくわかり、          
同時にこの各思索ノートに該当する諸論文が思考の中のどういう位置を占めるどういう役割のものかが解ってくる
――言い替えれば、諸論文が、全体の中のどういう一部分(一役割)を負うに過ぎぬものか、
と同時にまた、一部分ではあっても、いかに論議されるべき、きわめて重要な多くの要素が、それら個々の問題に集約されているか、ということが、分かりやすくなってくる――と思います。

――Reiによる「思索ノート」紹介文