むらよし旅日記・其の二十二:北へ。TSUKUBA to SOYA

『六の巻』鉄路と富良野の思い出

8月19日〜8月25日

8月19日(水)鉄路の友

 日本最北端の駅・稚内を、朝イチの鈍行汽車がゆっくりと出発した。私と同行するのは、昨日、宗谷岬近くのコンビニで出会った旅人・佐々K君である。彼も今回はチャリンコでの旅で、礼文島・桃岩荘にも寄ったばかりだと言う。ひょっとしたらそこでも会っていたのかも知れない。ともかく行動が似ているだけあって、話がよく合う。「ボーッとしている時間こそが最高の贅沢なんだ」だとか、キレ者らしさも伺わせる。
 旭川駅では、実は同じ汽車に乗っていたM井さんと最後のお別れ。アッサリとしたものである。しかし後で写真を送ってくれるとのことであるから、楽しみ。
 佐々K君と私は旭川ラーメン村へ。うわさの“山頭火”というラーメン屋には行列があるが、ヒマなので並ぶ。なかなかうまかったぞ。
 さらに我々は汽車を乗り継ぎ、暗くなってから、道東の北の拠点にあたる網走駅に到着。今夜はここで駅寝だ。そういえば一昨年もここで駅寝したものだ。
 ウクレレ伴奏も交えて、桃岩荘の思い出話をしていたら、ヤンキーが二人やってきた。実は彼等も旅人で、一緒に駅寝をする人が欲しかったのだとか。という訳で、この夜の網走駅には4つの銀マットが並んだ。

8月20日(木)新天地を求めて

 4人で記念撮影を撮ったあと、お別れ。ここから佐々K君はチャリで知床へ向かうが、私はさらに汽車の旅を続けるのだ。
 久々に一人旅をしている気がする。だからこそいろいろ考え事ができる。これまでの人生こうなった訳とか。乗客の少ない釧網本線は、小清水原生花園、原生林そして釧路湿原の中の、か細いレールの上を走っていく。天気は悪いが旅情はタップリだ。
 釧路駅で根室本線の上りに乗り換え。ボックス席に居合わせたオバサンと会話。健康にはりんごがいいらしい。なるほどね。やがて帯広駅に着いた。天気は回復してるし、しばらくこの街をぶらついてみよう。こーゆーのもいいね。
 商店街を抜けると、立派な市役所ビル。ロビーではテレビで高校野球が見られるし、2階では新聞も読み放題。エレベーターで11階まで上がると、展望室まである。眼下には帯広市の発展著しい街並、さらに十勝平野も一望。すばらしい。ただし展望食堂の帯広名物・豚丼はあまりうまくなかった。
 また汽車に乗って、心は上の空だが、体は北海道の中心・富良野駅に到着した。いいかげん鈍行汽車の旅にも疲れた。チャリを組み立てて、今夜は駅前公園でテント泊。

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8月21日(金)北海道のヘソにて、葛藤

 「北海道でバイトがしたい」という気持ちをあきらめ切れず、富良野にやってきた。鳥沼キャンプ場まで来てみると、クサイ便所の壁には確かにバイト募集の貼紙がいくつかある。しかしどれも2週間以上。そんな長い拘束に耐えられるだろうか? 何をひるんでいるんだ…。早く帰りたい。帰りたくない。金が欲しい。楽をしたい。自分に負けたくない。いろいろな思いが葛藤となり、とてもとても結論が出そうにない。
 決まらないまま、駅や市役所で時間をつぶす。折しもチーズが食べたくなってきた。じゃあ、とチーズ工場に足を運び、タダで試食しまくる。口直しに、今度はワイン工場に移動し、タダで試飲みしまくる。さらに酔い覚ましにと、葡萄果汁工場でジュースを試し飲み。富良野ならではの貧乏贅沢だ。
 鳥沼キャンプ場に戻り、テントを張る。無料キャンプ場ゆえもあり長期滞在者が多く、近くの農場バイトなどで生計を立てている連中。張りっぱなしだったテントの跡は、芝生が枯れている。もう全盛シーズンは過ぎているようだが、今だに表札付きのテントがいくつも残っている。彼等は何ゆえ、社会に背を向け、こんなことをしているのだろう。便所の臭さといい、キャンプ場全体がヤバイ雰囲気でつつまれている。あるテントの中からは、ブルーハーツのギター弾き語りが大声で響いていた…。

8月22日(土)ラストランへの旅立ち

 朝食の納豆を食べながら、今日も悩む。人生の一大決意。やっとでた結論は・・・。
 最後の夏、やはり自由に旅をすべきだ。自由と解放感を求めての旅に、長期間の拘束はあまりに目的が違いすぎる。「心身の疲労が限界に近い」ことも言い訳に、あこがれの旅先バイトはあきらめた。このくやしさをバネに、今後自発的に生きていこうと思う。
 そうと決まれば、蚊の多いこんなキャンプ場、キッパリスッパリ離れるべし。この夏のラストランへ出撃だ。一般ツーリストに戻った私は、うしろめたさも無くライダーさんたちに手を振れる。よし! 久々に走るぞ。

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ふらのハーブガーデン
 ダートの残る道、雄大な八幡丘を越えると、麓郷の森。“北の国から”のロケ地であり、撮影に使った小屋などが残されている。そんな森の中に、写真館もあった。とある丘の写真の一枚に、しばらく魅了されて、離れられなかった。
 ふらのハーブガーデンでは、遅咲きラベンダーを含め色とりどりの花が植えられており、富良野らしさを感じることができた。
 針路は南へ。炭鉱閉山のせいかすごくさびれた金山集落からは東に向かい、かなやま湖畔キャンプ場へ。ファミリーキャンパーばっかのオートキャンプ場で、500円とられた。もう残り金銭は乏しく、金を使う痛みを強く覚えた。
 星空の下、湖畔でウクレレを弾きながら小声で歌う。旅の終りの近さを感じながら。

8月23日(日)さよなら北の大自然

 曇り空。東へ。干上がった金山湖はハッと思わせる景色だった。南富良野町の中心街・幾寅は、やっぱりさびれている。
 最後の峠、狩勝峠はあっさり登り切った。深い霧のため、十勝平野の展望はない。そして峠を下りると、新得の町。
 ・・・もうこれ以上、お金と時間を浪費してまで旅を続ける意義を、見い出せそうにない。疲労感も限界に来ている。帰りの列車旅行にかける体力気力分は残しておかなければならない。結局、富良野からのランは蛇足に終ったが、宗谷岬までのランで走り足りなかった分を少々補ったと思えばよいだろう。
 ということで、JR新得駅でチャリを解体、輪行袋に詰め込んだ。なけなしの金をはたいて十勝ワインようかんをお土産として買っておき、18きっぷで汽車のプラットホームへ入る。やがて特急列車が入線してきた。
 さあ、列車による帰りの旅の始まりだ。実は新得駅から新夕張駅までは、18きっぷでも特急に乗れるマニア感涙の特例区間(鈍行がないから)。これが速くて快適!
 車窓の、日高山地の樹海を見ていると、「ああ、もうこの大自然の中を走ることはもうないのか」と寂しくなった。さよなら北の大自然。
 新夕張駅からは鈍行汽動車。ゆっくり流れる風景をボーッと眺めながら、今回の旅を回想する。結局未来が真っ暗なままなのは変わらなかったけど、でも、自分を知る、人を知る、という意味ではとてつもない収穫があったんじゃないかな。
 電車も乗り継ぎ、夜は小樽駅まで。今夜はここで駅寝だ。近くの温泉銭湯に入り、さらに小樽運河まで歩いて行ってみる。しかしここはカップルで来る所だ。
 駅前のバス停の軒下で、銀マット敷いて寝る。ちょっと怖いけど、もう一人駅寝してる人いるし、まぁ何とか。

8月24日(月)ドラえもん号の友

 函館本線を走る汽車はホントにのんびり。ああこの旅は気楽な帰り道。うとうと眠りもするが、座りっぱなしは苦痛である。
 函館駅で津軽海峡線の快速海峡号に乗り換える。ここからはやっと電化区間である。列車は“ドラえもん列車”化されており、車内アナウンス(の一部)が大山のぶよの声である。
 席へつくと、隣の若者に声をかけられた。「ずっと同じ列車に乗ってましたね。」これが格好の話し相手。彼は18きっぷでふらふらしながらアメリカ横断ウルトラクイズ予選のため東京ドームへ行くのだと言う。名はW部君。ずーっといろいろしゃべっていたので、長い青函トンネルは全く退屈しなかった。こんなところでも出会いがあるなんて、旅とは面白いものである。
 青森駅で彼と別れ、もう夜遅い。今夜も駅寝だ。ヤンキー多くて物騒だが、駅寝する人も同じくらい多くいるので、まぁ何とか。

8月25日(火)自分が帰る家

 今日も長い長い、東北本線各駅停車の旅。やれやれだ。盛岡駅で駅そば喰い、仙台駅からは常磐線。ちまちまとした景色や、聞こえて来る言葉が茨城っぽくなってきて、「帰ってきたんだなあ」と嬉しくなった。いよいよ土浦駅が近くなる頃、疲れは相当なものになる。「オレは今日、青森から鈍行で来てるんだぜ」って、周りに言いふらしたい気分。
 ともかくやっと土浦駅について、チャリを組み立て、つくばへ走る。久々に汗が出る。そう、ここは北海道と違ってとても暑いのだ。そして自分のアパートへ、ゴール!!
 なつかしい自分の部屋。テレビが自由に見られるのがいいぞ。

35日間、自分におつかれさまでした!

 思えば、ここつくばを荷物満載のチャリで北へ出発し、猛暑で苦しんだ東北路。楽しい合宿と、その後の耐え難き寂しさ。しかし北の果て稚内近辺では様々な人に出会い、宗谷岬という大目標も達成。富良野での葛藤・挫折、そして帰りの列車旅行も忘れられない。
 “約一ヵ月”という壁は越えられなかったけど、本当にいろいろな経験をした、長さたっぷりの5週間だった。自分にとって学生時代最後の夏休み、有意義の限りを尽くすことができて、大満足。この旅で得た教訓の数々も、大切にしようと思う。

 なお、旅先で出会った人々とは、その後、手紙やEメールの交換が続いている。なんとも嬉しいことだ。残ったのは思い出だけじゃないね。

[end]


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