0泊2日鉄道旅行記 さよならのと鉄道 能登線

 鉄道好きなら一度は乗ってみたいローカル線『のと鉄道』。ところが三月いっぱいで穴水−蛸島(たこじま)間(能登線)が廃止になるという。4年前には輪島線が廃止になったのだが、来月からはわずか和倉温泉−穴水間(七尾線)を残すのみとなってしまうのだ。
 そこで“青春18きっぷ”3回分を入手し、能登への旅行計画を立ててみた。2泊3日。自転車は用意せず、ザックにテント等を詰める。しかし天気予報は最悪。吹雪の中を歩いてキャンプするのか。やってらんねーよ。そもそも旅に出るのが怖いんだ。なんだか怖くてしょうがない。そんな気持ちで3月24日の朝を迎えた。
 ・・・寝過ごした〜。仕事疲れが残りとてもだるい。能登行きは諦めて、明日開幕の愛知万博にでも行こうか。うん、それがいい!



2005年3月25日(金) 天候:おおむね雪

 季節外れの雪が降っているけれど、今日こそ愛知、じゃなかった能登行きを決行。やっぱりのと鉄道に乗ってみたいもんね。松本で見る雪はこれが最後ねと、篠ノ井線の始発電車に乗り込む。予定は2日間に短縮し、テントも持たない。旅先にどんな困難が待ち受けているのか。吹雪の中を電車はゆく。
 長野駅での列車待ち合わせでまず参った。ものすごい冷え込みだ! 防寒具はフリース1枚しか持ってきてないよ。信越本線・北陸本線を乗り継ぎ、列車内で仮眠をとったりしながら、石川県の津幡で途中下車。百円ショップで手袋を買う。七尾線普通列車の終着七尾から、いよいよのと鉄道の気動車に乗り込む。

 穴水からは廃止になる区間だ。乗客はやはりマニアが多い。相変わらずの吹雪模様の中、二両編成は進む。切符は終点まで買っておいたが、軍艦島なるものを見たくなって、鵜飼で途中下車。「寒い、寒い」を連発しつつ、海岸へ。雪に煙る軍艦島。ふうん。「カーン」…恋の鐘をひとりで鳴らしてみる。寒い、寒い。駅に戻るが待合室も寒く、つらかった。
 終点の蛸島に着く頃にはもう真っ暗。さぞかし静かな駅なんだろうと想像していたが、何だかにぎやかな民謡が流され、マニア目当てで記念切符の販売テントが立っていた。五千円は高いよ。私はマニアじゃないし。そんなことより早く温泉入りたい。でももし定休日だったりしたらどうしよう。路頭に迷って大ピンチだぞ。


 駅から2kmほど歩いたところにある『すずの湯』は果たして営業していた。一安心。入館料は1,100円と高いが、ここでなるべく時間を潰せればよい。腹減ったしまず定食を頂く。これは値段の割に上々だった。温泉は、さすが高いだけあってタオル類をはじめいろいろ揃っている。私のように遠方から少ない荷物で来る向きにはよいが、メイン顧客の地元民にはオーバーじゃなかろうか。
 サウナ10分を2セットやる。体調がいいのか、思いのほか気持ちいい。体中がゼリーのようだ。露天風呂も他に客がおらず良い心地。空を見上げるといつの間にか月や星が見える。こうしてたっぷり楽しんでるうちに、仮眠予定の時間がなくなってしまった。

 休憩室のテレビではサッカーW杯予選日本×イラン戦が始まったところだが、23時で温泉の営業時間が終了。外に出なくてはならない。ここまでは天国だった。ここからは地獄の行軍が待ち受けている。
 今朝まで旅に出るべきかどうかさんざん迷ったけれど、ともかく今日いま私はここにいるぞー!



3月26日(土) 天候:晴れ、ときどき吹雪

 着替えのつもりで持ってきたシャツ類を全部重ね着にした。鉄路で来た道を戻るように、西へ早足で歩き始める。そう、テントがないなら夜通し歩けばよいのだ。それが単に行って帰るだけの旅ではない、私ならではの旅にするための結論だった。駅寝も考えたが、ひどい冷え込みゆえ、じっとしてたら凍え死んでしまう。歩いていた方が被害は少ない。目標は、宇出津(うしつ)まで歩いてそこの始発に間に合わすこと。けっこうギリギリだと思う。

 珠洲市内に24時間営業のサークルK発見。こんな地の果てにも一応あるんだな。しかしそれ以降、開いてる店などあるはずもなく、ひたすら海沿いの民家が続く。サッカー中継が終わったであろう時間も過ぎると、いよいよ家の灯りも消え、まるでゴーストタウンだ。誰かインターネットで夜更かししてる奴はおらんのか。たまーにクルマが通る以外に人通りもないし。
 軍艦島のあたりまで戻るとさすがに足が疲れてペースが鈍る。でも休む処なんてないし、ひたすら進むしかない。始めは小雪を伴って吹いていた強風も、だいぶ凪いだ。

 草木も眠る丑三つ時、民家が途切れると真っ暗で怖い。崖沿いの道だと、崖も海も不気味だし。お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さ。しかしどんどんナーバスになってゆく。恋路海岸に入ると、岩から人の顔がこっちを睨んでるように見えたり、いきなり海がドーンと鳴ったり、またいきなり田んぼから鳥が飛び立ったりする。観光用に整備してある浜も、ライトアップが余計不気味だ。ほんとにろくでもない所だ。くわばら、くわばら。
 風は凪いだけど、寒気そのものが体を襲ってくるようになった。靴ズレもしてくる。眠い? 眠いよ。うつろになりながら歩く。人家のない怖い道を抜け、松波に着いた。このペースなら十分宇出津の始発に間に合う。一休みしよっか…。でも暗いからやめた。すこしじっとするだけで体が冷えるし。しゅっぱーつ。


 いちばん不安だったのはここから先の内陸区間。果たしてここまでのように民家や街灯は続いてくれるのか? それとも何もない山道になるのか。そんな道あるいてて、怖さのあまり心臓爆発しないのだろうか?
 気温は0度を指していた。これからさらに下がるだろう。歩き続けているのに体感気温もどんどん下がり、体力を奪い始めている。

 不安は的中。民家・街灯とも激減。クルマ通りもほとんどない。しかし進めばなんとかなる! どんどんナーバスになりながら、山の中に入って行く。やっと民家が、と思ったら犬に吠えられたりする。民家のない区間では、もはや街灯に辿り着くだけで一息。
 ある谷にはいると「ヒューイ…、ヒューイ…、ヒューイ…」という弱々しい笛のような音がこだまし、もう本気で嫌だった。歩けども歩けども追っかけられてるよう。何の音か判れば良いのだけど、得体が知れないってことはものすごく怖いことなのです。やっとその谷を抜けて、もうあの音は勘弁してくれ、って念じてる時にまた前方近くから鳴り出したときは心臓がフットーしそうになった。戻るに戻れねぇよ!

 とにかく、すり減る精神力と闘いながら、また寒さや眠気や体全体の疲れや足の痛みをこらえながら、早足で進むしかない。壮大なる地獄の肝試しになってしまった。しかも、ちゃんと地図を記憶しておかなかったのがいけないのだが、歩けども歩けども登り坂で、目的地が近付いてる感じがしない。
 やがて、最大の難関“峠のトンネル”!! もうこれは、決して後ろを振り返ったりせずに、一気に越えるしかないだろう。…でもトンネル自体は明るく、そんなに怖い思いはしなかった。

 ここからは急な下り坂。またあのヒューイ…、って音が聞こえてくるけどもう慣れたか。いやだけどね。もうこんな肝試し、二度とやるもんか。まれに通るクルマは、ありえない時間帯の歩行者を見てどう思ってるんだろう。お化けだと思ってたりね。
 坂を下り切り、や〜っと宇出津の街に到着! 生きて人里に下りたぁ! 時刻は午前5時前。ここまで30km弱を6時間弱。怖さに押されてなかなかのハイペースで歩いて来れた。始発までまだまだ時間あるぞ。疲れ切って、ベンチに座る。

 そこへ、クルマで来たオッサンが話しかけてきた。やはり廃止間近ののと鉄道が目当てのようだ。いきなり政治的な話になるが、廃線の理由の説は興味深かった。(詳しくはここには書かないが)まるで政治家の喰いモノだ。そんな話を通学の足を奪われる学生達が聞いたら…、と思うとゾッとする。
 やがて空も白みだし、一番列車も来る。足が痛い。乗客は私たったひとり。いくつか駅をすすんで鵜川でやっと学生ひとり。こりゃあ廃線になるわ。朝の天気は良好。だがまた吹雪いてきた。列車は穴水へ。さよなら廃線区間。あとはどーでもええわ。うとうと。

 和倉温泉駅で下車。能登に来たらここも外せない。冷え切った体を暖めて、足の疲れをいやそう。しかし駅から温泉までまた1.5kmも歩くんだ。ボタ雪まで襲ってくるし。
 和倉総湯は早朝にも関わらず混んでいた。いい湯だが足の回復までには至らず。変なオヤジがからんでくるし。土産を買ったり朝食を調達したりして駅に戻ったら、目の前で、乗る予定だった列車が発車してしまった。急いで計画変更を迫られる。しょうがない、ちょっと金沢まで行ってみるか。

 金沢駅前はだいぶ様変わりしていた。パビリオンのような空間内で、クラゲ状の物体が上下してて意味不明。
 あとは電車内でほとんど眠りつつ、大糸線経由で順調に松本に帰った。今回の旅で、私は精神的に強くなることが出来ただろうか。よけい怖がりになった気も…。ともかく足の痛みと睡眠不足を早くなんとかしたいと思うのだった。



 5日後の3月31日、のと鉄道能登線廃止。遠くの出来事だからか、長野県の新聞にはその事実すら記載されていなかった。


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