作者に許可無く無断転写禁止 旅人木(C)
旅人木と霧ケ峰高原池のくるみの小史@
このページは、旅人木に残るアルバム昭和初期から
昭和40年代のものと思われる写真を元に編集しました。
↑ 昭和10年代の霧ケ峰高原の冬、草原には樹木が無く雪原がつづく
↑ 昭和10年代の霧ケ峰高原池のくるみスキー場。正面の山は車山
霧ケ峰高原は大昔から(鎌倉?江戸時代?)草刈場だったそうです。その草////
は農耕馬や牛の餌だったそうです。その為、1500〜1600メートルの森林限界より
低い所に草原が維持されて来た訳です。//////////////////////////////
諏訪周辺のお百姓さん達が、9月1日になると霧ガ峰に登り鎌で草を刈りその後
一週間ほど乾燥させてから、牛車に草を付けて下って行ったそうです。///////
草刈は牛や馬が機械に変わるまで続いたそうです。/////////////////////
霧ヶ峰の草原は農業の副産物として人工的に作られたものでした。/////////
牛が機械に変わり、植林が進み草刈をしない現代では森林化が進んでいます。
昭和初期スキーがブームになり、リフトもゲレンデも無い時代この草原はスキーヤー・・・
にとって格好の場所となりました。その人達を相手に、おしるこ屋が出来たそうです。
やがて、その店が山小屋となり人を泊める宿泊設備になったのです。・・・・・・・・・・・・
冬、農繁期が過ぎたお百姓さん達にとって良い仕事だったそうです。その中に、・・・・・・
旅人木のおかみさんのお祖父さんも居た訳です。山小屋の名は「みゆき」でした。・・・
昭和7年の話です。
国定公園に指定される32年前、池のくるみ踊り場湿原が国の天然記念物に指定・・
される7年前の事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(昭和39年国定公園に指定、同14年国の天然記念物に指定される)
↑ 昭和初期 山小屋群落と池のくるみスキー場
(左下の人に注意?当時のスキーは、かかとが浮くのが普通でした)
↑ 昭和10年代 山小屋群落と池のくるみスキー場
屋根の上にジャンプ台のスタート地点が見える(S’10年ジャンプ台できる)
↑ 昭和10年代 山小屋群落と池のくるみスキー場

↑ 昭和10年代山小屋 祖父と祖母と叔母・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(気象台の人達と。当時の営業は冬だけ、気象観測のため夏特別に開けらしい。)
↑ 昭和10年代 山小屋とお客さんと一緒に。
↑ 当時は上諏訪から歩いてここまで来ました。昭和12年バスが
上諏訪〜清水橋、開通。そこから歩いて1時間かかったそうです。

写真でサクが有る所が清水橋と呼ばれる所で、バスがここ
まで来ていた。池のくるみの直下・遠くに木曽御嶽山を望む

↑ 昭和10年代のスキーファッション
(東京からのお客さん。当時、東京からスキーに来るなんて、お金と時間がある人達だろう。)

↑着物姿にストックを持ち草履を履いている。後ろには八ヶ岳と踊り場湿原、山小屋の女将さん達、
この姿で何処に行くのだろう、右端がここの先々代。

↑ 昭和10年代 山小屋群とスキーヤー
(この方、学生さんで常連のお客さん。)

↑ 昭和10年代のスキーファッション 車山山頂付近

↑ 昭和10年代のスキーファッション

↑ 昭和10年代 スキーの大会

↑ 木製のスキージャンプ台 昭和15年冬期オリンピックに立候補した。
そのひとつがここ、霧ケ峰高原池のくるみスキー場だったそうです。

↑昭和10年代のスキー場の仮装大会、こんな事もしていた。この格好で諏訪の町まで滑って行ったそうです

↑ 昭和10年代のスキー場の仮装大会 戦時色が強くなった時代と思われる

↑銃剣を持っての雪中演習と思われる・時代を想せる一枚・
↑ 母親に抱っこされているのが、旅人木のおかみさん昭和20年代。
戦後、今の位置に山小屋がすべて移動した。又、昭和26年に現在の霧ケ峰
スキー場にバスが乗り入れ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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(これより(藤森正・氏の撮影) 昭和25年前後の写真です。

水道も電気も無い時代、水汲みの風景。30分以上かけて水場まで往復、瓶に溜めて使ったそうです。
踊場湿原へ、スキーヤーも気持ちよさそう。正面に富士山

池のくるみスキー場で滑る、55年前のスキーヤーです

正面は南アルプス・甲斐駒ケ岳・北岳・仙丈ケ岳

高原小屋の窓から見た池のくるみスキー場

左に車山、右に蓼科山・カボッチョ

凄い所を滑っていたナ。

親子でスキー

池のくるみのスキー場にて

池のくるみスキー場にのリフトがあった時代があります。昭和31年だそうです。お客さんが
少なくて、昭和33年頃・今の霧ケ峰スキー場に持っていかれてしまったそうです。トホホ
リルフトから降りるお客様。小屋があるところは、現在公衆トイレが在る場所の近く

リフトから降りて、滑って行く、昔は、諏訪の町まで滑って行けたそうです。

こんなかっこうして、歩いて霧ケ峰の池のくるみまで来ていたのでしょう。
フィルムの露出表のカンバン、面白いですね。

霧ヶ峰池のくるみ,が映っている風景➀

霧ヶ峰池のくるみ,が映っている風景A
どうでしたか藤森正さんの作品、ご自分で写真の現像や引き伸ばしをしていた方ですので
昔の写真を大切に保管しておられたと思います。今回お借りする事が出来ましたので、
ここの歴史に厚みが出来ました。
その昔より、ここで草刈をし先代が山小屋高原を建てる以前より霧ヶ峰に通い詰めた方です。
いろいろな話も聴かせて頂きました。草刈や山小屋やスキー場などの話、ありがとう御座いました。
そろそろ90歳になられます。
冬の写真が多いのは、夏は小屋は営業をしていなかったそうです。夏にお客さんなど居なかった
と思われます。昭和41・2年頃、山を下りられました。
(ここまで(藤森正・氏の作品でした))
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高原が藤森正さんの小屋、隣が高原ロッジ旅人木の位置
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昭和25年頃の子供の写真。服装、ストック、スキー、ソリ、どれを見ても面白い
昭和25年頃の池のくるみ踊場湿原の全景が浮かんで来ます。
↑昭和20年代 草を刈り乾燥させ、この牛車に積み運んだそうです。
↑昭和30〜40年代の山小屋群落・電信柱がある。これは電話線だそうです。電気がないのに電話は来ていた。

↑昭和30年代・・看板も左書きから右書きに変わてる。山小屋とおかみさんの両親
↑ 昭和30年代・池のくるみスキー場とスキーヤー
↑昭和40年代の山小屋群落・その前で

昭和35年頃・池のくるみスキー場・ロープトロイカと言うソリの大きい乗り物
でリフトの代わりにしていた。スキー・靴・ストック・スキーパンツも現代の物に
近づいている。冬の写真が多いのは、冬季しか営業しない為である。昭和30
年代後半から夏季も営業を行うようになった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで、アルバムは終わっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
旅人木が出てくる前に終わってしまった。ここまで好く見てくれました。旅人木
の事は、つい最近の事なので書けません。やはり戦前、戦後の時期が面白い
と思います。・・旅人木は昭和56年に登場します。
高原ロッヂ 旅人木の女将さんのアルバムより
それでは又・・・・・・・・・・・・・
昭和53年の池のくるみスキー場の草刈

草刈の風景です。草原に火を入れて、その後を更に鎌で刈っていくのです。
足元の黒いところは燃やした跡、手に持っているのが鎌です・・・・・・・・・・・。
(いろいろな方から聞いた話を口述筆記し参考にして編集しました、具体的な事実関係の間違いや
感想など有りましたら、お知らせ下さい。)
写真の無断使用禁止
後記 昔、ここら一帯は農家の草刈場でした。も車山高原も白樺湖も、その名前すらなかったのです。そんな時代に、霧ケ峰池のくるみに小屋を立て、商売を創めた人たちが居ました。諏訪市の角間新田のお百姓さん達でした。時代と共に、その人たちは立ち去り世代は変わり、他の場所から移り住んだ人々が大半を占める時代になりました。昔の事を、知る人も語れる人も少なくなりました。現在、80歳や90歳になり、その昔ここで仕事をしていた方々から話を聞き、ここに記しておきます。昔の事を知りたい時に見て頂ければ幸いです。ここの女将さんも、その昔から代々続いてここで商売している唯一の方です。
写真とお話の提供 藤原春吉、藤森正、藤原芳春、藤森健司、滝口実、藤原政子、鈴木里子、滝口薫 子、岩田隆
1998年6月記述
では・・・・・・・・・・・、写真で見る高原ロッヂ旅人木の歴史A、
はじまり、はじまり
おっ 
これより高原ロッヂ旅人木の始まりです。

NO,1・・・時代は昭和25年頃、前の持ち主の銀嶺だった頃
銀嶺と書いてあるのが旅人木。右側はお隣旧ロベンドヒュッテ。
映っては居ませんが、左側にもう一軒あり、その建物と銀嶺で
旅人木となりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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NO,2・・・・・昭和56年春、初めてここ霧が峰池のくるみにやって来ました。
どこに在って、どんな所かも知りませんでした。その時の旅人木です。
旧、銀嶺山荘の看板のままです。

始めて来た時の裏側

始めて来た時の側面
とにかく、建物が傷んでいました。
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NO,3・・・入り口、玄関ホール。傷みが激しく、どの様に直すか友人と
悩んでいます。これからは、友人と私と修繕改造の毎日でした。
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NO,4・・・修繕が終わった入り口、玄関ホール。当時は、単車の
お客さんが多く玄関ホールは単車で一杯でした。
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NO,5・・・・これが厨房、保健所から許可が下りませんでした。ここだけは
プロの大工さんに修理をお願いしました。
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そして、こんな風になりました。
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これが食堂


NO,6・・・・古い食堂も改造して下の写真の様になりました。

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NO,6・・・・そうして、1981/11/24より、山小屋・旅人木はスタートしました。
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NO,7・・・・・初期のパンフレット
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NO,8・・・・・ 営業を始めて5年目の夏。昭和63年の様子
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NO,7・・・・・そして平成3年に今の高原ロッジ旅人木になりました。
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すいません・・・・・・・・・・・,
こんな詰まらん写真と文を見てくださいまして
有り難う御座いました。
どうです、戦前や戦後すぐの時期は面白い。
では,又・・・失礼します

終り
1998/6/11・・・1記述
2003/4/1・・・・2記述