むらよし旅日記・其の二十

近畿・中国地方マイペースラン

1998年3月4日〜4月5日

『1st Stage:個人ラン(前)』北陸から奈良の都へ

3月4日〜3月9日

まず近畿を目指して

 今年もツーリングの季節、春がやってきた。と言っても日本の北の方はまだ寒い。という訳で、サイクリング部の合宿は当然、南の方で行われる。今回は黒潮の流れも当たる紀伊半島が合宿地となった。
 季節は春でも私の心の中は冬。そんな気持ちの落ち込みを象徴するかのように、晩冬の北陸は金沢から、合宿前の個人ランを始めることにした。いや、つくばからの「自分の走った道」が金沢まで繋がっているので、そこから始めることによって関西地方も一本の道に繋げてしまおう、という狙いもあるのだ。
 紀伊半島での合宿後は適当に西のほうへ向かえばよかろう。そう、帰るということにこだわらなくてもいい。気ままに。

3月4日(水)急行能登は長岡まわり

 いよいよ旅の始まり。ところが旅支度を始めるのが遅かったから、着替えやらテントやらを慌ただしく準備しているうちに、予定していた列車の時刻には間に合いそうにもなくなってしまった。
 そこで協力してくれたのが同じアパートに住むサイクリング部員の面々である。輪行作業(自転車の分解・袋詰め)の手伝いや、自動車で駅までの送迎をしてくれた。一人ではどうにも出来なかっただろう。人のありがたみを噛みしめながらの旅立ちとなった。
 こうして無事JRに乗り込み、上野発の夜行列車「能登号」に間に合った。この列車は名前の通り北陸方面に向かう急行であり、今は亡き在来線特急「あさま号」と(たぶん)同型の車両が使われているから、なかなか乗り心地は良い。

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3月5日(木)金沢のひと

 とはいえ普段の生活は夜行性の自分、夜行急行の中でやっぱり眠れないまま、北陸・加賀百万石の小京都、金沢に到着した。今日は眠い一日になりそうだ。
 駅前は、覚悟していたより寒い訳でもなかった。まだ朝早いが、とりあえず自転車を組み立てる。すると、奇麗な女の人に「大学はドコデスカ?」と聞かれた。こりゃ宗教関係かな、と思いきや、金沢大サイクリング部の人だった。おお同業者か! 当然、話もはずむ。
 そしてこれから出発する私に、応援として、肉まんとスティックコーヒーを買ってきてくれた。「ありがとう!」と手を振りながら、私は自転車で走り始めた。本当は金沢駅をぶらぶら散歩してみたかったのだが、それじゃカッコがつかんのだ。見送られるままに、金沢出航。彼女らもこの春、紀伊半島を合宿するとのことで、ひょっとしたらまたどこかで会えるかもしれない。
 金沢観光は去年やったので行わず、まずは日本海に出た。やっぱり海の水に触っておかないと気が済まない。そこから海岸沿いの道を南に向かって走る。途中、北陸本線の美川駅に寄ってみると、オープンな感じの喫茶コーナーがあったので、10時のオヤツとして『金沢美人』というヤキイモを食べた。一緒に頼んだ100円コーヒーもわりかしうまかった。
 また海岸沿いを走っていると、今度は『安宅(あたか)の関』という関所跡があった。大して興味ないなー、と思いつついちおう寄ってみると、そこはあの歌舞伎十八番・勧進帳の、有名な舞台であることが判明した。弁慶が白紙の巻物を読むシーンだ。意外な名所発見にびっくり。
 福井県に入ると、まずは北潟湖ののどかな水郷景色がお出迎え。しかしやがて雨が降ってきてしまった。おまけに疲れてきたので、少し遠回りになる東尋坊へは行かないことにした。まあ、ジジイになったらどうせバス旅行とかで来るだろう。代わりに今日の私は、芦原(あわら)温泉でゆっくり疲れを癒す。休憩室ではうとうと昼寝までした。
 福井駅前に着く頃には、そろそろ暗くなってしまった。ここまでだ。自炊は面倒なので、八番館というラーメン屋でラーメンとギョーザを食べた。そして近くの足羽山公園に登り、ヒトケがないのを確認してから、遊具の下にテントを立てた。雨をしのぐには十分、十分。

3月6日(金)霞ヶ浦よりでけーっぺなぁ

 夜の冷え込みは、無防備だった足を特に襲った。寒い! 北陸を甘くみた。おかげで寝付きが悪かった。

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河野海岸道路
 でも今日はいい天気。きのう長い距離を走ったせいかヒザが痛むのが気になるが、気分良く鯖江、武生と抜けて、国道8号で再び日本海沿いに出た。ここで有料の河野海岸道路を使い、シーサイドラン。断崖おちる海岸線の風景は、向こうに見える敦賀半島と合わせて美しい。
 敦賀(つるが)を過ぎて、さらに南下。標高400m程の山中峠ではまだ人工雪スキーをやっていた。その峠を越えると滋賀県に入り、やがて琵琶湖が姿を現した。日本一の面積を誇る湖だ。私は茨城住民として、霞ヶ浦みたいなのを予想していたが、実は意外に山深い所にあるものだと感心した。
 湖岸沿いには車通りの少ない舗装路があり、サイクリングにはもってこい。風車も見える。そして宝船温泉の一軒宿で、お風呂させてもらう。他に客がいなかったので、小さな露天風呂を独り占めできた。
 さてテント設営の場所を決めなくてはならない。湖岸のキャンプ場は、シーズンオフのためか水道が出ないくせに、「一張2000円」という看板がド〜ンと構えている。冗談じゃない! だいたい「テント一張ウン千円」なんてのはソロツーリストを完全にバカにしている。仕方なく彷徨っていると、運良く湖岸に空き地を見つけた。隣には公衆便所もある。炊事はここの水でよかろう。
 メニューは肉野菜炒め。普段の生活でも滅多に作らない、高級食だ。

3月7日(土)自分のランチスタイル

 朝方、雨が降ってテントを濡らしてしまった。出発する頃には止んで、しかし今度は風が強くなった。どうやら追い風なので良しとしよう。
 今日もまずは琵琶湖沿いを南下。山国のなかの大湖は何となく外国の景色のようで、神秘的な印象を受けた。湖水も意外に澄んでいる。将来住みたい街十選にここらへんも加えておこう。
 しかし下流にあたる南の方になると、都市化が進んでいるためか湖水は濁る。昼時に大津駅に着いて、パンを買い食い。駅の待合室のベンチで昼食を採るのが自分のスタイルなのだが、この駅にはベンチが見当たらなかったので、仕方無く立ったまま食べた。
 午後は、琵琶湖の水が注ぐ宇治川沿いに下る。宇治川ラインは意外に山深く、天竜川の中流域を走った時と同じ様な印象を受けた。ただし大型車の通行が多い。
 京都府の南端に近い山城町まで足を伸ばした所で、今日のランはおしまい。夕暮れまでまだ時間はあるが、太陽が顔を出しているので、テントなどいろいろ干したいのだ。不動川公園という運動公園を見つけ、そこで勝手にテント設営。いいのかな?と思っていたら、管理人のオッチャンがやってきて「本来だめだけど、もうテント張っちゃったし、目ェつむるか」とキャンプを許可してくれた。やった! やっと安心して眠れる。

3月8日(日)古都でことこと列車に揺られ

 そろそろ疲れを取るべく、ゆっくり奈良観光することにした。大きな建造物が見たくなったので、まずは東大寺。大仏。う〜ん、なぜこれを人々は有難がるのだろう。私に分かるのは己の小ささだけだ。
 次は春日大社。つくば市民たるもの、と思って500円も払って中に入る。大したものはないが、西の方から何やら行列がやってきた。おっぱじまった!! 結婚式だ、これはラッキー。自分は場違いなジャージ姿だが、しばらく眺めることにした。やけに若いお二人だな。本物の雅楽の音色も聴けて、伝統的な神道結婚式を堪能出来た。私も早く結婚したいな(?)。
 奈良駅前では同じサイクリング部のS木先輩に出くわした。一緒にコンビニ定食を食べて、しかしお互い目的方向が違うので別れた。
 午後は明日香村。言わずと知れた日本の古都で、今はのどかな田園風景の中、古寺や奇石が当時を偲ばせるだけである。ここは自分が中学の修学旅行の時、レンタサイクルで観光をした場所。まさかあの時は、将来、自前の自転車でここに来るなんて夢にも思わなかった。

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明日香・石舞台
 石舞台に来ると、今度は同じキャンピング班出身のT中先輩とM田先輩に出くわした。「長い物には巻かれろ」なんて言葉を思い出して、ここから私も行動をご一緒させてもらうことにした。とにかくこの明日香は、亀石や高松塚古墳などと、1kmも走らないうちに何かしらあるのが面白い。
 キトラ古墳には、人だかりが出来ていた。どうやら昨日の朝刊1面に、ここで大発見があったというニュースが載っていたらしい。何だかよく解らないが、もちろん中には入れなかった。
 今夜は三郷町にあるOBのK橋さんの家に泊ることに。大きな回り道になってしまうが、まあいいか。ヒザが痛いんだけど……。夕方、K橋さんと王寺駅で待ち合わせ、電車に乗ってなぜかもう一度東大寺に行くことになった。どうやら『お水取り』なるお祭りがあるとのこと。奈良駅で降りて東大寺二月堂まで登ると、なるほど見物客がいっぱいいる。そして始まったのは、坊さんが時々現われて、棒の先のタイマツボールをくるくるさせながら寺のテラスを歩くというもの。意味不明だが、これが風物詩というやつなのだろう。
 夜は暖かい家の中で味噌粕鍋をおいしく頂き、ビールもあおって、布団で熟睡へ。

3月9日(月)班合宿in南大和に合流

 朝メシが豪華だ。昼食用におにぎりまで作ってくれた。お礼を言って、家を出発。3人で五條駅へ急ぎ、列車に乗ってやってきたキャンピング班合宿の残りのメンバーと無事合流。
 こうして前ランは距離を稼いだ代わりに、ヒザに爆弾を抱える形で終ってしまった。


next つづき…『2nd Stage:キャンピング班合宿』さらに奈良の山奥へ
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