むらよし旅日記・其の十

そしてサイクリングは北海道へ

1996年7月17日〜8月15日

『前ラン前半』十和田〜下北編

7月17日〜21日

そして私は北海道へ

 いよいよ、北海道の夏が来た! サイクリング部の合宿が道央〜道東で行なわれるのである。それに伴い個人ランを前後に行なうことにし、計画を立てた。“前ラン”は、自分の走った道を去年のサイクリングと接続すべく、北東北からとした。“後ラン”は、8月下旬にギター・マンドリン部の合宿も控えている日程的な制限の中で、最北端の宗谷岬をあきらめ知床半島を重点的に走ることにした。
 初の個人キャンピングということで、一人用テントやガソリン使用の携帯コンロなどのアイテムを揃えたり、何故かウクレレの練習をしたりした。約1ヵ月という未経験な旅程の長さに不安を抱きつつ、少々長かった髪をスポーツ刈りにしたりガタの来ている自転車を整備したりした。

そして旅立ちの日がやってきた・・・。

7月17日(水)私を見送ってくれない霧筑波

出発地・鹿角花輪
 いろいろと荷物の計量化を図っているのに、まだすごく重い。一ヵ月分の家財道具を自転車に積み込む訳だから無理もない。そんなこんなでよもすがら旅支度に追われ、寝る時間の無いままこの日の朝を迎えた。しばらく留守となる借家の自室には、ドライペットをいくつか仕込み、仕上げにキンチョールをばらまいて部屋を出た。まず土浦駅に向かう早朝。筑波山には霧がかかり、私を見送ってはくれなかった。自転車はやっぱり重く、早くも後輪に軽い異状が起こる。
 JR土浦駅で輪行し、常磐線を北にすべらす。いよいよ旅が始まったー! 眠いのにワクワクしてなかなか眠れなかった。ところで列車に長距離乗っていると、町が近づくにつれ車内は賑わい、離れると閑散とするパターンをいくつも体験できる。結局私と似たような“旅人”が残る訳である。
 そして暗くなる頃、秋田県の北の方、鹿角花輪駅に着いた。心配していた雨は止んだ。食事の買い出しは、去年のサイクリングでここを通過したときに使ったスーパー。これで“走った道”が去年と繋がった。ともかくテントを張るための、絵に書いたような「東屋と水道のある公園」を探して北に走る。あったあった、泊まらせて下さ〜い。
 実は今夜が初めての個人キャンピング。メシあまりうまく炊けないし、判らないことが多い。ま、眠れればいいや。

map

7月18日(木)旅の目的とは?

 ストーンサークル遺跡を見るだけ見て北へ、発荷峠。涼しかったので予定よりだいぶ早く登りきったが、霧ってて「発荷峠からの十和田湖」がほとんど見えなくて残念。そのまま湖畔に降りる。湖畔走は楽しいが、一部きつい登りがあって、思わず「クソ!」とか「ちくしょう」とか口にでる。こーゆーの、美しい言葉に正していかなきゃ。
 十和田湖の水が注ぐ奥入瀬渓流「日本一の渓流美」を爽快に下ってゆく。瀑布街道と言われるだけあって、道の両脇から落ちるいくつもの高い滝が印象的。
 昼には今日の目的地である十和田湖温泉郷に着いてしまった。この調子ならもっと先まで行けそうだ。そう決めて、昼寝をしてから次の峠を登り始める。しかしもうかなり疲れているし、ただでさえ重いチャリが夕食を買い出ししたせいでさらに重い。5%斜度の坂が10%に思える。体調はいいが明日に残る体力が不安。つらい。とにかくゆっくり登って登って800mあっぷ、ついに傘松峠へ。霧雨、今日は全く眺望に恵まれてない。
 酸ヶ湯キャンプ場に無事到着し、そこにいたライダーと話したりする。すでに北海道を走ってきたそうだが、天気悪かったらしい。
 私はここで初個人ラン自炊。犬メシのような料理が出来てしまった。無理やり胃に詰め込む。そのあと、お楽しみの酸ヶ湯温泉、温泉通もお気に入りの名湯である。混浴だがギャル(死語)なんていやしない。とにかく白い湯でかなりあったまった。で、ジュース飲む。早速すでにジュース飲みまくってる。
 さて・・・、この旅の目的とは? 何となく旅に出たのかな。それならそれでいい。一人前の旅人に、一人前のキャンプツーリング・サイクリストになりたい? それでもいい。でも、家財道具全部しょって単騎走る自分がムショウにかっこよく思える。これ大事。単なる日常打破とは違うかも。

7月19日(金)八甲田山死の彷徨に想いを

 他のキャンパー達と別れ、出発。そのうち霧が晴れ、待望の八甲田山が良く見えてきた。その八甲田山をぐるり北に回ると、雪中行軍遭難者銅像がある。ここは『八甲田山死の彷徨』の舞台。凄惨な歴史の丘に、銅像は何も語らず立っているのどかな夏の日。かつてこの周辺で二百余名の軍人が凍死したのだ。
 ここを後にし、田代平を横切って名もないダートの峠を越えた。悪路だが、なぜか大型トラックが迷い込んできて、私に道を聞いた。すごい。
 やがて昼飯の時間。国道4号に出て、ひなびた定食屋でラーメンを頂く。ま、マズイ。食後にジュースで口直しして、すぐに野辺地へ出た。陸奥湾を臨む海浜公園を見つけ、ここにテント設営。まだ夕暮れまで時間がある。海パンあるし、泳ぐぞ! でも私が出来るのは平泳ぎと一重ノシ。やっぱ水泳は苦手だな〜。
 夏泊半島に沈む夕日を眺めながら夕食。考え事もある。そして夜の砂浜に波の音。このシチュエーションでせっかく持ってきたウクレレ弾かずにいられるか。北海道待たずして弾いてしまう。歌いながら。

7月20日(土)旅の目的について再び考える

 この日から人生最北端を更新していくことになる。うねっててダルイ海岸沿いの道をとっととむつ市まで走って、あとはぶらぶらポタリング。JR大湊線の駅はヤケにひなびているなー、とか。そのうち、むつ矢立温泉を発見。よっしゃ入ろう。しかしそろそろ日焼けが痛くなってきていて、長くは入浴できない。
 ここには安いコインランドリー、そしてキャンプ場まであるので利用することにした。それにしても、眼鏡がよく似合う美しい受付嬢さんだった。。。
 旅の目的について再び考える。カッコイイとかそんなんじゃなくて、「見聞を広める」ためじゃなかったのか? 実際今日まですでに大きな経験を得ている気がするし。う〜ん、ま、楽しもうや・・・。
 どーゆー設計思想なのか、私ひとり使っているキャンプ場の真横にカラオケボックスがある。私が寝る時間になって、その一室で若者集団のカラオケ大会がおっぱじまった。その下手糞な歌声が私のテントの中にも、もろに響いてきた。

7月21日(日)岬の少女エリカ

 とうとう朝6時。まだ歌っていやがる! 狂ってる…。騒音に怒るより、敬意すら感じる。まあ一応眠れたしそうカッカせず出発。この頃になるとさすがに歌声もかすれ気味。いつまで歌い続ける気なんだろう。
 恐山へのけっこうキツい登り、途中に恐山冷水なる湧き水、おいしい。自動車で来てる連中に比べうまさは格別だろう。外輪山の峠を越え、急坂を下りるとイオウ臭がしていよいよ恐山っぽくなってくる。すごく澄んだ水の“三途の川”を渡り、自転車を置く。シーズン中の日曜日なので駐車場からして大変な賑わいだ。まるで死後の下見に来たかのようなジジババでいっぱいだ。若者は少ない。ましてチャリで来ているのは私だけだった。入山料500円(高いぞ)を払って霊場へ。確かに荒涼とした不気味な風景である。好奇心にまかせて誰も来ないような草原も散歩。このへんの方がいい。さて周遊路に戻る。そこかしこの小さな石山には一円玉がいっぱい。おいしそうなお供え物もいっぱい。お腹が鳴る。お人形がお供えしてあるとさすがに気味悪くなるが、霊感のかけらもない私には他に何も感じなかった。一生懸命供養しているバアさん達の気が知れない。どっからそーゆー信仰心が来るんだろう。イタコの前には人だかり。別に会いたい故人なんていない。熊避け用にお守りの鈴を買って、その場を後にする。
 薬研温泉を素通りし(もったいない!)、ダートの道をゆく。明るい平原、アヤメも咲いている。熊の恐れは鈴で退散、無事佐井村に抜け、そのまま大間町へ。とりあえずフェリー埠頭に寄ってみたら、函館からの便がちょうど着いて、ライダーがわんさか降りてきていた。ママチャリで旅してるすごい人もいた。

picture
本州最北端・大間崎
 もう少し北へ。大間崎、ついに来ました本州最北端。これぞ関東から見た本当の、地の果て! そこに立つと背中に重みを感じる。向こうには曇ってて見えないが北の大地北海道だ。それは明日に回し、本州最北端の温泉、大間温泉に入る。やっぱ日焼け痛い!
 設営は大間崎近くの誰も使ってないキャンプサイト使うことにした。風強いが。やがて小さな子供がやってきて話しかけてきた。最初男の子かと思ったが、聞いてみると女の子、名前を「エリカ」という。その子と話しながら飯の準備をしてたら、事もあろうに米をドバーッと下に落してしまって、恥ずかしかった。
 そしてその子の兄貴「ユウヤ」もやってきた。エリカちゃんは米研ぐの手伝ったりしてくれてるが、ユウヤ君はいたづらばっかり。「岬の子供達」って感じで何かほほえましい。暗くなる前に家に帰っていった。


next つづき…『前ラン後半』道南編
return むらよし旅日記(目次)へ戻る