3月15日(金)
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3月16日(土)
お寺なので朝7時に「おつとめ」が始まった。お経を聞きながら出発準備。
今日は天気が良く、暖かい。瀬戸内海に突き出す乃生岬から横一文字の瀬戸大橋が、さらに進んで坂出市常盤公園展望台からは縦一文字の瀬戸大橋が。本州も見えていい眺め。それにしてもすごい建造物だ、瀬戸大橋は。
昨日もだが今日も、コシのある讃岐うどんを昼食にとる。ここから土器川のサイクリングロードを南に走り、「こんぴらさん」こと金刀比羅宮へ。ここには奥社まで1368段の長い階段があり、その段数を数えながら登り降りする人もいるが、私は面倒なので数えず登った。陽気でにぎやかな参道。すっかり疲れたが、何か御利益はあるのだろうか。
宿は山本町の、四国八十八札所のひとつ『大興寺』隣の民宿。合宿におけるここの宿係(幹事)は私だ。この宿を検索・予約するのにかなり苦労した経緯があるが、当日の今日は、すんなり係をこなせた(つもり)。
3月17日(日)
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3月18日(月)
今日はもう、合宿ラン最終日およびペアランの日。私は主将S先輩とのペアだが、いきなり二人で衝突して手足にダメージ。大丈夫か?
我々は林道西又河野線を攻めることにした。登りはさほど苦労することなく終ったが、下りは私のランドナーでは走りづらかった。怪我の影響もあるし。舗装路に出てからは、軽装のままスピードを出しっぱなしにしていたので、体がおもいきり冷えてしまった。香北町の食堂で体を暖め〜。
物部川沿いに土手道を発見し、強い追い風を受けて快走。高知空港で飛行機の着陸&離陸を見物した後、海岸沿いに東に向かう。砂浜を走ろうとしたが柔らかい砂質にアシを奪われ断念、「これで勝ったと思うなよ!(笑)」
名所桂浜では坂本竜馬像を見たり、アイスクリンなるものを食べたり、お土産屋では店員の目を盗みつつ試食を繰り返すが、もちろん家族へのお土産も買う。
宿に着き夕食後、おもにキャンピング班員を集めて、天橋立から積んできた日本海の海水を太平洋に注ぐセレモニーを行った。悲願の無輪行達成! 秋合宿のリターンマッチは勝利だ。ところでこれは、日本海の海水を減らして日本とロシアを陸続きにさせようという、壮大な計画の第一歩なのだ。
夜にはコンパが行われ、しばらくして「一年生全員ツブす!」の声に、私は部屋に逃がれ事なきをえた。おいおい。
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3月19日(火)
高知駅から、長い長い18きっぷの旅が始まった。瀬戸大橋を越え、神戸では震災の痕を目のあたりにし、大垣へ。一緒に東京行きの臨時夜行快速に乗り込むのは私を含め4人、これまた旧式のボックス席でつらい。「班合宿が遠い昔のようや」とはM先輩の弁。
3月20日(水)
乗り換え7回、20時間以上に及ぶ列車の旅は終った。まだ膝が痛んでおり、2日後に迫った房総個人ランが不安である。引っ越しに関する、とある問題が片付いたとの連絡を受け、今年度の一年間は収束に近づきつつあることを感じた。取り合えず実家に帰ってゆっくりしよう。
雪の降る天橋立から、黒潮が春を運ぶ高知まで、気温差の大きい旅だった。今回の合宿で、特に何か生まれ変わるようなことはなかったけれど、いろんな経験を積んで、いろんな課題を残したと思う。「走り足りない」と思うほど走ることが好きになって、次へのはずみになった。また、最近サイクリング部に入部した2人が友人となったのも、この旅の大きなエッセンスであったろう。
「私は旅人」、これに存分に浸れるのは今の若いうちだけかも知れない。