小次郎くん Part1

小次郎くん 名 前 こじろう
生年月日 1998年6月17日 (ころ)
現在満4歳
性 別 元男の子
好きな物 お魚全般
好きな人 にこちゃんの
おかあちゃん
特 技 威嚇


猫が鳴いてる!

忘れもしない1998年7月19日の夕方、仕事から帰宅した私はお兄ちゃんを抱っこして庭を散歩していました。夕暮れの空を眺めたりしながら裏の畑の方へ行こうとした時です、物置小屋のあたりから耳慣れない声が聞こえてきました。お兄ちゃんも声のする方向をじっと見つめていますが、姿は見えません。それはどう考えても子猫の鳴き声でした。

私は鳴き声の主を確認すべく、まずお兄ちゃんを家の中に戻すと、もう一度物置小屋の声のする場所へ行きました。声は物置小屋の壁の外側につまれたガラクタの中から聞こえてきますが、やはり姿は見えません。鳴き声と共にウーという低い唸り声も聞こえてきます。私はそこでひとしきり悩みました。このガラクタをどければそこにはきっとかわいい子猫がいるだろう。でも、そこに子猫がいたとして、その子猫をどうするのか?家で飼えるのか?面倒見きれるのか?両親は何と言うだろう?お兄ちゃんとの相性は?もしかしたら伝染病かもしれないし…などなど、たくさんの事が頭をよぎりました。

結論は出ないまま、とりあえず私は猫の様子を確認することにしました。ガラクタを一つ一つどけていくと、そのうちかすかに子猫の姿が見えました。1匹と思っていましたが、何と2匹の子猫がいました。相変わらず大きな声で鳴いています。ウーという唸り声も続いています。そうこうしているうちに母親が帰宅しました。私は興奮しながら 「ちょっと、来て来て!」 と行って母親を呼んで来ました。そして鳴いている猫を見せたのです。すると母親は 「冗談じゃない、すぐにどこかに捨ててきなさい!」 と怒って家に入っていってしまいました。すっかり落ち込んだ私は父親に望みをかけることにしました。それからしばらくして、今度は父親が帰宅しました。私はまた父親を呼んできて猫達を見せました。すると父親は 「そんなもの、今すぐ山へでも捨てて来い!」 と母親に輪をかけた怒りようです。私はペシャンコにへこんでしまいました。

しかし、見つけてしまった以上放っておくわけには行きません。とりあえず一晩の宿だけでも貸してあげようと、たたんであったケージを持ち出してきて新聞紙をしき、物置の中にケージをセッティングしました。そして、唸り声は気になったものの、恐る恐るガラクタの中に手を入れて子猫を拾い上げました。1匹は黒猫、もう1匹は白とグレーのブチ猫でしたが、2匹の大きさは倍と半分ほども違います。黒猫は普通のきれいな子猫でしたが、ブチ猫はガリガリにやせていて歩くこともままならず、右目は目やにで完全に塞がっています。そして、いつまでもミャーミャーと鳴いていました。

私は家に入って何か食べるものはないかと探しましたが、お兄ちゃんのドライフードは固すぎて食べられそうもありません。そんな時お兄ちゃんのおやつに買っておいたなまりぶしが冷蔵庫にあったことを思いだし、小さくちぎってケージの中に置きました。すると、黒猫はものすごいスピードでなまりぶしを食べますが、ブチ猫は見ているだけでなかなか食べられません。適当なころあいをみて黒猫を引き離しても、ブチ猫は自分では食べられないのです。そのうち家の中から母親の呼ぶ声がしたので、その日は外へ行きたくなれば自分で出て行かれるように、できれば朝にはいなくなっていて欲しいと願いながらケージの入り口を開けたまま家に入ってしまいました。

どうしよう、まだいるよ〜

翌朝、ケージを見に行くと、子猫たちはまだそこにいました。昨日の唸り声の主である母猫が周囲をウロついて、子猫達に早く逃げて来いと誘いますが、子猫達はまだ良く歩けないのか母猫について行きません。そうこうしているうちに、両親が物置の様子を見に来ました。ケージまで作って餌をやった私をとがめ、早く捨てて来いと言い残して両親はでかけて行きました。その日は会社は休みだったので、私にはゆっくり考える時間がありました。しかし、考えても考えても結論は出ません。でも、自分の手で捨ててくることだけはできません。自分の意思で出ていってくれれば…ただそう願って半日が過ぎました。

昼が過ぎて、相変わらず母猫は子猫たちを呼んでいますが、子猫達が出て行く気配はありません。もしかしたら私は勝手に親切と思いながら、実は親子を引き離すような残酷なことをしているのではないか…母猫の叫ぶ声を聞きながらそんな自責の念にかられ、私は思い立って猫たちをケージから外に出し、後は母猫にまかせることにしました。元気な黒猫は母猫がついていれば大丈夫でしょう。そして、私が放したことでもしガリガリで片目のブチ猫が生き残れなくても、その時はそれがその子の運命なんだ…と一生懸命自分を納得させることにしました。

母猫は自分が先に立って歩き、石垣を上がった一段上の廃墟へと向かいました。黒猫は一生懸命母親の後をついていきましたが1mほどある石垣はどうしても登れません。そこで母親は黒猫を懇親の力を込めてくわえ上げ、石垣を登りました。ブチ猫はと言えば、ほとんど歩くこともできずただその場所で鳴いています。母親は小柄な三毛猫で、もう一匹をくわえて上の廃墟まで運ぶにはどうも体力が無い様で、困った表情を浮かべながら石垣の上で鳴いています。私は仕方なく、「これで最後だよ」 と言いながらブチ猫を石垣の上まで運び、そこで意を決して子猫達にお別れをしました。

子猫達のことが頭から離れないまま、午後は過ぎました。しかしそのうち空はだんだん暗くなり、強い風が吹いて雨の気配がし始めました。そうなると、また子猫のことが心配になってきます。一度はお別れをしたのだから…とさんざん悩んだ末にやはり心配になって子猫の様子を見に行ってみると、母猫はおらず子猫たちは吹きさらしの草むらの中で身を寄せ合って母猫を待っていました。「このままでは本当に死んでしまう!」 そう感じた私は、考える間もなく子猫たちを拾い上げ、また物置のケージに連れかえってしまいました。そして、前日の残りのなまりぶしを与え、その日はそのまま物置小屋を離れました。

翌日も会社は休みでした。両親は私が子猫をまだ物置に置いていることを怒っていました。母猫が一晩中子猫達のまわりで鳴きつづけていたこともあって、両親は 「母猫がいるんだからまかせておけば良いんだ。親と離されて子猫達が可哀想だ」 とも言いました。それは私も考えていたことです。しかし、今ここでケージから出してしまえば、子猫達は死んでしまうかもしれません。私にはどうしても子猫を見殺しにすることはできませんでした。

そこで、私は折衷案を考えました。元気で比較的心配のない黒猫を母猫に返し、かなり危ない状態のブチ猫を手元に残すことにしたのです。もし元気になったら里親を探すからということで、何とか両親の了解も取り付けました。そして黒猫をケージから出すと、2匹はまた上の段の廃墟へと向かっていきました。

ちょっとマジでヤバイかも…

残されたブチ猫はケージの中でずっと鳴いていました。しかし、なまりぶしを与えても食べようとしませんし、右目もふさがったままです。昼前に両親が外出したのをみはからって、子猫をタオルをしいたティッシュの空き箱に入れ、近所の獣医のところに飛んでいきました。先生はまず体重を量りました。体重はわずか120gでした。歯がはえていたことから、おそらく生後1ヶ月は経っていたと思われるのに、生まれた時の体重とほとんどかわらない重さだったのです。次に塞がっている目の目やにを拭きとってまぶたを開けてみましたが、眼球は完全に白濁し、ほとんど視力は無いようでした。先生からも 「この目は一生見えないかもしれないね」 と言われました。次に体温を測りました。結果は通常の体温よりもかなり低く、エネルギー不足に陥っているので危険な状態であると言われました。

目薬と抗生物質と針のない注射器をもらって子猫を連れかえりましたが、その先生も開業したばかりのせいか、子猫の面倒をどう見るかという話は何もしなかったことに気づき、仕方なく自分で考えられるだけの対処をすることにしました。まず、保温にはポケットカイロだと考え、ドラッグストアに行ってカイロを探しました。真夏のさなかにカイロがあるのか不安でしたが、ちょうど一番小さいサイズのものがあったので、それを購入しました。次に離乳食を購入しました。固形はまだ食べられないようなので、粉をお湯でとく離乳食ならば食べるかと思ったのです。それらを購入し急いで帰宅しました。子猫は最初に発見した時よりもかなり元気がなくなり、あまり動かなくなっていましたが、とりあえずお湯で溶いた抗生物質を注射器に入れて飲ませました。

タオルの間にカイロを敷き、その上に子猫を寝かせその日はずっと様子を見ました。夜までに子猫はほとんど動かなくなっており、つつくと多少動く程度の反応しかしなくなってしまいました。このまま死んでしまうのかも…、もっと早く病院に連れていっていれば…、後悔ばかりが先に立ちますが、どうしようもありません。次の日は仕事があったため、カイロを新しいものに交換し、生きていることだけを祈って出勤しました。

当時私が勤めていた会社は自宅から自動車で3分の場所にあったため、毎日昼食は自宅に帰って取っていました。昼休みになり、自動車の運転ももどかしく家に飛んで帰りましたが、猫は相変わらず前のめりになったような格好で眠っていました。とりあえずまだ生きている…少しだけ安心してまた会社へ戻りました。結局その日は一日そうして猫はただ眠っていました。

翌朝、猫が少し動くようになったので、離乳食に抗生物質を混ぜて注射器に入れて口元へ持っていってみました。すると、注射器の口に一生懸命かじりついて離乳食をむさぼるように食べます。この食欲なら大丈夫かも!少しずつですが自信がわいてきました。相変わらず食餌の時間以外は寝ていますが、だんだん動きが大きくなってきたようです。朝、昼、夕方、寝る前と1日4回離乳食と抗生物質を与えた結果、1週間後には自分でお皿から離乳食を食べられるまで元気になりました。目も目薬のおかげか、少しずつですが開いてきました。きっと大丈夫、それだけを信じてせっせと裏の物置へ離乳食を運びました。

1週間後に再度病院に行き、先生にエイズと白血病の検査をお願いしました。その頃までに、自分ではすっかりその猫を家で飼うつもりになっていたのです。しかし、家に入れる前に病気の検査だけはしておかなければ、お兄ちゃんに万が一のことがあってはなりません。しかし、子猫が小さすぎて十分な血液が採取できないので、今は検査は無理だと言って断られてしまいました。その日から、子猫と私のジプシー生活が始まりました。

小次郎くん2に続く

Last Update: 2003.2.3