むらよし旅日記・其の二十二:北へ。TSUKUBA to SOYA

『五の巻』北の果て、旅人たちとの日々

8月13日〜8月18日

8月13日(木)北の果ての旅人たち

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稚内ドーム下でウクレレ弾く
 小雨模様の朝。N谷さんは富良野での合宿のため汽車に乗っていった。もう5人揃うことはないな・・・。
 私も雨が止んだら宗谷岬に向けて出撃するつもりだったが、他のみんなはここに停滞、連泊するというし、私も流されて停滞決定。ウクレレ演奏を少々披露したりしたが、基本的には一人で行動する。
 稚内ドーム真ん中の特設ステージでは、杉尾聖二とかいう演歌歌手のコンサート。コンクリートのドームの下、さすがに音響はいい。盛り上がっているのは地元のオバチャン達だけだが、私もそれにまぎれてしばらく聴き入っていた。あとはフェリー乗り場などを徘徊したり、他の旅人に話しかけたりして時を過ごす。こんなゆっくりした旅の一日も、いいものだ。
 夜はまた4人揃い、鮭のホイル焼きなど。すばらしくうまかった。その後の会話は人生論へ突入。う〜ん…、チャリダーって、性格に一癖も二癖もある人ばかりだと思う。変人とまで言ったら言いすぎだろうか?
 もちろん、自分のことを棚に上げるつもりはないが。みんな、心にキズのある風来坊。社会になじめない人々が、ここ北の果てに集まる。そんな様子は、たくさんの考える材料として心に残った。今日の日よ、さようなら。

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8月14日(金)何かがある島

 稚内では、さんざん礼文島の評判を耳にした。そのだいたいが「すごくいい所だよ。でも桃岩荘はねぇ…。」というものであった。なんだかすごく行きたくなってきた。しかしお金の問題もある。かなり葛藤。
 ええい、行って後悔することはない。今しか行けない。ウワサの桃岩荘もぜひ経験しとくべき。よし、礼文に渡ろう!
 そうと決めて、桃岩荘ユースホステルに予約を入れる。フェリー出航前に、稚内ドームの天井で、灰色の海に向かって人知れずオカリナを吹く。気持ち良い。それを一人のライダーが聴いていたようで、「上手ですね」と言ってくれた。いやあ、お恥ずかしい。
 こうして宗谷岬行きを大幅に延期することにして、礼文島行きのフェリーに乗り込んだ。ここでもY切さんというチャリダーと仲良くなる。やがてフェリーは北の果てのしま、礼文島香深港へ。桃岩荘の連中がなにやら大声で叫びながら、大きな旗を振って旅人を出迎えている。そんな様子を見て思わずニヤけていた私の顔をY切さんは見逃さず「この島には何かあるぞ、って顔してたぞ!」
 この島も稚内近辺と同様、丘には殆ど木が生えていない。二人で島の北端を目指して走る。アイヌの少女の伝説が残るエリア峠からは、黄緑色の丘が織り成す美しい風景。来て良かった! 北の果ての島の、北の果て、スコトン岬は岩がそそり立つ岬らしい岬。間近にトド島を眺めながら飲むスコトン牛乳もイケる。あの島に渡るツアーもあるらしいが、とりあえず見送り。
 大急ぎで香深港へ戻り、そこから峠を越えて島の西側、桃岩ユースホステルに到着。日本に唯一残存する、キチ○イYHだ。すぐにかの高名な“ミーティング”が始まった。フォークソングやアニメソングに合わせて、幼稚園のお遊戯のような踊りが繰り広げられる。これがメッチャ楽しい! 他人に気がねなくキ○ガイになれるのが、素晴しい!
 しかし“宿”としては最悪。古いニシン番屋を利用したおんぼろユース。二槽式洗濯機やボットン便所はともかく、通称“回転ベッド”はやけに狭いし、消灯が早くプライベートタイムが存在しない。日記を書く暇すらなかった。

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8月15日(土)なにが愛とロマンじゃ?

 朝早く起こされる。支度をして、チャーターバスに乗り込んでスコトン岬へ。ここから「愛とロマンの8時間コース」と名付けられた遊歩道を歩くのだ。今日はお盆ゆえ参加者が多く、3つの班に分けられた。私は「桃組」(他に「岩組」と「アホ組」)。桃組はなんだかクセ者の社会人ばっかだ。パチプロなんてのもいる。
 空はめずらしく、文句ない快晴。猛烈な突風が吹き荒れてはいるが。島の西側の、車道すらない未開の地を南下していき、礼文島の筆舌に尽くし難い景色を堪能。砂浜では不思議な穴空き貝を拾ったり、崖からは砂すべりを楽しんだり。お花畑のシーズンはもう少し前のようだが。
 しかし若者の寄せ集めだけに、まとまりが悪くなりがちである。そんな班を一つにしたのが、リーダーを買ってでている鈴Kさん。元々オカマっぽいしゃべり方をする人なのだが、さらに今日は“新宿二丁目のママ”役に徹し、みんなを盛り上げている。驚くべき人格。くやしいが私にはできない。
 こうして8時間コースは、実際には10時間以上かかり、桃岩荘に帰着した。足の裏の痛さが限界だ。そういえば途中、稚内で別れて一足早く礼文入りしているA本君とM井さんのペアに会ったな。礼文林道から海の向こうに見える利尻富士は圧巻だった。
 風呂に入る暇もなく、桃岩荘前で行われる、お盆恒例の“やぐら祭り”に参加。夕暮れの海に猫岩のシルエットが浮かぶ。さあ歌と踊りの大祭だ。その曲の中にはブルーハーツものもあり、これは大声で歌えた。ファンとして嬉しい。
 こうしてイベントに楽しく参加してはいるものの、いま一つ「この集団に自分は合わない」という違和感も感じていた。友達も作りかねていた。まして恋人なんて・・・。

8月16日(日)ながれもの達の、終らない歌

 疲れた。今日はゆっくりさせてもらって、桃岩荘にもう1泊することにした。まずは電話でバイト探し。もう旅費が尽きてきているし、旅先で働くということに憧れがあったのだ。しかしどこも「ちょうど埋った」とのことで、断念。
 礼文島の、まだ行っていない所をチャリでゆっくり回る。知床という地名の場所まで行ってみたり、地蔵岩を探検したり。
 あとはまた桃岩荘に戻ってゆっくり、自由ノートを読み耽ったりする。ノートには、「自分はブルーハーツがすきだ〜」みたいなことがいっぱい書いてある。どうやらブルーハーツの歌詞の通りの人生を歩んでいると、この島に流れつく傾向があるらしい。ちなみに稚内には長渕剛ファンが多くいたが、それも同様なのだろう。
 本日は“精霊(しょうろう)流し”。海に流すそれに、私は「もっと大きなものを見付けたい。」と託した。猫岩の向こうには漁火がいくつも浮かび、感動的な情景である。
 こうして旅を続けていると、コーヒーの禁断症状が気になる。それ以上にやばいのがクラシックギター。クラギ弾きてぇ〜。

8月17日(月)知性・教養・羞恥心を捨てて

 桃岩荘には、桃岩時間というものが存在する。日本時間より30分早く時間が進むのだ。その桃岩時間午前6時には、目覚ましミュージックとして「石狩晩歌」というド演歌が大音量で流れる。さびれた鰊番屋を「オンボロロ…」と歌う、何とも自虐的な歌だ。しかしこれが、何十泊もする“異常連泊者”たちを生み出す秘訣の一つとなっているのかも知れない。私も3泊目にしてすっかりハマってしまった。

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香深港で踊る桃岩荘連中
 朝の大掃除会(これもヘン)の後、ブルーサンダー号という真っ青なボロトラックに乗っかり、香深港へ。フェリーで帰る人たちへの、見送りに参加するのだ。朝イチの便なので、送るほうも送られるほうもにぎやかだ。フェリーが水平線に消えるまで、大声で踊りまくる。これを観光名物として写真に撮るオバサンまでいるが、不思議と恥ずかしくない。
 桃岩荘に戻り、ユース併設の喫茶店その名も“Ben&Joe House”へ。お!
クラギがある!!!
店の中ではナンなので、庭に持ち出し、弾かせてもらう。久々だ〜。あわわ、指が動かん〜〜。ブランクというものは恐ろしいものだ。
 苦しみながら弾いていたら、キタロウ風のオッサン(喫茶店の主人か?)が「久々に私のギターが鳴きましたよ」と聴きにきてくれた。長年ギターからは遠ざかっているとのことで、今はオカリナを嗜んでいるらしい。
 「君にとって音楽とは何?」
 何なのだろう? 自分が楽しけりゃいい、という狭い認識から、自分は未だに抜け出していないのかも知れない。
 喫茶店の中に戻って、何人かとうだうだする。桃岩荘本館の“いろりの間”より人数が少ないせいか、落ち着いて話ができる。武Dさんという人とは、ブルーハーツやハイロウズの話で盛り上がるし、ようやく桃岩に自分の居場所を見つけたようだ。ここの美人ヘルパーさんが作ってくれたコーヒーやシーフードカレーもうまかった。
 そんな桃岩荘ともついにお別れ。港では今度は送られる側に回る。送られる4人のうち、踊りを体で覚えてしまった私ともう一人が、甲板の上の人前で、恥も感じず踊り狂っていた。まさか自分までこうなるとはね。さようなら礼文。いろいろな経験を決して忘れないよ!
 さて私と一緒に踊っていたその人、岡D君という。私と全く同じ型のランドナー(ブリヂストンのトラベゾーンしかもオリーブ色)で旅をしているから驚き。彼の所属する某大学サイクリング部でも近年、ウチ(筑波大)と同様、ランドナー乗りの減少にあえいでいるらしい。この人とは妙に心通じるものがあった。
 離島から稚内に戻ると、地に足がついた気分だ。またドーム下にテントを張る。すっかりオープンな性格に変貌した私は、鹿児島からのチャリダー娘と夕食のおかずを交換したりと、能動的に人との交流を楽しめるようになっていた。
 夜にはフェリーの時の岡D君が、私のテントの所までやってきた。自分は自転車を、ランドナーを、トラベゾーンを、いかに誇りに思っているかを熱く、熱く語りあった。考えていることは一緒である。

8月18日(火)大目標を達成して

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宗谷岬の旅人3人
 快晴。さあ今日こそ。で、アッサリ宗谷岬『日本最北端の地』の碑に到着してしまった。ここを射程に捕えてから7日目にしてようやくの、旅の大目標達成であったが、ウワサ通りあまり感動のない場所である。
 ともかく写真。美しいライダーっ娘に写真を撮ってもらった。仲良くなった。うれしい。ここでM井さんも登場、3人での写真も撮った。しかし私がトイレに行っている間にライダーっ娘とはぐれた。しまった! 名前ぐらい聞いときゃよかった。
 季節柄、サハリンは見えず。観光客に「幸せのホーリーチョコ」を配るあやしいおばさんがいる。近くの民宿ではアルバイトを募集していたので、ぐっと意を決して面接に入ったが、期間などの条件が合わず断念。お土産屋でチャリに貼る「宗谷岬」ステッカーを買い、あこがれの地のはずだった宗谷岬を後にした。今回の旅のテーマ『実走で宗谷岬へ』が達成された今、今後どうしたらいいのか全くわからなくなってしまって、とても達成感にひたれる気分ではなかった。
 まあいい。もう自転車には疲れたので、明日からは青春18きっぷによる鉄道の旅にしよう。それも決して楽なものではないのだが。
 稚内の街に戻り、ポートサービスセンターでシャワー&せんたく。安価だし畳で新聞読めるしアンマイスはタダで使えるし、とても便利な施設だ。うだ〜。
 野寒布岬ではまたM井さんと会った。まずまずの夕日が見られた。ここで何とザックにクラシックギターしょってるチャリダー発見。陣笠まで積んでいる。負けたー!! とても私のウクレレでは歯が立たない。ちなみにその人はバリバリ体育会系の女性だった。少し話しかけてもみた。
 ドーム下に戻り、数名に別れを告げた後、稚内駅で自転車を分解、輪行袋に詰め込む。今夜は駅の2階にある簡易無料宿泊所で眠るのだ。畳の部屋に男女を分ける簡単な仕切があるだけの、まさに簡易な宿だが、旅人を歓迎する稚内市ならではのすばらしい施設と言える(治安の問題上という説もあるが)。
 この北の果て近辺では、いろんな変人と出会い、話をした。旅人にとって、天国のような場所であった。さよなら稚内。明日の朝、離れます。


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