むらよし旅日記・其の十:そしてサイクリングは北海道へ

『後ラン』根室〜知床編

8月8日〜15日
map

自分にとっての“地の涯”へ

 全13泊の合宿の日々が過ぎ去り、再び、ひとりになった。体力・精神力ともだいぶ使い果たしたが、それでも行かねばならない所がある。知床…。半島を周遊する道路などなく、岬のほうは滅多に人間が足を踏み入れることのないといわれる、日本に残った最後の“地の涯”。旅を続けているうちそんな大地の呼び声が、日に日に増してくるように感じた。求めあい引かれあうように旅先を知床へ定め、とりあえずは列車で根室に向かうことにした。

8月8日(木)考えさせられる場所

 コンパによる二日酔いはなく目覚めのよい朝。合宿を共にした連中とはアッサリ別れ、釧路の街を少しぶらぶら、幣舞(ぬさまい)橋なども見てからJR釧路駅で輪行。駅前でまた合宿の連中に再会したが、同じ列車に乗る人はいなかった。本当にひとりになって、今夏1回目の青春18きっぷを使い、東へゆく快速ノサップ号に、分解した自転車と自分の身を委ねる。車窓からは、日本とは思えない原野と岬の情緒。途中、霧多布などの名所をパスしてしまうことになるが、日程的な都合で仕方ない。限られた日数は知床に重点的に費やすことにしてある。
 ホームが一つしかない終点根室駅を降りて、自転車を組み立て終るころにはもう午後3時半を回っていた。夕刻。それでも結構遠い岬を目指して東へ走る。すると意外に早く岬の灯台が見えた。「よし、もうすぐだ!」ところが自転車を漕げども漕げども近づかない。その実体は某財団が建てた巨大展望塔だったのだ。そろそろみんなとはぐれたのが精神的に応えてきて、「いったい私はどこを走っているの?」と切ない気持ちになってきた。

picture
東の果て納沙布岬
 ところで道の左手には海、右手には原野が広がり、木がほとんど生えていない荒々とした景色にときおり沼のとりあわせ、向こうに見える展望塔の姿が絶妙。道脇には「北方領土返せ」の看板が多く見られる。こーゆーのに眉ひそめる旅人もいるようだが、ここの土地の特色といえるし私は単純に「面白い」と思った。その看板の頻度がかなり増してきたところで、やっと最東端に着いた。
 駐車場にはイカニモな人々が炊き出しをやってたりしていて、これぞ納沙布風情。私は灯台の先の断崖まで歩き、向こうを眺める。貝殻島灯台・水晶島などが確認できる。ロシアの監視船もいる。これまであまり考えたことのなかった領土問題について、少し思いを巡らせた。ここはそんな気分にさせられる場所である・・・。
 せっかくだからとカニ丼を喰ってるうちに暗くなってきた。何てったってこの辺は日本で一番日が暮れるのが早い。急いで根室市街に、今度は半島の南側を回って帰るが、途中からダイナモ(発電機)ランプを点灯した。暗くなって、根室駅前の公園にテント張ることに決まった。

8月9日(金)前も後ろも何もない北海道

 公園でのラジオ体操に目を覚ました。西へ走り、いい感じの風蓮湖を横に眺めつつ厚床駅。ここから北へ、内陸を開陽台へ向かうかどうか迷ったが、風向きに任せて海岸沿いに尾岱沼へ向かうことにした。廃線跡もある道をそれて“野付国道”に入るといよいよ交通量が少ない。でも時々はライダーやチャリダーに抜かれたりすれ違ったりして、そのたび手を振りあう。これが心強くて、ひとりでも大丈夫になってきた。
 途中『北方領土展望台』に(懲りずに)寄って北方領土の歴史を学ぶ。思想のミギヒダリ関係なく、この辺の人々の想いは切実そうである。ところでしかし天気はイマイチで国後島は見えなかった。また自転車を北へ走らす。前も後ろも何もない北海道。
 やがて尾岱沼青少年旅行村キャンプ場に着き、シャワーを利用したりこの旅最後の洗濯もする。これであとは知床行くだけだ。終りの刻は近づいている。

8月10日(土)あこがれの知床、一日目

 霧雨の中さらに北へ。キャンプツーリングの必需アイテム、トイレットペーパーがもう切れてきたので、ここらへんの公園のトイレでがめてGo! ハイペースでいよいよ知床の南側の基地、羅臼へ到着。混みそうな国設キャンプ場に早めに場所を確保し、荷物を置いて街へ。どういう訳かカツ丼がメチャ喰いたくなったので食堂で昼飯。うまいぞー!
 さて知床の南側は、ここからさらに相泊という集落まで“果て”に向かい道路が伸びている。疲労たまってるし雨降ってるし、いちいち50km往復ピストンするのはメンドーだからやめようかとも思ったが、葛藤の末、『知床』を満喫しに来たんだからやめたら後悔するぞと思い直し、走りにゆく。そしたら自分のいるところが急に晴れてきて、嬉しくて鳥肌が立ち涙もジンときた。やがてまずセセキ温泉、満潮時は水没する“海中温泉”だ。面白くていい湯だった。

picture
これが日本の公道最期のお姿
 そしてさいはて相泊で道は途切れた。公道日本最“北東”端とのこと。しかしこれで満足する私ではない。コンブ納屋が時々連なる海岸沿いを、さらに果てを求め歩く。誰もいない。結局15分ほど歩いたところで、まだ遥か先にある岬までは行けるわけないだろ、と諦め引き返す。海岸ぶちにある相泊温泉にも入る。男女別だが熱くて好み。あるライダーからさらに知床の情報も得た。
 あとはひたすら羅臼へ戻る。そもそも往復50kmなんてサイクリングに目覚める前には思いもよらない長距離だったなあ。腹ペコになってやっとキャンプ場に辿り着き、飯喰ったあとに近くの野天風呂、羅臼温泉『くまの湯』につかる。これで一日3温泉制覇した。どれも基本的に無料の露天風呂。知床の羅臼側でやるべきことはやった。今日は本当によく走ったなあ。

8月11日(土)耳にも焼き付く知床旅情

 雨の多い羅臼を発ち、疲れのたまっている足に無理を強いて知床峠へ登る。今、自分はあこがれの知床横断道路を走っているんだと言い聞かせ、休むことなく峠に着いた。
 やっぱり深い霧。とにかくご褒美にと、怪しい屋台で焼とうきびを買う。今度は下り坂。少し下りると一気に霧が晴れて、眼前に青いオホーツク! さすがウトロ側だ。さらに背後には緑の羅臼岳。何度も急ブレーキをかけて景色に見入る。そしたら、これまで何度かパンクしていた後輪がまたパンク。よく見ると、タイヤがあまりにも摩耗しきったため、チューブがむき出しになっている。しょーがないのでパンク修理用パッチを直接タイヤに張り付けて穴を塞ぐという、何ともいい加減な応急処置でその場をしのぐ。あとはなるべく急ブレーキを慎むようにして、知床北側の基地・ウトロの街まで下りた。
 よっしゃ昼に出る観光船にどうにか間に合った。多くの便は手近な硫黄山行きだが、私は一日1便しか出航しない遠くの知床岬行き(上陸はしない)を選んだ。せっかくこんな遠くにやって来ているのだから岬まで行かないともったいない。時間ありし者の贅沢である。チケット代6000円は痛い出費だが。
 で、出航。もう二度とここへは来られないかも知れないので、その断崖絶壁の連続をしっかり目に焼き付けるように。なるほど道路が作れないわけだ。男の涙(滝)も見える。知床大橋も見える。地元漁師しか接岸することのない番屋もある。明るい森も広がっている。奇岩の数々もある。

picture
日本のさいはて・知床岬
 いよいよ岬が近くなって、私も甲板に出てみた。あ、知床岬の灯台だ。さらにその遥か向こうに、雲から頭を出した山が確かに見える。あれこそ失われた島「クナシリだ!」…思わずかすんだ声が出てしまった。この光景は船のスピーカーからかかるBGM『知床旅情』と共に一生忘れることはないだろう。さようなら知床岬、そして国後。船はウトロへ引き返す。天気もよく知床連山の眺めもまた素晴しい。
 キャンプは国設知床野営場へ。

8月12日(日)女性は知床に憧れない?

 ここのキャンプ場に連泊するので荷物はテントの中に置き、風呂道具だけ持って出発。今日は北東方面の知床林道へのピストンだ。久々に朝から晴天に恵まれた。

picture
静寂の知床五湖
 まず無料の岩尾別温泉、原生林に包まれる露天風呂。そして知床五湖を遊歩する。第一湖では、フナにカッパエビセンを大量投入してるオバサンが何人もいて、やな気分。自然を何だと思ってるのかしら。しかし第二湖以降、風のない鏡のような湖面に映る原生林と知床連山が、めちゃめちゃ美しい。来てよかったぁ〜。これはマジで来てみないと判らない美しさだ。まるで湖の中にある理想郷。第五湖まで周遊した。
 さらに奥地へ向かう。ダートに乗用車がよく通るので砂ボコリがひどい。それさえなければ景色最高のダートなのに。時々キツネに餌をやる心無いドライバーも見かける。自然を何だと思ってるのかしら。
 やがてカムイワッカ着。ここから湯の滝までは“沢登り”をしなければいけない。うっかりビーチサンダルをキャンプ場に置き忘れてしまったので、ハダシで登るハメになった。沢に足を踏み入れるとさっそく流水がぬるく、登るにつれてあったかくなってゆく。これは感動モノだ。ちなみにこの沢登りは結構危険で大変だが、手すりなど諸設備は一切無く自然のままである。観光客多いのにこの事実はまた驚異的だ。だいぶ登って、やっと「一つ目の滝壷」へ。滝に打たれてみたら口に湯が入った。酸性ですっぱい。
picture
カムイワッカ湯の滝
 さらに上には屈強な男しか行けないという「二つ目の滝壷」があるという。私はそれにハダシのままチャレンジ、これが大変。ただでさえ痛い足の裏が、岩肌のそこかしこを流れる熱湯に触れたときはアチチッチじゃすまない。苦労してようやく着いた。うわさと違い女の子もいるぞ(男連れだが)。ここが日本で究極の露天風呂。やや熱めのその湯に感動し、沢を引き返すことにした。
 帰りは行きよりもっと大変だ。どんなに慎重に下りても、ハダシではよく滑り何度か転んでしまう。ちょっと二の腕を打撲した。若い私でさえこれだから、そうとう怪我人が出る筈だと思んだけど・・・。それにしても若い女だけで来てる旅人は全くいない、妙に男の多い観光地だった。「男は知床に憧れるものだ」と勝手に解釈。
 知床林道のここから先は、完全通行止で塞がれているので引き返す。国道まで戻ったところの『自然センター』で休憩。コケモモ&ハマナスソフトクリームなるものを喰ってたら、背後から頭をぶっ叩かれた。班合宿の時の“もう一人の二年生”登場!(ちなみに同じアパートの隣の部屋に住んでいる。)「ついに現れおったな!」今日、あとは彼と行動を共にする。
 旅館のウトロ温泉に入りにいく。一昨日に続き、今日も一日3温泉制覇である。これで知床に思い残すことは何もない!! そしてメシ、やっぱ一人より二人のほうが食事も楽しい。食後、酒を飲みながら語り合う。班合宿はあれでよかったのか、とか。ずいぶん長話して、各々のテントへ帰った。私は明日が長らく続いたサイクリングの最終日になる。

8月13日(月)ステーションビバーグ略してステビー

 今朝も好天。二人で土産店を物色していると店のおばちゃんが「チャリダー?」と言ってコーヒーをいれてくれた。いくつかお土産買った後「また会おう」と彼と別れ、またひとり、最後のランを西へ。オホーツクの青い海が何だかもったいない。ライダー達と手を振りあうのも最後の日である。斜里町の直線路も惜しむように走る。小清水原生花園にも寄る。斜里岳を背景にした濤沸(とうふつ)湖の放牧風景も美しい。
 ところで朝から始まっていたスローパンクは、だんだんスローじゃなくなってきている。パンク修理は面倒臭いしゴールももうすぐなので、5〜3kmごとに空気入れるという応急処置で先を急ぐ。

picture
網走駅で、ゴール!
 そしてJR網走駅に到着。パンパカパーン! これでサイクリングは全予定を完遂した。あとは帰りの列車の旅が待っている。銭湯で旅の疲れを癒し、今夜どこで眠ろうかということになった。すると駅の軒下で寝袋にくるまる連中発見。私もそれにならうことにした。初めての駅寝である。

8月14日(火)北都札幌の友人

 駅寝はあまり眠れなかった。いい経験にはなったが。今日明日は青春18きっぷの旅、茨城まで普通列車を乗り継いで帰らなくてはならない。『18きっぷ』は貧乏人にとって頼もしい限りの切符であるが、その旅程の過酷さは覚悟しなくてはならない。
 まずは鈍行列車『ペパーミントトレイン』。車内にまともなジュース自動販売機があるし、席も意外に快適で気に入った。北見から快速に乗り換え、ボロボロになった地図をめくって昨日までの道程を振り返ったり、時刻表を眺めたり。列車の中で積木将棋をしてるナイスな(バカな)連中が愉快。旭川からはようやく電化され、札幌。

picture
ススキノにて、エッヘッヘ
 実はここで、札幌に帰省中の(ギター・マンドリン部の)友人と会う約束をしてあった。予定通り落ち合い、テレビ塔など観光案内してもらう。「幸せつかむには?」「とりあえずギタマンやめよう!」など笑い話(いや、笑えない?)。ススキノも案内してもらい、二人はネオンに溶け込むように消えていった・・・。
 ンな訳あるかい! ビール園でビールまでおごってもらい、お礼を告げて別れた。札幌駅から、夜行快速『ミッドナイト号』に乗り込む。用意周到、1ヵ月前に指定席券を入手しており、私と似たような貧乏人でごったがえす自由席の地獄を味わわずに済んだ。快適リクライニングだ。

8月15日(水)そして旅人は倒れる

 快眠のうちに朝、函館。前ランでぶらついた街なので見慣れた雰囲気。快速海峡号に乗り換え、かの青函トンネルを潜る。アナウンスや電光掲示板が海底240mの旅を演出してくれる。さようなら北の大地北海道、本州に帰ってきました。スポーツ新聞を読んでみると、巨人の快進撃が伝えられている。
 そして青森での短い乗り換え時間、急いで特急「はつかり」に乗る。ここから八戸までは特急を利用しないと、どうしても今日中につくばに帰れない。金はかかるが仕方ない。この方法は鉄道に詳しい友人に教えてもらった。
 八戸からはひたすら鈍行、乗り換えを繰り返す。だんだんうんざりしてきて、地図を見る気も失せてきた。車窓に夕暮れのスーパーを見かけると、つい買い出ししなくちゃ、とあせってしまう。もうそんなことしなくていいのだ。風景はごく本州的で、北海道に慣れきってしまった私の目にはかえって違和感を感じちゃったりする。
 ヒマでヒマで気が狂いそうになる夜11時、ついに終着、土浦駅。長かった・・・。自転車を組み立て直して、我がアパートの部屋に帰るころにはもう日付が変わり旅は31日目に突入していた。なつかしい自分の部屋、やっと定住生活が戻ってきた。とにかく今は休みたい・・・。

 非日常が日常になる一ヵ月のツーリングもついに終った。まさに人生の一大イベントを成し遂げた達成感。いや最大イベントだったかもと、終ってしまったことを少し惜しむ気持ちもある。きっと北の大地での日々は、一生、自分に誇れる“経験”として胸に刻み込まれただろう。
 総走行距離は日数が多すぎて正確に計る気がしないが1500kmは軽く越えている筈。でもそんな数字より、もっと大切なものを得た。それを今後よく確かめていきたい。

[end]


return むらよし旅日記(目次)へ戻る
back 戻る…『サイクリング部全体合宿』道東編