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自分にとっての“地の涯”へ
全13泊の合宿の日々が過ぎ去り、再び、ひとりになった。体力・精神力ともだいぶ使い果たしたが、それでも行かねばならない所がある。知床…。半島を周遊する道路などなく、岬のほうは滅多に人間が足を踏み入れることのないといわれる、日本に残った最後の“地の涯”。旅を続けているうちそんな大地の呼び声が、日に日に増してくるように感じた。求めあい引かれあうように旅先を知床へ定め、とりあえずは列車で根室に向かうことにした。
8月8日(木)考えさせられる場所
コンパによる二日酔いはなく目覚めのよい朝。合宿を共にした連中とはアッサリ別れ、釧路の街を少しぶらぶら、幣舞(ぬさまい)橋なども見てからJR釧路駅で輪行。駅前でまた合宿の連中に再会したが、同じ列車に乗る人はいなかった。本当にひとりになって、今夏1回目の青春18きっぷを使い、東へゆく快速ノサップ号に、分解した自転車と自分の身を委ねる。車窓からは、日本とは思えない原野と岬の情緒。途中、霧多布などの名所をパスしてしまうことになるが、日程的な都合で仕方ない。限られた日数は知床に重点的に費やすことにしてある。
ホームが一つしかない終点根室駅を降りて、自転車を組み立て終るころにはもう午後3時半を回っていた。夕刻。それでも結構遠い岬を目指して東へ走る。すると意外に早く岬の灯台が見えた。「よし、もうすぐだ!」ところが自転車を漕げども漕げども近づかない。その実体は某財団が建てた巨大展望塔だったのだ。そろそろみんなとはぐれたのが精神的に応えてきて、「いったい私はどこを走っているの?」と切ない気持ちになってきた。
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8月9日(金)前も後ろも何もない北海道
公園でのラジオ体操に目を覚ました。西へ走り、いい感じの風蓮湖を横に眺めつつ厚床駅。ここから北へ、内陸を開陽台へ向かうかどうか迷ったが、風向きに任せて海岸沿いに尾岱沼へ向かうことにした。廃線跡もある道をそれて“野付国道”に入るといよいよ交通量が少ない。でも時々はライダーやチャリダーに抜かれたりすれ違ったりして、そのたび手を振りあう。これが心強くて、ひとりでも大丈夫になってきた。
途中『北方領土展望台』に(懲りずに)寄って北方領土の歴史を学ぶ。思想のミギヒダリ関係なく、この辺の人々の想いは切実そうである。ところでしかし天気はイマイチで国後島は見えなかった。また自転車を北へ走らす。前も後ろも何もない北海道。
やがて尾岱沼青少年旅行村キャンプ場に着き、シャワーを利用したりこの旅最後の洗濯もする。これであとは知床行くだけだ。終りの刻は近づいている。
8月10日(土)あこがれの知床、一日目
霧雨の中さらに北へ。キャンプツーリングの必需アイテム、トイレットペーパーがもう切れてきたので、ここらへんの公園のトイレでがめてGo! ハイペースでいよいよ知床の南側の基地、羅臼へ到着。混みそうな国設キャンプ場に早めに場所を確保し、荷物を置いて街へ。どういう訳かカツ丼がメチャ喰いたくなったので食堂で昼飯。うまいぞー!
さて知床の南側は、ここからさらに相泊という集落まで“果て”に向かい道路が伸びている。疲労たまってるし雨降ってるし、いちいち50km往復ピストンするのはメンドーだからやめようかとも思ったが、葛藤の末、『知床』を満喫しに来たんだからやめたら後悔するぞと思い直し、走りにゆく。そしたら自分のいるところが急に晴れてきて、嬉しくて鳥肌が立ち涙もジンときた。やがてまずセセキ温泉、満潮時は水没する“海中温泉”だ。面白くていい湯だった。
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8月11日(土)耳にも焼き付く知床旅情
雨の多い羅臼を発ち、疲れのたまっている足に無理を強いて知床峠へ登る。今、自分はあこがれの知床横断道路を走っているんだと言い聞かせ、休むことなく峠に着いた。
やっぱり深い霧。とにかくご褒美にと、怪しい屋台で焼とうきびを買う。今度は下り坂。少し下りると一気に霧が晴れて、眼前に青いオホーツク! さすがウトロ側だ。さらに背後には緑の羅臼岳。何度も急ブレーキをかけて景色に見入る。そしたら、これまで何度かパンクしていた後輪がまたパンク。よく見ると、タイヤがあまりにも摩耗しきったため、チューブがむき出しになっている。しょーがないのでパンク修理用パッチを直接タイヤに張り付けて穴を塞ぐという、何ともいい加減な応急処置でその場をしのぐ。あとはなるべく急ブレーキを慎むようにして、知床北側の基地・ウトロの街まで下りた。
よっしゃ昼に出る観光船にどうにか間に合った。多くの便は手近な硫黄山行きだが、私は一日1便しか出航しない遠くの知床岬行き(上陸はしない)を選んだ。せっかくこんな遠くにやって来ているのだから岬まで行かないともったいない。時間ありし者の贅沢である。チケット代6000円は痛い出費だが。
で、出航。もう二度とここへは来られないかも知れないので、その断崖絶壁の連続をしっかり目に焼き付けるように。なるほど道路が作れないわけだ。男の涙(滝)も見える。知床大橋も見える。地元漁師しか接岸することのない番屋もある。明るい森も広がっている。奇岩の数々もある。
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8月12日(日)女性は知床に憧れない?
ここのキャンプ場に連泊するので荷物はテントの中に置き、風呂道具だけ持って出発。今日は北東方面の知床林道へのピストンだ。久々に朝から晴天に恵まれた。
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8月13日(月)ステーションビバーグ略してステビー
今朝も好天。二人で土産店を物色していると店のおばちゃんが「チャリダー?」と言ってコーヒーをいれてくれた。いくつかお土産買った後「また会おう」と彼と別れ、またひとり、最後のランを西へ。オホーツクの青い海が何だかもったいない。ライダー達と手を振りあうのも最後の日である。斜里町の直線路も惜しむように走る。小清水原生花園にも寄る。斜里岳を背景にした濤沸(とうふつ)湖の放牧風景も美しい。
ところで朝から始まっていたスローパンクは、だんだんスローじゃなくなってきている。パンク修理は面倒臭いしゴールももうすぐなので、5〜3kmごとに空気入れるという応急処置で先を急ぐ。
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8月14日(火)北都札幌の友人
駅寝はあまり眠れなかった。いい経験にはなったが。今日明日は青春18きっぷの旅、茨城まで普通列車を乗り継いで帰らなくてはならない。『18きっぷ』は貧乏人にとって頼もしい限りの切符であるが、その旅程の過酷さは覚悟しなくてはならない。
まずは鈍行列車『ペパーミントトレイン』。車内にまともなジュース自動販売機があるし、席も意外に快適で気に入った。北見から快速に乗り換え、ボロボロになった地図をめくって昨日までの道程を振り返ったり、時刻表を眺めたり。列車の中で積木将棋をしてるナイスな(バカな)連中が愉快。旭川からはようやく電化され、札幌。
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8月15日(水)そして旅人は倒れる
快眠のうちに朝、函館。前ランでぶらついた街なので見慣れた雰囲気。快速海峡号に乗り換え、かの青函トンネルを潜る。アナウンスや電光掲示板が海底240mの旅を演出してくれる。さようなら北の大地北海道、本州に帰ってきました。スポーツ新聞を読んでみると、巨人の快進撃が伝えられている。
そして青森での短い乗り換え時間、急いで特急「はつかり」に乗る。ここから八戸までは特急を利用しないと、どうしても今日中につくばに帰れない。金はかかるが仕方ない。この方法は鉄道に詳しい友人に教えてもらった。
八戸からはひたすら鈍行、乗り換えを繰り返す。だんだんうんざりしてきて、地図を見る気も失せてきた。車窓に夕暮れのスーパーを見かけると、つい買い出ししなくちゃ、とあせってしまう。もうそんなことしなくていいのだ。風景はごく本州的で、北海道に慣れきってしまった私の目にはかえって違和感を感じちゃったりする。
ヒマでヒマで気が狂いそうになる夜11時、ついに終着、土浦駅。長かった・・・。自転車を組み立て直して、我がアパートの部屋に帰るころにはもう日付が変わり旅は31日目に突入していた。なつかしい自分の部屋、やっと定住生活が戻ってきた。とにかく今は休みたい・・・。
非日常が日常になる一ヵ月のツーリングもついに終った。まさに人生の一大イベントを成し遂げた達成感。いや最大イベントだったかもと、終ってしまったことを少し惜しむ気持ちもある。きっと北の大地での日々は、一生、自分に誇れる“経験”として胸に刻み込まれただろう。
総走行距離は日数が多すぎて正確に計る気がしないが1500kmは軽く越えている筈。でもそんな数字より、もっと大切なものを得た。それを今後よく確かめていきたい。
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