イギリスの思い出 Part1


ローラ

私が初めて愛した猫 ローラ


なぜイギリス?

私が突然留学を思い立ったのは、新卒で就職してから5年目のことでした。簡単に言えば仕事に行き詰まったのです。辞めたいけど本当の理由は説明できない。寿退社の予定も全くない。というわけで、留学なら誰も文句は言わないだろうと思い決めてしまいました。

でも、実は留学したいという希望はその前からずっとありました。その前の年に、働いている25歳以下の人だけが参加できるというアメリカへの研修旅行に参加したのですが、すっかり学生時代の英語すら忘れてしまっていた私は何がなんだかチンプンカンプンで、せっかくのホームステイでもホスト ファミリーとまるでコミュニケーションが取れず残念な思いをしていたのです。それがきっかけで英語学校に通い始めたのですが、週に1回程度のレッスンではたいした進歩もなく、ちょうど仕事もいやになったし、それならいっそのこと外国に行ってしまえということになったわけです。

イギリスを選んだ理由は簡単です。アメリカは治安が悪くて怖いから。特にイギリスやヨーロッパに興味があったわけではありません。あと、仲介してくれた語学学校に日本語で書かれた現地学校のパンフレットがあり、その学校がたまたまイギリスだったからというだけのことでした。オーストラリアには全く関心がなく、なぜか最初から選択肢にありませんでした。そのころは、イギリスの通貨がポンドであることや、4つの国で構成されていることなども全く知らないまま、退職して8日後には機上の人となりました。

1軒目のお家

留学と言えばやはりホームステイ。私も最初はホームステイを選びました。そしてイギリスについてまず最初にお世話になった家は70歳代の老夫婦と犬が1匹いる家庭でした。二人ともとても親切にしてくれて、特に奥さんは 「勉強に来ているんだから、とにかく何でも口に出して話しなさい」 と言って、私にスピーキングの基礎をたたき込んでくれました。おかげでスピーキングは比較的早く上達したような気がします。この家の奥さんは料理好きで作ってくれる料理は何でもおいしかったため、喜んで食べていたらなんと3ヶ月滞在させていただいた間に見事10 kg太りました(^^ゞ。3ヶ月後に奥さんの仕事の都合で家を移ることになり、この家を離れました。

タンブリッジウェルズ

1軒目のお家から見た風景

2軒目のお家

移った先のお家は3階建ての大きな家でした。50代後半のご夫婦と犬が1匹、そして他にもホームステイの学生が二人いました。ご夫婦共に音楽の先生をしており、家にはピアノが2台も (しかも1台はヤマハが) ありました。私は子供の頃からずっとピアノを弾いており、ピアノが一番のストレス解消法なのですが、1軒目の家にはピアノがなく寂しい思いをしていました。それが、今度はいつでもピアノを弾いて良いと言われたのです。うれしくてたまりませんでした。しかし、弾けるとはいってもたたく程度で技術はたいしたことがないので、恥ずかしくて家に人がいない時を選んで弾いていました。

ご夫婦にはドイツ人の友人が何人かおり、私がこの家にステイしている間にこの友人の家から同級生の娘さん達が二人ステイに来ました。彼女達はまだ16歳と若く、明るく元気で、私とも仲良くしてくれました。ある日、私がピアノを弾いていると、外出から帰ってきた彼女達が部屋にやってきて私のピアノを聞き始めました。そのうち、どちらともなく楽譜を見てリクエストをするようになり、それに応えて弾いていたのですが、楽譜の中に弾き語りの本が1冊入っていました。

私は基本的にはとてつもない恥ずかしがりなので、人前はおろか、家族の前でもピアノを弾くことは滅多にありません。そんな私に、弾き語りをしろと言うのです。困ってしまいましたが、どうしてもと言うので1曲だけ歌うことにしました。彼女達は私の歌がいたく気に入った様子で、結局それから別のホームステイの学生も交えて延々と1時間私は弾き語りを続けることになったのでした。

彼女達とは、その後ドイツの彼女達の家に遊びに行ったり、彼女達がロンドンのフラットに訪ねてきてくれたりするほどの仲良しになりました。あれからもう10年近くがたちますが、この家のお父さん (お母さんは6年ほど前に他界) と彼女達とは今でもまだ文通を続けています。

3軒目のお家

2軒目のお家で3ヶ月過ごした後、私はロンドンへ引越しました。(それまでいたのはケント州というロンドンまで電車で1時間ほどの所です。) このお家は2軒目のお家に輪をかけた大きさで半地下を含めた4階建て、部屋数が16もある大きな家でした。(ちなみに、居間は30畳くらいあったでしょうか?) 私はここではホームステイではなく、大きい家の3階にあるフラットと呼ばれるキッチンとバスルームのついた2部屋から成る1画を隣の部屋の間借り人と二人で使い、食事は自炊というスタイルで生活していました。

家はロンドン南西部のウィンブルドンに近い高級住宅街にあり、中流でもかなり上のほうの家庭のようでした。大家さんは、だんなさんが画家兼美術大学の教授、奥さんは私が通う公立学校の英語教師、そのころ同居していた3番目の娘さんはオペラ歌手という芸術的なご一家でした。1階の居間にはピアノがあり、誰も使っていなければいつでもピアノを弾いて良いとフラットを借りる時に許可をもらっていたので、ピアノがなくて寂しい思いをすることもありませんでした。この家にはトータル2年間お世話になり、大家さんやそのご両親、娘さんや息子さんまで含めて、皆さんにとても親切にしてもらいました。

ロンドン

3軒目のお家の裏庭
夏には菜園で採れた野菜をおすそわけしてもらったり
秋にはりんごの木になったたくさんの実をみんなでひろったりしました。

そして猫との出会い

この家にはローラとアーチー (本名はアーチャボールド) という同腹の兄妹猫がいました。どちらもイングリッシュ ショートヘアなのですが、ローラは真っ黒な女の子、アーチーはブルーの男の子です。同腹なのに毛色が違うの?と思うでしょう。実はこれにはわけがありました。

大家さんのお友達が猫のブリーダーか何かで、自宅で飼っていたイングリッシュ ショートヘア ブルーの猫を同種のブルーの猫と交配しました。これなら黒猫は絶対に生まれません。しかし、いつもは完全室内飼いなのに、やはり発情のせいかある日一晩だけこの母猫が脱走してしまったのです。そして心配していたところ、案の定生まれた子猫にはブルーに混じって1匹だけブラックの子猫がいました。つまり、母猫は脱走した時に黒っぽい猫と浮気をしてしまったのです。実は猫という動物は、1回の発情中ならば違う相手と交配した場合それぞれの相手の子供を同時に妊娠することができるのです。

というわけで、意図した相手意外の猫とも交配したことが一目瞭然で、しかも同腹で種類の違う猫が生まれてしまった場合、ブリーディングの世界ではいくら純血種のように見えても同腹の子猫全てが売り物にならなくなるのだそうで、大家さんが困った友人からローラとアーチーを譲り受けたのでした。

ローラとアーチーは兄妹でありながら、見た目も性格も全く違う猫でした。ローラは敏捷で活発、狩が得意でしょっちゅう鳥やねずみを捕ってきては大家さんに悲鳴をあげさせていました。アーチーはおデブでのんびりやさん、食い意地がはっていていつも寝てばかりいました。

イギリスの思い出 2 に続く

Last Update: 2003.2.2