むらよし旅日記・其の二十四(最終回)

 ラストツアー〜全都道府県制覇に向けて〜

1999年3月6日〜3月29日 

 一章 丹後踊れば若狭一色

3月6日〜3月10日 

background: 3/9撮影『伊根の舟屋集落』

目標達成への最後の旅…南へ。

 日本は計47の都道府県に分かれている。旅人たちの目標の一つに、その全てを回るというのがある。国内旅行をする者にとって、それが一番分かりやすいステータスだからだろう。私もいつしかそれを目指して自転車ツーリングを繰り返してきた。ただ全てを回るのではなく、走った道のほどんどを繋げつつ。そして、筑波大学サイクリング部に在籍して4年、いよいよ残り4県というところまで来た。…
 卒業するための単位稼ぎといったものに馴染めず、2つの部活動に傾倒してきた私は、ついに大学中退を決意した。将来への不安は、考えればきりがない。こうなってしまった私は非難されもしたが、しかし励ましてくれる人もいた。
 3月。学生として最後の月となってしまった。4月からは独立して働いていくので、気軽にロングツーリングをするには最後の機会になるであろう。4年間で完成させたかった『全都道府県制覇』、その最終目標を“沖縄県”に定め、いま、南への旅に出る。

3月6日(土)ラストツアー〜全都道府県制覇に向けて〜

 旅に出てしまうと、しばらく愛用のクラシックギターを弾けなくなってしまう。だから旅立ち前に、時間の許す限りギターを弾く。またどこかのユースホステルに、ギターが置いてあるといいな。
 つくば名物『ランランのBIG丼』を食べ納めする。食べ応えは相変わらず流石である。ツーリング前のこの“ランラン納め”は恒例であるが、今度こそ、以降いただく機会がなくなってしまうかも知れないから、よく噛み締めるのだ。
 夜9時を越え、すでに列車に載せて“輪行”するために分解・袋詰めしてある自転車ごと、自動車で友人H瀬に駅まで送ってもらった。もう、つくばでのだらだらとした日常に別れを告げなくてはならない。この旅から帰ったら、すぐにアパート引越し、そして独立生活のための職探しをしなくてはならないからだ。
 彼に礼を言い、青春18きっぷを使ってJR常磐線に乗り込んだ。そうか、オレ、旅にいままさに出るところなんだ。うっかり無自覚なまま始まって、そして終わってしまいそうだ。
 東京駅で、西への旅の定石といえる夜行快速列車『ムーンライトながら(全席指定)』に乗り換え。

 きっと、楽しくなるよ…。

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3月7日(日)雨の原発街道

 やはり夜行列車では眠り足りない。しかも朝から車窓は小雨模様で、ややブルーな心境だ。「また雨かよぉ。」前ラン初日は雨が降る、というのがジンクスになってしまっている。
 米原駅で北陸本線に乗り換え、午前9時に旅の出発地、福井県敦賀駅に着いた。合宿前の個人ラン“前ラン”は、海沿いに若狭湾沿岸、そして丹後半島を走る予定だ。このマイナーっぽい地域に旅情を求めて。
 自転車を組み立て、テントや調理具など家財道具を積んだ“フル装備”でいよいよ出撃する。敦賀といえば気比の松原。日本の白砂青松100選にして日本三大松原にも数えられる名所。だがこの天気では風情は今一つである。ともかく日本海の海水には触っておこう。
 雪が少し残る敦賀半島馬骨峠を越え、原発も眺めつつ岸沿いに西へ。地図を見ると、あの『もんじゅ』も近くにある。若狭湾岸はそのリアス式の地形、人口の少なさ、そして大都市への距離の都合からか、日本一の原発街道なのだ。まさかメルトダウンは起こすまい?
 普通に走っているつもりだが、体力が落ちているのか、なかなか目的地が近付かない気分だ。複雑な地形が不思議と湖沼群を造っている三方五湖では、その複雑さゆえ方向感覚を失い、少し迷ってしまった。空が晴れていないと、美しいはずの湖も鉛色になってしまうのは残念。雨足は強くなったり弱くなったり、その度に一喜一憂。しかし雨をはじくように大声で歌を歌いまくるのは好き。曲はやっぱりブルーハーツやハイロウズがバッチリだ。
 小浜市で昼食予定だったが、このペースではとても無理だ。美方町のスーパーでパンを買い食いし、そのままベンチでうとうと、うつ伏せになって半睡。しばらくすると店のオバチャンが「どこかエライの!?」とびっくりして声をかけてきた。いかんいかん、また出撃しなくては。
 今日中に東舞鶴まで、という予定は大幅に下方修正。無謀な計画を実行できる脚力は、もはやなくなってしまっているみたいだ。これでは予定通り二日間で丹後半島まで走り切る、というのも出来ない。葛藤の末、三日かければよい、ということにした。合宿前に四国も少し走っておきたかったが、それは諦める事にした。まぁ、先は長い。無理はせんとこ。
 夕方にようやく小浜に到着し、屋根付きステージのある小公園を見つけた。これで夜の雨をしのげるぞ。でも明るいうちからオン・ステージは恥ずかしい。公園の東屋で炊事・食事をして、暗くなるのを待ってからステージ下にテントを設営する。キャンプ生活が始まった。それにしても久々のソロキャンプ自炊は、御飯もオカズ(炒めもの)も上手に出来ず、美味しくなかった。夜7時に就寝。

 幸先は良くないけど、大丈夫、大丈夫…。

3月8日(月)念仏峠ノ呪イ

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波穏やかな小浜湾
 夜の寒さはギリギリしのげ、よく眠れた。朝5時半に目が覚めたが、外はまだ暗い。6時半にもう一度起きると、明るい! 待望の太陽も出ている。
 テントをまず撤収し、朝飯定番の納豆めしをかっ込んで、出発。いつのまにか太陽はまた雲に隠れてしまい、向かう先の西の空は無気味に暗い。なかなかスッキリとはいかないみたいだ。
 小浜湾は穏やかな入江で、いい感じ。しかしタイヤが2ケ所パンクを起こした。修理に使うゴムパッチがもう残り少なくなってきた。
 国道27号“丹後街道”を少しそれ、塩波峠を越えてやっと京都府に入り、一安心。しかし東舞鶴を越えたところでまたパンク。後にして思えば、この時クギが刺さっていた。
 西舞鶴。3年前の合宿の出発地がここだった。駅前のラーメン屋が当時を偲ばせる。そのまま、3年前と同じ道をトレースしながら、さらに西へ向かう。
 念仏峠という低い峠がある。前に越えた時は、同行のH瀬がそこでパンクをしている。…いやな予感がした。そしてそれは見事適中! まさにそこ念仏峠で私は、またまたパンクしてしまったのだ。これが悪夢の始まりだった。いくら直しても、どっかから空気が抜けてしまう。そもそもチューブの寿命が終わっているのだ。せめて替えチューブだけでも新品のしっかりしたものにしておけば良かった。タイヤ自体もすり減り切ってやばいし。
 さんざん時間をかけ、夕闇せまる。ついにパッチを使い切ってしまった。仕方なく、西舞鶴の街へ歩いて戻る。距離は5kmほど。歩きのスピードでは、とても長く感じる。もう、旅をやめてしまおうか…。自分は自転車旅行のベテランだ、なんていい気になっていた。たかがパンクでここまで泣かされるなんて、甘かったよ。
 西舞鶴の自転車屋でパッチを購入、これで旅の続行は可能になった。しかしもう空は真っ暗。近くの田辺城跡公園に、首尾よく小雨をしのげる集会場の軒下を見つけ、ここでキャンプ。問題は、明日走らなければならない距離がずいぶん長くなってしまったことだ。頑張るしかない。

 どんな苦難も、きっと決してムダではない貴重な経験になってゆくと、いいな。

3月9日(火)近畿最北の果てにて

 こういう公園キャンプは、警察と悪人の両方が敵だから、あまり安心できない。だから無事朝を迎えられるとホッとする。田辺城跡を少し散歩。今日も曇天だ。
 念仏峠、今度は知りうる限りの念仏を唱えながら越えてみる。「ナンミョーホウレンゲーキョー」「ナムアミダブツ」「オダブツダブツ」「ハンニャーハーラー」……(それだけかい)、よっしゃ、パンク無しで通れたぞ。
 宮津市の智恩寺でおみくじを引いたら久々に大吉が出た。そこから京都府の日本海側を代表する名所、というより日本を代表する日本三景『天橋立』の砂州を、文字どおり橋代わりにして渡り、丹後半島へ至る。海岸沿いに半島をぐるっと回るのだ。すると今回の旅で初めて、自分以外の“チャリダー”とすれ違った。こんな時期に日本海側を旅するチャリダーなんて滅多にいないものだ。

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荒波のカマヤ海岸
 丹後半島の先端に位置する伊根町は、半島ツーリングのハイライト。まずは『伊根の舟屋』。民家の一階が漁船のドックになっていて、入江に直結している。それがずらっと何十軒も並んだ景観は、辺境文化の渋さを感じさせる。そんな街を抜けると、海涯には見事な千枚田。なにもこんなに無理して米作らんでも…、と思える急斜面である。その先は、まさに地の果て。人気(ヒトケ)のない崖がそのまま海に落ちるさまは、荒々しい。果ての雰囲気がなんとも言えない。
 そんな地形では、海岸沿いの道といえども平坦な訳がない。アップダウンが多く、ちっとも距離が進まないのだ。足がつらい。…上り坂の時、決まって頭の中に流れる音楽がある。組曲“展覧会の絵”の『ビドロ』だ。かつてギター・マンドリン部の合奏で、自分がバスギターを担当した曲だ。暗く鬱なメロディーに4分音符のリズミカルなベースラインが、つらい呼吸に同期して脳裏に張り付くわけである。
 最北端の経ケ岬は越えた。しかしこのままでは、目的地の城崎に到着するのは夜になってしまう。気持ちは焦るが、アップダウンに阻まれてなかなか先に進まない。途中でパンやジュースを補給しつつ、出来るだけ急ぐ。北近畿タンゴ鉄道と並走。湖のような久美浜湾は風光明美。夕暮れ迫る中、三原峠を越えた。これがラストの峠で、兵庫県入り。
 結局ナイトランになってしまった。ダイナモ(発電機)ランプをジージーいわせて、最後の力を振り絞る。そして、倒れ込むようにJR城崎駅へ到着。ついに来たぁ…。今日は自分のツーリング史上、最も「よく走った」日ではないだろうか? 足は無理しすぎてボロボロだ。無謀な計画だったよ。
 簡素にカップラーメンなぞ食ったら、眠くなってしまった。しかしここに来て城崎温泉に入らない訳にはいくまい。ゲタの音ひびく街の雰囲気を楽しみつつ、歩いて地蔵湯という外湯へ。必要以上に溜まってしまった疲れを取るように、なるべくゆっくりゆっくりつかる。足へのマッサージは欠かせない。
 駅に戻る。公園を探したり、テントを設営する気力はもうない。そのまま駅の待合室のベンチで横になる。多分、ここで夜を越せるだろう。

 雲の切れ間に星が見えるようになっていた。明日からこそは晴れてほしい。

3月10日(水)東中国ローカル線の旅☆夢気分

 せまいベンチは寝心地が悪く、しかも猛烈に寒かった。そのまま眠るのは諦め、あたたかい缶茶を買い飲みし、少々面倒ながらシュラフ(寝袋)を広げて寝る。今度はだいぶ寝心地が良くなった。…
 …目覚まし時計鳴らねぇし! 予定時間ギリギリに目が覚めた。早朝の列車に飛び乗る。間一髪間に合ったのは、ある意味奇蹟だ。外はまだ暗い。
 今日は四国で行う合宿の集合日。列車輪行で向かうのだが、ここからならけっこうマニアックな路線を辿ることができる。まずは山陰本線、もちろん電車なんかではなく気動車である。夜明け前の日本海に、漁り火がいくつか浮かんでいるのが良い。乗客は少なく、「鎧」や「余部」などの駅の風情がたまらない。ぼちぼち鳥取市に向かう学生が乗り込んできた。
 鳥取駅からはさらにマイナーな因美線に乗り換える。因幡と美作を結ぶから因美線。うっかり途中で眠ってしまったが、乗り継ぎの智頭駅直前で目が覚めるから不思議だ。単行(1両編成)汽車で岡山県津山市に入ると、H瀬が実家からの通学に使っていたという美作滝尾駅にも停車。おー、これがか。親友の出身地ということで、一目見ておきたかったのだ。『男はつらいよ』シリーズ最終作の舞台にもなったこの駅は、やはりファン好みである。
 津山線、瀬戸大橋線と順調に乗り換えていき、昼には四国上陸、坂出駅に着いた。次の列車まで時間があるので、ここで讃岐うどんを食べる。気のいい店のおばちゃんがミニみかん3コくれた。うれしい。
 予讃線を乗り継ぎ、愛媛県の瀬戸内海側、伊予西条駅に到着。愛媛県に足を踏み入れるのは生まれて初めてだ。合宿はここから。連中が来るまで時間がまだあるので、町チャリ屋で新品のママチャリタイヤに履き替えた。出費がちょっぴり痛いが、もうタイヤが限界だったから仕方ない。そろそろ集合時間なので、再び駅へ向かった。

 ひつこいようだが、私は鉄道マニアなんかではなく、鉄道ファンである。


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