毛無峠の小串鉱山索道跡

自転車キャンプツーリング

毛無峠と小串鉱山遭難記

2012年5月26〜27日

日記

5/26() その先の群馬へ。
長野〜毛無峠〜嬬恋村〜小諸〜松本予定マップ

週末の土日やすみ、JR松本駅から始発列車に乗って長野駅まで輪行する。自転車を組み立て、東へ向けてサイクリング開始。長野マラソンでお馴染みのエムウェーブって、じっくり見るとM字形をしてるんだ。千曲川を渡る橋の先にそびえる山々は、掛かっていた雲が上がりつつある。いい天気になりそうだ。
須坂駅前を経て、9時開店直後のスーパーへ。ちょっと多過ぎたかと後悔するほど食料を買い込み、間もなく上高井郡高山村に入る。これで長野県の現存市町村はすべて自転車かジョギングで走ったことになる。旅の動機は達成した。

万座道路湯峰公園付近より横手山方面

まぁせっかくだから峠の一つでも越えて行こう。村に入った途端に坂は急になり、県道112号『万座道路』に分岐してからさらに本格的となる。二車線の広さながら12%坂が続き、ふとガードレールを見ると「104号カーブ」「103号カーブ」と続いている標識。え、あと100以上あるの!?
このへんから後半戦、道が狭くなる代わりに坂は緩くなる。湯峰公園というちょっとした展望所からは谷の向こうに山田牧場、横手山や渋峠も見える。あっちに登るのも大変だろう。美ヶ原と同じくらいの山でも、登り口の長野盆地は標高350mと松本に比べてだいぶ低いから、ボリューム感が全然違うのだ。ましてテント一式を積んでいてチャリが重い。それでも登るにつれ爽やかな新緑が迎え、万山望などから景色も良い。

毛無峠の群馬県標識

脚のエンジンをかけ直して、目標の12時ギリギリに標高1930mの鞍部まで登り切った。あとは下り基調で、万座への分岐をパスするとさらに細い道となる。樹木の少ない、日本離れした凄い光景。ダートで登ってくる林道や古い索道の跡が近づく。最後はこの道もダート化して、毛無峠に到着した。「未開の地グンマー」ネタで有名な群馬県の大標識で写真を撮り、さあ飯だ。おにぎりなどをガッツリ食らう。ここはラジコン飛行機のメッカにもなっており、実に面白そう。

破風岳より毛無峠・小串鉱山跡一帯

向こうの小串鉱山に下りたい。標識では「通行止」「この先危険につき関係者以外立入禁止」「遭難多発地帯」とされているが、ネット上には無数に探訪記があるので大した問題ではないだろう。しかし管理関係の車両が一台下りていくのを見てしまった。はち合わせると厄介かもしれないから、とりあえず時間稼ぎに手近な破風岳(はふうだけ)に登山する。15分で標高1999mの山頂に立つと、毛無峠一帯と鉱山跡の奇妙な白い平面を俯瞰する。それにしても、ソフトバンク携帯じゃパケット通信が届かずツイートできないなぁ。

小串硫黄鉱山のサッカーゴールと坑道跡

峠に戻ってきた管理車両をやり過ごし、いざ「その先の群馬へ。」
一度降りたら登る気にならないような、砂利深いダートのつづら折りは未開感たっぷりだ。蟻地獄な予感もするけれど。熊鈴を鳴らして警戒しつつ、やがて小串硫黄鉱山跡に入る。地面がもろくて、ちょっとした傾斜でも押し歩きになる。かつての住民が集うために新築された地蔵堂の中には、最盛期の貴重な写真が展示されている。日本有数の硫黄鉱山として2100人が暮らしスーパーや映画館もあったと云うが、今は人の気配なく、いくつかペシャンコに潰れた建物の跡が残るのみ。

小串小中学校の回転ブランコ跡

地形図にあるはずの車道がなくなり、歩道も薮の中。それを強引に進むと学校跡の敷地に入り、回旋塔という古い遊具が赤く錆びてポツンと立っている。これでキャッキャと遊んだ子供はいまいずこ。

ここからさらに嬬恋村大前に下りる徒歩道路があるはず。それらしき所を降りてくが、あまりに薮が深くロストした。前方を睨んでも、いったいどの角度で進めばいいのか見当が付かない。後にして思えば引き返すラストチャンスだった。ええい、とりあえず枯れた沢筋を下りて行こう。どこかで歩道と交差する筈なんだ。
…見つからなかった。狭い所で引っ掛けたのか、地形図を紛失したのもマズイ。もうさんざん担ぎ下りたので後戻りも出来ないし、ツーリングマップルの粗い縮尺で何とかするしか。

水流のある沢と合流すると、沢下りの様相。足をじゃぶじゃぶドボドボといわせて、必死にチャリを押したり担いだりする。しかし健闘むなしく、急流にすっ転んで荷物が水浸しとなった。靴が流されそうになったのは辛うじて阻止したが、ここで左膝を怪我したらしい。あまり前進せぬまま、時間ばかりが経過する。当然ケータイは圏外。もう少し進めば道が見付かるかも。どこかで…どこかで…。

山中で緊急設営

体中が疲労でガクガク震え、ついに立っているのも困難となった。今日中に大前へ降りるのは到底無理と悟り、崖下の僅かな平地で緊急キャンプとする。今朝買い込んだ羊羹などは道中食い尽くしてしまったし、夕食はウイダーinバープロテイン1本とポカリPET半分だけ。明日に残した食料はカロリーメイト1箱、ポカリもう半分、梅チューブ少々。
標高が高くて寒いし、服が乾かないし、地面がゴツゴツして寝づらいし、不安だし。ちくちょう、明日は何としてでも…。

5/27() さよなランドナー

事前にネットで探した限りでは、毛無峠〜大前間を通行したとする記録は一つも見つからなかった。ならば俺が行って確かめてこよう。地形図上には点線の道があるし、同様のキャンプ装備で島根県の降路坂を越えた自分なら余裕のはずだ。
そう思って「自分だけの冒険」気分で来たのだが、どうしてこうなった。でもきっとすぐに道が分かって、今日は浅間山付近の峠を越えて松本まで自走で帰るんだ。

半径2km以内に他の人間が居ない状況など、海や山を極める趣味でも持たぬ限り、人生滅多にあることじゃない。時間ばかりが長く、ろくに眠れない夜だった。とにかく明るくなってきて、手持ちの食料の半分であるカロメ2本を口にする。普段なら到底足りない朝食量だが、非常時の人間の力に期待しよう。6時前、いざ山を脱出すべく沢筋を下り始める。昨日の無理がたたって腕と左膝に力が入らない。時々自転車を置いてセルフ斥候を繰り返し、遅々と進む。

おや。沢を渡したワイヤーロープと、人間が通った跡のような小径? ピンクのテープが枝に付いてるし、これを登っていけばいいのか。運に任せて辿っていくとブロックでできた廃小屋が残っていて、希望が出てくる。しかしやがて何もなくなる。強引に進みすぎた深い藪の中で呆然と立ち尽くすのみ。僕の前に道はない、僕の後ろにも道はない。
いや今度こそ最後の難所だろうと、担いだり押し上げたり引っ張り上げたり。少しでも引っ掛かるものを無くそうとペダルは外してあるが、肩で息をしながら分速5メートルも進まない。喉はカラカラでポカリ尽き、ボトル水も残り僅か。はやく、おうちにかえりたいよう。

赤沢川で沢下り

高台に出た所で「もしや」と思いケータイの電源を入れたら、微弱ながらパケット電波を掴んだ。スキー場が近くにあるおかげだろう。「そういえばこれGPS機能が付いてたっけ?」と現在地の地図画像をダウンロードしてみる。(圏外でも世界測地系の座標だけは出せるので、ツーリングマップルの目盛りで現在位置を推測することは可能だったが、この時は思い付かなかった。)
…考えていたのとは全然違う場所に自分は居た。まるで進んでないじゃん! 絶望ばかりが現実味を帯びてくる。もう一度、沢筋を下りていくことに最後の望みをかけるしか。

とうとう肩も脚も疲れ果て、担ぐことが不可能に。完全に立往生した11時、残りのカロメ2本を口にして食料も尽きる。つらい決断の時が迫った。このままでは確実に遭難死する。自転車を放棄し、命だけでも助からないといけない。雪こそなけれ、『八甲田山死の彷徨』で物資運搬ソリを放棄した話を思い出す。「おいおい、冗談だろ…」と思いつつフロントバッグに持ち帰る荷物を詰め始める。いったい何を残して何を持ち帰るか。あまり多いとこれまた命取りになるぞ。
テント・寝袋・銀マットはかさばるから仕方ない。それを積載しているシートポストキャリア、そして貴重な三分割式フロントキャリアや専用フレームポンプなども自転車に付けたままにしておく。しかしそれ以外はなるべくがめることにした。輪行袋なんてかさばるけど、ランドナーを買い換えるとしたらキャンプ用品よりまず必要になるものだ。それでも夏に予定している北海道ツーリングはもう無理だろうなぁ。滑落対策にヘルメットは頭に付けたままにしておこう。ダウンジャケットや合羽、あと食料ゴミも持ち帰ることにし、バッグはパンパンだ。大丈夫か?

山中に放棄したトラベゾーン最期の姿

沢の脇の、少し高い所に自転車を置く。それでも深い谷底なので、ヘリコプターでもピックアップは無理だろう。大雨で増水すれば押し流されることもあるだろうか。さよなら、三台目のブリヂストン・トラベゾーン。密かに「ハイランドレディIII世号」と名付けて12年半ものあいだ苦楽を共にしたし、愛車とかいう概念を持たないつもりの私でも、自転車と別れは断腸の思い。つらい。つらいけど、命だけは…。

まだ自力で下山できるかも全く分からないのだ。ヘリを呼びつけるなんて行為は、財力や地位、今後の活動を考えれば絶対にありえないから、極限状況に陥れば死を選択するかも知れない。フロントバッグだけでも肩が痛いし、沢下りは相当な体力を食う。転んでまた荷持を濡らさぬよう、慎重に足を進める。とっくに飲料水は尽き、沢の生臭い水で渇きをしのいでいる状態。本当は喉を鳴らしてゴクゴク飲みたいけれど、腹を壊したら一巻の終わりだからチョビチョビ飲む。ゲームじゃないリアルなサバイバル。冗談じゃない。梅チューブの残りがあるので、塩分だけは補給できている。「そういえば、テールランプの台座くらい外して持ってくれば良かったかなぁ」とどうでも良い事をネチネチ考えて気を紛らわせながら。

地図によれば、またどこかで正規の道と交わるはずだ。そう信じていたのに、沢は滝となって向こうに落ち、左右は門構えのような崖が立ち塞がる。ジ・エンド。おれ、死ぬのかなぁ。こうなったら一か八か、滝壺に飛び込もうと決意して歩み寄る。「待て、自分は泳げないだろ」と気付き、後ずさりする。じゃあ崖をよじ登るのか? 少し戻れば急斜面だが何とかなるかも。これが最後の難関と信じて、千切れそうなほど細い木の根を掴んでつたう。

生きたいんだっ!

力の限りを尽くして再び高台に出た。電波が復活したのでGPSをチェックすると、あれ?既に正規の道と交わって行き過ぎていた。その方へもう少し登ってみると、それっぽい薄い薮がある。
「道だー…!!」かすれた声で叫んだ。しかし廃道であることに変わりなく、気をつけないとまたロストしそうだ。薮を漕ぎ漕ぎ、気を確かに進む。間もなく石垣の遺構はあるが橋は残っておらず、もうひとつ沢渡りしなければならない難関が現れる。ここをクリアすると、所々道は崩落しているもののトラロープなどで辛うじて行き来できるようになっている。まれに治山の人が通るのであろう。もうこれは完全に現役の人道なのだ。あとは生死を分けるような選択を迫られることはなく、ゾンビのようにフラフラと歩けばいい。

ようやく生きる望みがつながった喜びと、失ったものの大きさに涙が溢れてくる。…いや、泣くのはまだ早い。水分がもったいないじゃないか。

嬬恋村干俣から浅間山

15時を過ぎ、とうとうアスファルトの車道と合流する。同時に雨が降り出す。時々通りかかるクルマもあるしヒッチハイクすべきかと葛藤したが、こんなボロボロの身なりでは申し訳ない。今後の出費を考えると謝礼を払う余裕もない。舗装路だと左膝が余計に痛むが、ここまで来たからには自分でケリを付けろ。ちくしょう、自転車があればあっという間に大前まで下りられるのになぁ。梅チューブの残りを全て吸い尽くし、足を引きずりつつ進むと人家が見えてくる。「自販機、自販機…」は最初の小集落には無かったが、干俣の本集落に入って発見。やっとカロリーのあるものを口にできる。食料品店も見つけてアンパンを買いつつ、ここにバス便はあるか聞いてみた。「日曜はないんだよなー」って、やっぱり。

疲れすぎてるせいかちっとも旨くないアンパンを喉に詰め込み、夕立のもとを歩く。雷鳴轟いているが、そんなに降ってこないのは幸い。ケータイで帰りの列車車乗り継ぎをチェックする。世の中便利になったものだ。
歩く。走れない。歩く。国道144号まで下りてようやくJR吾妻線終点の大前駅に着くと、無情にも電車は目の前で発車してしまった。ここの次発を待っては今夜中に松本へ帰れない。もう3km先の万座・鹿沢口駅まで歩けば間に合う便がある。痛みをこらえて18時、やっと行軍を終えた。

コンビニで唐揚げ弁当やチョコレートなどハイカロリーなものを買い込む。レジで何かクジを引かされて、モンスターエナジードリンクが当選したよ。今日の僕はすっごくラッキーなんだ。駅の待合室で身なりを整えつつ貪る。生きてこその食事! メールやツイッターをする余裕も出てきた。いくつか反応があるのが嬉しかった。

1906万座・鹿沢口発。ひとり鉄の箱に揺られる。普段の人間生活というものが、いかに安全安心によって守られているかを実感する。だからこそ自殺を考える人もいるのだろう。自分は自分の愚かさのみで一番大切な物を失い、幸運の積み重ねで命だけは助かることが出来た。どう非難されても仕方がない無謀なマネをしたし、痛恨の結末を迎えた「自分だけの冒険」で価値観も変わるだろう。とりあえずこんなのはもう懲り懲り。命を危ぶむような経験は、もう死ぬまで冒したくない。

自走で帰松する予定は何だったのか。敗残兵の乗った電車は渋川、さらに高崎で乗り換え新幹線で長野へ。一旦冷えた脚はもう歩くのもままならぬ状態で、普段ならまず使わないエスカレーターやエレベーターに頼り切る。ファストフードでまたカロリーを補充し、日をまたいで松本駅に到着。もう使えるお金がなく、深夜タクシーなど利用できる筈もない。とぼとぼ時間をかけて、あれほど帰りたかった自宅に生還を果たした。明日から仕事、日常に戻れ。


まとめ

小串遭難顛末図 通勤手段としても必要だった自転車を失い、翌日からしばらくマイカー通勤を余儀なくした。松本市街地を抜けるのにチャリ通より時間が掛かるし、ガソリンを消費するし、事故が怖いし、良いことは何もない。職場ではたまたま座り仕事が続いていたので、膝が壊れていても作業に支障は無かった。

生還ツイートにいち早く反応をくれたじてんしゃのみせ道[タオ]さんにすぐ新しいランドナーを発注し、僅か一週間でのスピード納車も有り難かった。やはりチャリ通は楽だ。

一方で私の行為に呆れたらしくツイッターのフォローを切った方もいる。何であんなに山を甘く見ちゃったかな。浮かれていて冷静な判断力を欠いていた。やったことは粗大ゴミの不法投棄とも言え、自然に対しても悪いことをしたと猛省する。またなるべく人様に迷惑を掛けたくないが、もし治山関係の人があの自転車を発見した時、どういう対応を取るか。正直不安である。
左膝の怪我は日々良化していったが、なかなか完治には至らず、この日記を書いている2ヶ月後の時点でまだ引きずっている。記憶を風化させないために痛みが残っていて良いかも知れないが、特にマラソン趣味に支障が出るのは困る。秋戦線はどうなる。

「あの食事量であそこまで体が動くものだ」と頭の中で限界の定義が書き換わったことと、深刻な現金不足が重なったことで、ここ数年高止まりしていた体重・体脂肪率が減少し始めたのは災い転じた福と言えよう。
生きてるだけで丸儲け。生きてることが素晴らしすぎる。だからもう人の道を踏み外すのはやめようじゃないか?


後日譚

追記1
4ヶ月後、若干経路を変更してツーリングのリベンジを果たした。が…?
→2012年9月 その先の群馬へ。リベンジ編 毛無峠と湯の丸林道、そして松本へ

追記2
8月に裏山の探検隊さんが私の自転車を発見された。いつか、回収したい…。
→北信州探検日記「廃鉱山探検 浦倉鉱山(浦倉鉄山) 赤沢川探索編」

追記3
このページに掲載しきれなかった写真77枚(重複含む)をフォト蔵に開放した。彷徨いだしてからは撮影どころじゃなく、枚数が極端に少なくなる。
→フォト蔵:毛無峠と小串鉱山遭難記フォトアルバム

追記4
1年4ヶ月後にクルマで自転車の回収に向かったが、時すでに遅しで跡形もなかった。自転車を放棄した場所で撮った映像もアップ。
→ブログ記事「2013年9月14,15日 万座で頓挫」
→YouTube: 赤沢川の門(仮)


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