病院について Part3

I 病院

おかあちゃんが事故にあった事がきっかけで、とても良い病院にめぐり合う事が出来ました。この病院は高速道路を使って行かないと1時間半もかかってしまう距離にあるので、遠くて通うのが大変ということと毎回高速代がかるという難点がありますが、それでも十分に通うだけの価値がある病院です。本来の目的であったおかあちゃんを診察してもらうことはできませんでしたが、最近ではもっぱらお兄ちゃんがお世話になっているのがこの病院です。

2000年12月ころのことです。この年の冬は例年にない厳しさで、連日朝の最低気温が氷点下の日が続いていました。そのせいかおかあちゃんの腸の活動が低下してしまったらしくほとんどうんぴがでない状態になってしまいました。その悪循環で食欲もめっきり落ちてしまい、どうにか少しでも食べてもらおう、少しでもうんぴが出やすいご飯をあげようと思うのですが、なかなか思うようになりませんでした。実はおかあちゃんが事故にあったばかりの時、主催しているwebサイトに記載されていたメールアドレスを頼りに図々しいとは思いながらも、かの石田 卓夫先生にメールで相談したことがありました (日本の獣医学界の権威のお一人と言っても過言ではないくらいの著名な先生です)。その時も多忙をきわめるでしょうにすぐにお返事を下さって、いろいろなアドバイスをいただきました。

幸いその時はおかあちゃんの容態が落ち着いたので数回メールを交換しただけだったのですが、非常に親切に対応していただいた事を思い出して、図々しくもまた相談してみようとおかあちゃんの様子を説明したメールを書きました。この時もすぐにお返事をいただいたのですが、やはり検査などをしてどこがどうなっているのか調べてみないことには正確な対応ができないのではと言われました。しかし私が住んでいる地域には、設備とスタッフの両方が整った信頼できる病院がありませんとメールを書くと、今度は住んでいる場所を教えてくれればもしかしたら信頼できる病院を紹介できるかもしれませんという素晴らしく親切なお返事をいただきました。そこで住所と、通えるであろう最大限の範囲を連絡したところ、院長が石田先生と大学時代に同級生だったので良く知っているし、技術やスタッフの点でも信頼できる病院があるからとおっしゃって、少々遠かったのですがこのI病院を紹介して下さったのでした。

石田先生には、おかあちゃんが人にはまったく慣れていない生粋の野生猫なので実際病院に連れて行けるかどうかはわからないと断っておきましたが、それでも「もし病院に行ったら自分の紹介と言えばきっと親切にしてくれるから」とまでおっしゃってくださいました。石田先生は技術だけでなく、実は一番大切な「飼い主の心のケア」まできちんとしてくれる本当に立派な先生なのだと心から感謝しました。そこで、せっかく先生に病院を紹介していただいた事だし、おかあちゃんを連れて行けなくても万が一の時のために場所を確認して、話を聞きながら様子を見てこようと思いたち、ネットで調べた地図を片手に病院に出かけました。

とても都合の良いことに、病院はインターチェンジを下りてからわずか3つ目の信号の先にありました。 (あまりに近すぎたのと地図が少々古くて目印にしていったお店が変わっていたため、最初は通り越してしまいましたが…(^_^;)) かなりの距離を戻ってなんとか病院にたどりつき、2重になっているガラスのドアを通り抜けて病院の中に入ると大きなカウンターがありました。そこで受付の対応をしてくださった看護士さんに 「東京の石田先生の紹介で来たのですが、院長先生とお話できますか」とたずねると、ちょっとびっくりされたような表情ですぐに院長先生を呼んできてくださいました。

院長先生は白髪混じりの見た目は50代くらい、長い白衣を着ていました。だまっていると何だか機嫌が悪そうで、いきなり怒られそうなちょっととっつきにくい感じがするのですが、話を始めるとまったくそんなことはなく、とても親切にいろいろな事を教えていただきました。もちろん、おかあちゃん本人を連れて行って診察してもらうことができれば一番良かったのですが、何せその時はまだ近寄ることすらできないような状況だったので、どう考えても無理でした。しかしおかあちゃんの容態は徐々に悪化しているように思えます。そこでこの先おかあちゃんが万が一の状態に陥ってしまった場合にはどうやって連れてくればよいかとたずねると、最後の手段として今入ってるケージごと連れてきても良いとまで言ってくれました。

その上、「事故後の捕獲した時にうちの病院に連れてきてくれていれば、もう少し手の施しようがあったかもしれないのに」と言われました。(あとで聞いてわかったことなのですが、この病院は年中無休で夜中でも急患に対応してくれるのです。) 私も、おかあちゃんを捕獲した時にこの病院に連れてきていれば、おそらく状況はかなり変わっていただろうと思いました。でも当時はその病院の存在すら知らなかったのですから仕方がありません。最初に担ぎ込んだS病院で手の施しようが無いと見放され、祭日だった事から2番目に行ったY病院も休診日で結局治療らしい治療も受けられずに帰宅した時の無念さを思い出し、ちょっぴり悲しくなってしまったのでした。でも、今更悔やんだところでどうにもならないので、とにかく最後まで出来る限りの手は尽くそうと決意も新たに、お礼を言って病院を後にしました。

その後おかあちゃんはいろいろな対策が功を奏してか何とかもちなおし、連日マイナス15℃という極寒の冬も乗り切り、夏になって激しい発情を何度も繰り返しましたがそれも何とか乗り越え、とりあえずその後1年間は目だった変化も無く過ごしていました。そして最期は、数時間前まで普段と変わりない様子だったのですがあっけなく逝ってしまい、結局おかあちゃんはこの病院にはお世話にならずに終わりました。

病院について Part4 に続く

Last updated: 2003.2.23