むらよし旅日記・其の七:サイクリング部春合宿本州四国横断編

『サイクリング部全体合宿』四国横断大ボケ編

3月15日〜20日

3月15日(金)

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『二十四の瞳』の分教場
 小豆島に30人ほどが集まった全体合宿初日。いくつかの班に分け直され、ランに出る。
 我々の班は、雨のため寒霞渓へ登ることは取りやめた。『二十四の瞳』岬の分教場へ直行。さらに二十四の瞳映画村も見学、スクリーンで『二十四の瞳(カラー版)』を見る。ジンとくるシーンもあるが、かなりカットされたシーンが多いと見受けられるのは不満。ノーカットで見たいので、旅が終ったら是非ビデオデッキを買おう。
 フェリーで香川県高松市に渡った。私にとっては四国初上陸。ロウ人形館で平家物語に触れ、今日はおしまい。宿はお寺の宿坊に雑魚寝。

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3月16日(土)

 お寺なので朝7時に「おつとめ」が始まった。お経を聞きながら出発準備。
 今日は天気が良く、暖かい。瀬戸内海に突き出す乃生岬から横一文字の瀬戸大橋が、さらに進んで坂出市常盤公園展望台からは縦一文字の瀬戸大橋が。本州も見えていい眺め。それにしてもすごい建造物だ、瀬戸大橋は。
 昨日もだが今日も、コシのある讃岐うどんを昼食にとる。ここから土器川のサイクリングロードを南に走り、「こんぴらさん」こと金刀比羅宮へ。ここには奥社まで1368段の長い階段があり、その段数を数えながら登り降りする人もいるが、私は面倒なので数えず登った。陽気でにぎやかな参道。すっかり疲れたが、何か御利益はあるのだろうか。
 宿は山本町の、四国八十八札所のひとつ『大興寺』隣の民宿。合宿におけるここの宿係(幹事)は私だ。この宿を検索・予約するのにかなり苦労した経緯があるが、当日の今日は、すんなり係をこなせた(つもり)。

3月17日(日)

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せまい六地蔵越
 徳島県池田町に向かっての六地蔵越え、約600mアップ。峠手前の展望台からは、霧のかかった平野から小さな山がボコッボコッといくつも飛び出していて、まるでとても高いところから雲海を眺めている幻想的な景観で感動。
 このとき小雨が降っていて、私はすっかりビリビリになっているコンビニカッパを無理やり着ていたが、その姿を見る人見る人みな大笑い。私は「ファッションだよ」と反論。
 久々に登り甲斐がある峠を越え、下りも楽しかった。昼飯後は吉野川を登るルート。途中には小歩危・大歩危があったが、そのボケたネーミング以外、何がいいんだかよく分からなかった。遊覧船に乗れば良かったかな?
 旅は高知県大豊市に入る。この日は距離・アップ・観光地のバランスが良く、ようやく全体合宿らしいラン(?)を楽しめた。

3月18日(月)

 今日はもう、合宿ラン最終日およびペアランの日。私は主将S先輩とのペアだが、いきなり二人で衝突して手足にダメージ。大丈夫か?
 我々は林道西又河野線を攻めることにした。登りはさほど苦労することなく終ったが、下りは私のランドナーでは走りづらかった。怪我の影響もあるし。舗装路に出てからは、軽装のままスピードを出しっぱなしにしていたので、体がおもいきり冷えてしまった。香北町の食堂で体を暖め〜。
 物部川沿いに土手道を発見し、強い追い風を受けて快走。高知空港で飛行機の着陸&離陸を見物した後、海岸沿いに東に向かう。砂浜を走ろうとしたが柔らかい砂質にアシを奪われ断念、「これで勝ったと思うなよ!(笑)」
 名所桂浜では坂本竜馬像を見たり、アイスクリンなるものを食べたり、お土産屋では店員の目を盗みつつ試食を繰り返すが、もちろん家族へのお土産も買う。
 宿に着き夕食後、おもにキャンピング班員を集めて、天橋立から積んできた日本海の海水を太平洋に注ぐセレモニーを行った。悲願の無輪行達成! 秋合宿のリターンマッチは勝利だ。ところでこれは、日本海の海水を減らして日本とロシアを陸続きにさせようという、壮大な計画の第一歩なのだ。
 夜にはコンパが行われ、しばらくして「一年生全員ツブす!」の声に、私は部屋に逃がれ事なきをえた。おいおい。

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高知市の砂浜にて

3月19日(火)

 高知駅から、長い長い18きっぷの旅が始まった。瀬戸大橋を越え、神戸では震災の痕を目のあたりにし、大垣へ。一緒に東京行きの臨時夜行快速に乗り込むのは私を含め4人、これまた旧式のボックス席でつらい。「班合宿が遠い昔のようや」とはM先輩の弁。

3月20日(水)

 乗り換え7回、20時間以上に及ぶ列車の旅は終った。まだ膝が痛んでおり、2日後に迫った房総個人ランが不安である。引っ越しに関する、とある問題が片付いたとの連絡を受け、今年度の一年間は収束に近づきつつあることを感じた。取り合えず実家に帰ってゆっくりしよう。

 雪の降る天橋立から、黒潮が春を運ぶ高知まで、気温差の大きい旅だった。今回の合宿で、特に何か生まれ変わるようなことはなかったけれど、いろんな経験を積んで、いろんな課題を残したと思う。「走り足りない」と思うほど走ることが好きになって、次へのはずみになった。また、最近サイクリング部に入部した2人が友人となったのも、この旅の大きなエッセンスであったろう。
 「私は旅人」、これに存分に浸れるのは今の若いうちだけかも知れない。


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