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九州横断、長崎へのあこがれ
2年目の春。サイクリング部の合宿先は九州に決まった。いつものようにキャンピング班の班合宿はちゃんと参加する予定だが、全体合宿の方は、限られた日数の中で“九州横断”をしつつ長崎に行くという個人的な目標があったため、途中で別れて個人ランを組むプランを立てた。
自転車は愛車のランドナー『ハイランドレディ』が事故でオシャカになってしまったので、泣く泣く買い換え『ハイランドレディII世』と名付けた。もちろんブリヂストンのランドナー(TRAVZONE)しかもオリーブ色である。
3月8日(土)2日掛かりの鈍行輪行
今回も慌ただしく出発の日を迎えた。この旅で、疲れきって何もかも面倒臭くなってしまった私の心を治せるといいな…。JRの鈍行列車に乗り込み、九州に向かってひたすら西へ行くことになる。
3月9日(日)楽しい?列車の長旅
首尾よく指定券をとってあった夜行快速ムーンライトながら号では、まあそこそこ眠れた。今日も東海道本線そして山陽本線をひたすら西へ、鈍行18きっぷ。
岡山駅で乗り換えのとき、同行の後輩の一人が「さっきの電車に荷物置き忘れた・・・。」とりあえず本人に駅員への対応を任していたら、余計とんでもない事態になりかけていたので、班長である私が介入してなんとか事無きを得た。あとは本人がこのことで気を落さぬように。そうそう、私がキャンピング班の班長に就任して初めての班合宿なのである。
車窓の瀬戸内海も過ぎ、夜になって鈍行乗り継ぎにずいぶんヘトヘトになった頃、ようやく北九州市小倉駅に到着。私は鉄道がちょっと好きなので(コ鉄ちゃんという)それなりに楽しく充実した旅だったが、みんなはそうでもないんだろうな。
自転車を組み立て、駅前のレストランで夕食を採った後、地元ヤンキーが「あそこがいいよ」と教えてくれた足立山公園というところまで走った。おっ、キャンプ場まである。さあとっとと寝よう。
旅行中にいろんな人のコト考えると、人間ってもんが見えてくるんじゃないかなあ。
3月10日(月)カルストの美しき
高台の道を走ると、百万都市北九州市の眺め。広い街ださすがに。途中の駅で、班合宿の最後のメンバーも合流。これで6人となった。
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3月11日(火)先輩の実家
天気は好転した。英彦山天狗ラインを登り、修験道の九州総本山である英彦山神社の泰弊殿にも寄る。もう昼を過ぎた。
ここまでが福岡県。大分県側に下りると、川沿いにサイクリングロードを発見したので、これを北東に走る。実はこの道は耶馬渓鉄道の廃線跡で、駅の跡なんかも残ってるし、移り変わる景色、渓谷美も飽きない。名所『青ノ洞門』も寄るだけ寄って、先を急ぐ。なにしろ今日も距離が長く、また日が暮れてしまいそうだ。ここ数日、疲れは溜まる一方。私がこんだけつらいのだから皆も、とくに後輩はもっとつらいのだろう。
やっとの思いで、宇佐神宮前にある先輩Yさんの実家にたどり着いた。今夜はここで風呂と食事と寝床をお世話になるのである。班長である私は、疲労ですっかり思考回路がダウンしていて、どう礼儀をしてよいか判らなかった。しかし我々は温かく迎えられ、御家族と一緒に、名物だんご汁などなど豪華で大量の食事をご馳走になった。ビールも入った。
やがて寝る時間、ここで古いクラシックギターを発掘! これでしばらくギターの禁断症状を抑えられるぞとばかりに、勝手に弾かせてもらった。
九州人の親切を受けまくりの日々である。でも今日は尋常じゃなく疲れた。
3月12日(水)宇佐神宮、暁の出撃
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3月13日(木)九州横断開始へ
両子寺を参拝してのスタート。おみくじは大吉だったが、空は憂鬱な雨。熊野磨崖仏なるデカい石仏、ふーん。昨日買った三度笠は行く先々で、年配の人になぜか誉められてしまった。
途中、今日帰る先輩2人と別れた。我々は夕刻、別府へ。私のわがままで別府外港に寄らせてもらう。なぜなら“九州横断道路”はここが始点だからだ。
ここからサイクリング部全体合宿初日の宿、別府ユースホステルまでが意外に長く、きつい登り坂。最強クラスの“ユース坂”で今日もまた疲れて、到着。これで班長としての責任からしばらく解放されるが、それにしても心身ともにつらい班合宿だった。しかし各所でいろいろ親切を受けたのが、大きな救いであったのは言うまでもない。
さて全体合宿の始まり。参加人数が11人とヤケに少ないのは寂しい。とにかくやど泊となり、洗濯乾燥、温泉、ベッド。気は休まる。ユースには伝説のサイクリング漫画『サイクル野郎』の第1巻があり、なんとも恥ずかしいストーリーに感激。