むらよし旅日記・其の二十二

北へ。TSUKUBA to SOYA

1998年7月22日〜8月25日

『一の巻:個人ラン(前)』不動峠を越えて〜猛暑の東北路

7月22日〜7月30日
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楽天的な、北への旅

 さあ「夏休み」と言われる季節に入った。今年のサイクリング部夏合宿は、北海道に向けて行われる。ならばそれを挟んで、自分の脚力によるチャリンコだけで、茨城県つくば市から北海道宗谷岬へ旅をすることにした(もちろん津軽海峡だけは船を使うが)。社会科地図帳でも1,2ページじゃ収まりきれない、かなりダイナミックな旅路となる。
 私は23歳になった直後の7月17日にようやく自動車免許を取得、晴れて心残りもなく旅立ちの運びとなった。しかし出発予定の20日には準備不足で次の日に延期。21日には日頃の生活の乱れにより大爆睡。「やっぱ明日にすっかぁ」・・・な〜にやってんだろ。
 荷物は、もちろん最小限にまとめるのだが、スペシャルアイテムとして今年の夏もまたウクレレを搭載することにした。チャリを後ろから見るとけっこう目立つので、もはや自分のトレードマークのつもりなのだ。
 さらにフロントバッグには、陶器製のアルトCオカリナを忍ばせた。旅先で吹いて楽しむべく、少し練習しておいたのだ。ね、ね、旅人っぽいでしょ??

7月22日(水)感慨で越える、馴染みの峠

 爆睡癖が治らず、今日も昼前の起床になってしまった。しかしこれ以上延期するとさすがに「実走で宗谷」が実現できなくなる。あわててつくばのアパートを出発した。
 ここで普段のツーリングの場合まずJRの駅へ向かい、チャリを分解して列車に乗り込まなくてはいけないのだが、今回はその必要はない。このまま走ってひたすら北へ向かえばいいのだ。“輪行”というズルのない、初めて本当の『旅』に立った気分になった。

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まず最初の峠は不動峠
 筑波山系を越える不動峠という峠がある。我らが筑波大学サイクリング部の部員にとって、「練習」と言ってはこの250mアップの峠を登る、そんな馴染み深い峠だ。今回の旅は、最初の峠としてここを選択した。いつもはタイムを競ってあっと言う間に登り切る不動峠だが、キャンプ用品など家財道具一切合財を積載したフル装備のチャリンコでは、とても長く感じた。
 “裏不動”と言われる坂を下りると、もうつくばへは戻れない。新天地を求めるかのように、この道がいずれ北海道に通じるんだと心に言い聞かせ、北へ進む。
 比較的平坦な道をつたい、国道294号に入る。この国道の起点は千葉県の柏らしいが、ともかく今日の私は栃木県入りした。あいにく雨が降ってきて、コンビニカッパを装着してのランとなった。ツインリンクで有名な茂木という町には茂木健康温泉があり、7種類の風呂とやらで初日の疲れを癒す。特に薬草の湯は、キツイにおいからして印象に残ってしまった。
 キャンプは烏山町の小学校の軒下を勝手に借りた。炊事のメニューは、個人ランお決まりのレトルトカレーだが、通りがかりのオジサンが親切にもイカフライをくれた。いきなり、人のありがたみを知る旅となっている。

7月23日(木)白河の関から、みちのく一人旅

 やや雨が残る中、烏山駅に寄ってみる。栃木のローカル線、烏山線の終着駅だが、まだ朝早く、人はまばらである。
 再びチャリで走り出すと、嬉しいことに青空が出てきた。国道の標識には「会津若松×××km」なんて書いてあるけど、この道でそこまで行く人は滅多にいないだろう。しかしどうやら自分はこの道で会津に向かっている。
 国道をそれ、1000年以上前の奥州街道(旧旧道)へ。その登り坂でかなりヘタった頃、峠を越える形となった。ここから先は福島県。関東地方を抜け、いよいよ東北縦断の旅の始まりである。先は長い。
 そこには奥州三関のひとつ、白河関の関所跡公園がある。足がもうフラフラ。ベンチで横になり、そのまま気持ちよく1時間ほど眠ってしまった。
 JR白河駅でも休むが、出発日程の遅れを取り戻すべく、さらに頑張って走ることにする。国道294号のここら辺は「茨城街道」という名前も持ち、かつては佐渡の金を江戸へ運ぶ道だったらしい。
 奥羽山脈の勢至堂トンネルをくぐると、長い付き合いだった294とはお別れ。猪苗代湖の南岸までたどり着いた。湖畔の無料キャンプ場にテント設営。会津のシンボル磐梯山は、雲で見えない。そろそろ梅雨が明けてもいい頃なんだけど・・・。

7月24日(金)熊の恐怖と、美容の湯

 風が寒い朝、湖畔でオカリナを吹いてみる。曲目は『ペールギュント・朝』や『もののけ姫』など。曇天の空に音は吸い込まれていった。
 磐越西線の猪苗代駅に寄ってみると、今回の旅で初めて、他のサイクリストに出会った。昨夜は磐梯山の方で雷雨に遭って大変だったらしい。これから列車に乗って帰るとのことで、私は見送る形となった。

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裏磐梯・桧原湖
 裏磐梯への登りでは、私も本格的な雨に出くわした。桧原湖に着くころにはだいたい止んだ。山奥の、自然の大湖だ。磐梯山の北壁は茶色の岩がむき出しでそそり立っている。五色沼を散策してみると、青白色の神秘的な水面が見事であった。
 さて桧原湖から北へ抜けるには、普通はスカイバレー白布峠を越えるものだが、となりにはダートの金山峠がある。標高差が少ないという理由で、こちらに足が向かった。ところが「熊出没注意」なんて看板がある。うそだろ、と思って進んでいると、大きな足跡発見! まさしくこれは熊だ…。ベルを頻繁にチンチン鳴らしつつ、峠もとっとと退散した。一人旅とは、怖いものだ。
 山形県に入り、小野川温泉でお風呂する。小野小町伝説の伝わる尼湯では、近所のオッサンと湯舟で会話。さっき越えた金山峠は、昔ながらの古い峠であることなどを聞いた。
 米沢駅で少しゆっくりしたあと、近くの河川敷でテントを設営した。少々目立つがまあいいか。この3日間、旅程の遅れを取り戻すべく頑張って走ったので、疲れたな。もう何日も経ったような気分だ。

7月25日(土)夏のはじまり、焼き付く夜景

 少し寝坊。強い日差しがテントに照りつけている。待望の梅雨明けだ!! 昨日越えた飯豊山地・吾妻連峰もくっきり見える。
 するってえと今度は暑い。上杉神社の日陰で涼んでから出発。少しゴミついた所を走りたくなったので、山形市へ向かうことにした。それにしても何だこの暑さは。山形駅ではついロッテシェーキを飲んでしまう。霞城公園では午後2時台の強烈な日差しをやり過ごす。だらだらした一日である。寒河江駅でもだらだら。食事は流動食ばかりになってきた。ひょっとしてバテてる? 去年の夏、バテて瀕死になったニガイ記憶が蘇る…。
 新寒河江温泉の百円湯に入った後、公園で設営。なぜかキャンプ場みたいな炊事場があって最高。ところで夏は日が長いので時間がいっぱい使える。気楽でいい。
 夜には、公園から見下ろす夜景がキレイだった。

7月26日(日)ジョギングより遅い、バテたチャリ

 六十里越街道(月山道路)は、やけに交通量が多い。どうやら山形盆地からの海水浴客どもの行列だ。道の駅では山形名物・ラフランスソフトクリームを。うまい。
 ここから道はトンネルの新道と、峠を登る旧道に分かれる。私は交通量を避けて、強気に旧道を選択。月山の緑の山容を眺めつつこの長い登り、日陰がほどんど無く、休み休みに走るが、辛すぎ。すると背後からどこぞの部活のジョギング連中が迫ってきた。しまった! あれに抜かれたらサイクリストとして恥ずかしいぞ。あわててペースアップ。しかしすぐにバテ、あっさり連中に抜かれてしまった。ショック…。
 こうして大越という峠を越えたが、下り坂までも、あまりの暑さに休み休みの走行になる。こんな経験初めてだ。だいぶ下りきった所にはバンジージャンプで有名な道の駅月山があり、ここでワインの試飲をして、クーラーの効いた休憩室になだれ込む。テレビではスーパージョッキーをやっている。そうか、今日は日曜日か。「熱湯コマーシャル」・・・、向こうも熱そうだ。
 再び走るが、ゆるい下り坂なのに、走っているだけで体がおかしくなる。道路の電光掲示板には、気温34度とある。スーパーのベンチで昼寝をして、ジュースをガブ飲み。いくら水分を採っても足りない。鶴岡市に入って、しかし私としたことが鶴岡駅には寄らなかった。“駅好き”の性格をねじ曲げるほどの暑さなのだ。
 夕暮れ、日本海沿いまで進むと、湯野浜温泉。暑くても温泉には入る。近くの無料キャンプ場では、食事の際、塩分を多めに採ってみた。

7月27日(月)目の保養と、塩分補給

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静けき象潟
 鳥海山を眺めながら、防砂林の中を進む。午前の涼しいうちに行けるだけ行こうと急ぐが、9時でもう気温30度を越えてる。時々他のサイクリスト達とすれ違うが、向こうもつらそうだ。
 こちらは鳥海山の山麓に湧く神泉水をありがたくガブ飲みして、秋田県入り。たくさんの島が隆起して陸続きになっているのが印象的な象潟に到着。『奥の細道』最北の地として有名でもある。
 もう暑いので走りたくない。私はここの海水浴場で夕方までのんびり、泳いだり休んだりする。海水は気持ちいい。泳ぎが下手なので海水をよく飲んでしまうが、深刻な塩分不足はこれで解消だ。
 日も傾いてきて、本荘まで足を伸ばした。自炊面倒で、ついにスーパーの弁当に頼る。城跡公園では、灼熱のキャンプとなった。一体、今日は何リットルの水分を採っただろう?

7月28日(火)記録的猛暑で、激ヤセ

 朝の本荘駅前市場に寄る。磯の香りが旅情を演出する。
 今日も暑くなる前になるべく走り切る作戦。針路は東方、内陸へ向かう。やがて大曲に着いた。例によって駅のクーラーに当たる。近くでコインランドリーもした。それにしても、こうもバテバテでは今後青森まで走れるかさえ、不安。だいたい昼間の気温が34〜35度だなんて、異常だよ全く…。
 夕方にまた走りだし、意識朦朧と中里温泉に。体重計に乗ってみると、出発前より4kg近く落ちている。温泉では、頭に何度水をかぶっても、すぐのぼせてしまう。
 この旅は気力との闘いだ。そうか、脳をやられかけているんだな。テントは太田町の無料キャンプ場にて。他に誰もおらず、それでいて慰霊碑が立ち並んでいる、ある意味とても涼しい所である。

7月29日(水)雨楽しや、辰子の湖畔

(必死に自転車をこいで旅をしていることが、今を生きる唯一の手段である。つまりこのつらさこそが生きるつらさだ。)

 角館の武家屋敷を通り過ぎ、秋田新幹線と並走する。今日は曇り気味で、昨日までの苦しみは無いみたい。人生まれにみるつらい日々はひとまず終ったようだ。
 今日は距離も短い。田沢湖駅まででほとんど終り。クーラーの効いた待合室でコーラをあおっていたら、向こうから見飽きたいや失礼見慣れたツラが歩いてきた。アパートの隣の部屋の住民にしてキャンピング班の同胞、H瀬である。お互い「何でこんな所におるん!」、向こうは輪行の途中で列車の待ち合わせらしい。やがて彼は新幹線に乗っていった。ちょっとした偶然であった。私はもうしばらく駅で休んだ。
 昼には田沢湖キャンプ場に到着。今回の旅で初めて設営料金を徴収される。でも安心して昼から滞在できるのは、いいことじゃん。ここをベースにして、田沢湖一周サイクリングに出る。日本一の水深(423m)を誇る、辰子伝説の湖だ。この旅は何だか東北の湖めぐりの旅である。
 ほどなく雨が土砂降ってきた。東屋に避難。他のレンタサイクルの人達も避難してきている。1時間ほど待って、まだ少し雨が残っているがリスタート。アツアツの体を冷やす雨が、たまらなく涼しくて気持ちいいのだ。青い湖を左手に見て、一周を終えた。
 夕方にはまた晴れて、乳頭温泉郷の手前側にあたる水沢温泉まで登り、入浴。期待通りの乳白色の湯だ。露天風呂もあって嬉しい。そこからの帰りは、眼下の田沢湖へ下りてゆく感じがたまらなく気持ち良かった。
 夕食時も涼しくて、長らく遠ざかっていた食欲が復活してきた。明日はいよいよ合宿に合流である。

7月30日(木)強酸性に入浴、超賛成

 朝から雨。濡れたテントを畳むのはやっかいだ。東屋でライダーの方々とうだうだ語るが、一向に雨は止まないので、正午過ぎにしぶしぶ出撃。しばらくなだらかな登りが続き、余裕モード。しかし宝仙湖を過ぎてからが激坂でとてもキツかった。
 そして玉川温泉に。湯治客と観光客が混じって人が多い。そんな遊歩道の脇にはミエミエの無料露天風呂がある。ひるみかけたが、ひるんでられるか。pH1.1と日本一の酸性度を誇るのだ。服を脱いで入浴。ちょっとぬるいのは雨のせい?
 名無しの峠を越えると、八幡平アスピーテラインとの合流地点でチャリンコ集団を発見! ここでキャンピング班合宿に合流だ。積もる話も追い追い、集団走行に加わった。


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