涙のお別れ

今日で楽しかったロンドンでの生活もおしまい、日本に帰らなければなりません。この3日間残念ながらあまりにゃんずと触れ合う機会が無かったので、今日こそはたくさん写真を撮ろうと朝からはりきって待ち構えていました。そして朝ご飯をいただきにキッチンへ行くとお腹を空かせたにゃんずがTerryを待っていました。(にゃんずの世話はTerryの担当です。) しかしTerryはすぐ近くのプールに朝のひと泳ぎに行ってまだ帰ってきていなかったので、Joanが私に日本から持参した猫缶をあげてみたらどうかと言いました。二人は毎朝カルカン (トール缶) を1缶ずつもらって夕ご飯になるまで好きな時間に少しずつ食べるのが習慣なのだそうです。そこでさっそくナチュラルバランスのチキン缶とオーシャンフィッシュ缶をアーチーとローラの食器にそれぞれ出しました。普段食べなれないご飯なのでお口に合うか心配だったのですが、基本的にアメリカからの輸入フードですから肉がベースになっていて、チキンはもちろんオーシャンフィッシュ缶もお魚を食べないイギリスの猫にも大丈夫なようでパクパクと食べてくれました。(お腹が空いていただけのことかもしれませんが(^^ゞ)。

おデブで大食漢のアーチーはペロリと完食、ローラも女の子らしくハグハグして半分くらい食べたところで一旦朝ご飯は終了になりました。すると今度は庭に出たいというので、裏庭に続くキャットドアを開けて外へ出してあげました。その日も天気は快晴で私もにゃんずの後をついて庭に出ました。朝の空気はすがすがしく、とても気持ちの良い朝でした。あたりの匂いをかいだり、庭に生えている草をかじったりして歩くにゃんずの姿を追いかけてたくさん写真を撮りました。すると、カメラのファインダーから突然ローラの姿が消えてしまいました。??と思ってあたりを見回すと、庭にある2mくらいの木にローラが登っていました。私がいた頃はよくその木に登って、吊り下げてあるバードフィーダー (鳥の餌入れ) に寄ってくる鳥を狩ってはJoanに悲鳴をあげさせていましたが、さすがに年を取った最近ではそういうことも無くなったとJoanが話していました。それが突然木に登ったのです。キッチンの中からその様子を見ていたJoanもびっくりしたそうで、後で「きっとローラは○○ (私) の事を覚えていて昔の元気な姿を見せたかったのよ」と言ってくれました。

きれいに手入れされた広い (本物の) イングリッシュガーデンをにゃんず達としばらく歩き回りましたが、そのうちローラが塀を乗り越えて隣家の敷地へ行ってしまったので私も家の中に戻ることにしました。そしてキッチンで朝ご飯を食べていると、ローラがキッチンのガラス窓から中をのぞきます (キッチンは半地下なので、庭の高さとキッチンの窓の高さが同じくらいなのです)。その姿がかわいくて笑っているとJoanが 「ローラはいつもああして "ドアを開けて〜、私を入れて〜、お願〜い" というお芝居をするのよ」 と言いました。確かににゃんずを外に出した時、私がフラップのロックを外して出してあげたのでキャットドアは開いているはずです。しかしローラは何度も窓のところにやってきてはお芝居をします。そんな事を3回ほどしたところでTerryがプールから帰ってきました。そしてローラの姿を見ると 「ほら、開けてくれって言ってるじゃないか」 と言ってキャットドアを見に行ってくれました。そして 「やっぱりロックがかかってたよ」 と言って戻ってきました。そう、ローラは本当に閉じ込められていて家の中に入れなかったのでした(^^ゞ。どうやら私がロックを外したときにきちんとロックが止まらなかったらしく、何かの拍子にまたロックがかかってしまったようでした。ごめんね、ローラ!


ローラ   アーチ
花に囲まれて庭を散歩するローラとアーチー

空港へは昼過ぎに出発すれば良かったので、朝食の後もう少しおみやげを買い足しにJoanが買い物に連れて行ってくれることになりました。まず大好きなセインズベリーズに行って自分が食べるためのビスケットやお菓子をたくさん買い込み、それからセインズベリーズが独自で販売しているビニールのショッピングバッグをおみやげに3枚買いました。イギリスでは環境問題に対する意識も高いので、私がいた頃はお店で新しいビニール袋をもらわずに、使用済みの袋を再利用したり自分でお買い物袋を持っていってレジで見せると、1ペンス (2円くらいですが) を返してくれました。(違うスーパーのビニール袋を持ってきている人もたくさんいました。ぜんぜん気にしないんですよね(^_^;))

しかし、このビニール袋は薄いので複数回の使用は無理だという結論に達したのかどうかはわかりませんが、最近は厚手でしっかりした手がついていてかわいいデイジー柄のこのセインズベリーズのショッピングバッグを下げている人を町じゅうで見かけて、ついつい私も欲しくなってしまったのでした。そこで私の分も含めてセインズベリーズと聞けばイギリスを懐かしく思い出せる同じ職場のイギリス人さんとイギリスで知り合って今も仲良くしていただいているお友達にこのバッグを買いました。しかしこのバッグ、かなり大きくて厚手なのにたったの20ペンス (40円) で、一度買うとその後古くなったり破れたりしても無料で交換してくれるというある意味優れものなのです。さすが、イギリス!環境に対しては太っ腹だと思いました。

余談ですが、セインズベリーズのバッグを喜んで買い込む私の姿を見て、スーパーのレジでJoanがお姉さんに「このバッグは日本ではコレクターズアイテムになってるらしいわよ」と大嘘をついていました (もちろん冗談ですが)。でも、遠く離れた日本でイギリスでの生活を思い出す時、みんなセインズベリーズを一番に思い浮かべることは間違いないと思うのです。だって生活する事 = 食べる事みたいなものですから。もしイギリスからセインズベリーズが無くなってしまったら、イギリスの魅力が半減する!とまで思う私なのでした (^_^;)

そして家に戻るとTerryがテレビをつけていて、ちょうど中継が始まるところでした。そうです。その日はクイーンマザーのお葬式がウェストミンスター大聖堂で行われる日だったのです。そこで、滅多にない経験でもあるしとその一部始終をみんなで見る事にしました。まだ葬儀が始まる前のぞくぞくと人が集まってきているところで、世界中の皇室や王室、そしてイギリスの政界、財界、芸能界から参列者が次々と大聖堂に入ってきました。Joanが、あれはどこどこの誰だとか説明をしてくれたり、アン王女は海軍の制服を着るとかっこいいわね〜などと言いながらみんなでじっと見ていました。

ここでイギリス王室裏話

1. 葬儀の時、フィリップ殿下 (エリザベス女王のだんなさん)、チャールズ皇太子、アン王女、それにアンドルー王子はそれぞれ海軍の軍服を着ていました。私がどうして王室なのに正装は軍服なのかとたずねると、やはり最強の海軍を率いて大英帝国を築いたイギリス王室なので今でも伝統として王室のメンバーが海軍に従事することが多いのだそうです。実際アン王女 (だったかな?) はフォークランド紛争の時、戦闘に加わったとのことでした (とは言っても最前線ではないと思いますが)。でも、中には軍隊に入らない人もいるそうで、その人は普通のスーツを着ていました。

2. 亡くなったエリザベス1世はスコットランドの出身ですが、特に高貴な貴族の生まれというわけでもなく、だんな様が王様だったので本来女王になる予定は無かったのだそうです。それが何のきっかけでか (うっ、肝心な部分を忘れてしまった…) 突然女王にならざるをえなくなってしまったのですが、その後娘であるエリザベス2世が成人したので早々に即位させ自分は退位したということでした。従ってその在位期間もとても短いのですが、在位中は戦争の真っ只中でとても苦労をした人なので国民の人気も高かったということでした。ついでに、彼女はとても金づかいの荒い人で、イギリスでは王室が国で一番のお金持ちなのですが、彼女の個人資産と同じくらいの借金もしっかり残してくれたそうです(^_^;)

そして、とどこおりなく葬儀は終わり、棺を載せた車が埋葬地であるウィンザー城に向かって出発したところで私たちもテレビを見るのをやめました。そして私は最後のパッキングをして、帰り支度を完了してからみんなでハムとチーズとパンの軽いランチをいただいて出発することにしました。実は当初Joanが私を空港まで車で送ってくれると言っていたのですが、この葬列のための通行止めと私が空港に向かう時間が完全に一致してしまったので、急遽予定を変更して最初に待ち合わせをしたバロンズコートの駅までJoanが私とTerryを車で送ってくれて、あとはTerryがスーツケースをもって地下鉄で空港まで一緒に行ってくれることになったのでした。送ってくれるとは行っても空港は地下鉄で40分ほどかかりますし、Terryも大変だから一人で大丈夫と言ったのですが、どうしても送っていくと言うのでお言葉に甘えて送ってもらうことにしました。

駅についてJoanとはあわただしく車の中でお別れをして、Terryと地下鉄に乗りました。Terryは60歳を過ぎているのでロンドン市内ならば公共交通機関が全部無料で利用できるというパスを持っています。(でなければ空港までの運賃は片道800円もします。) そして空港までゆっくり座って楽しくおしゃべりをしながら行きました。空港では着いた時と同じターミナル4から出発だったのですが、Terryもほとんど利用しないターミナルだとのことで、サインを頼りになんとか出国手続きのカウンターにたどり着きました。ここで私が一番心配だったのは、スーツケースが規程の重さを超過していないかということでした。私が一番最初にイギリスに来た時、手荷物の重さに制限があるなどとはつゆ知らず、スーツケースに詰め込めるだけのものを詰め込んできたため何と超過料金として5万円も請求され(@_@)、その上機内持込の手荷物も山のように持っていたので飛行機に乗る前にゲートの入り口で係員のおじさんにしこたま怒られて、荷物のうちの1つを持っていかれてしまったことがあったのです。(一応この荷物も飛行機に積んではもらえたのですが。)

それ以来エクセスラゲッジ恐怖症に陥ってしまい、毎回飛行機に乗る時は極力荷物は増やさないようにしていたのですが、今回は缶入りの紅茶や本、それに頼まれものの瓶詰めやチーズなどがたくさん入っています。ヒヤヒヤしながらスーツケースをカウンター脇のはかりの部分に乗せると、重さはジャスト25kg。制限重量とぴったり同じ重さで、思わず「セーフ」と心の中で叫んでいました。実は重さ対策にビスケット (じつはこれが結構重いんです) は全部まとめて手荷物として持っていたのですが、小さめな布のバッグに入れていかにも軽そうに私がかついでいたのでノーチェックで済ませることができました。多分これだけで2kgぐらいはあったはずです。しかももう一つのバッグにはノートパソが入っていたのでそちらも2kgぐらいはあったでしょう。本当は手荷物も含めて25kgなので、厳密には全部はかりに載せないといけないのですが…。

そして重い荷物を預けてボーディングパスを発券してもらいましたが、まだ出発までには2時間ほど時間がありました。そこで重いスーツケースを持ってわざわざ空港まで来てくれたのでTerryにお茶でもごちそうしようとTerryの都合を聞くと大丈夫とのことなのでカフェに入って一休みしました。しぼりたてのオレンジジュースをいただいて (私がごちそうするはずだったのに、絶対ダメと言われて結局ごちそうになってしまった私…(^^ゞ) 1時間ほどゆっくりと話をしました。Terryはいかにも正統なイギリス紳士なので、とても親切で本当に優しい人です。私のシドロモドロな英語も一生懸命に聞いてくれて、猫の話や子供 (Terryは孫娘、私は甥っ子) の話をたくさんしました。

そしてTerryに 「またいつかイギリスに戻って来る?」 と聞かれました。私は動物保護活動に関心があるので今いるにゃんずがみんな天寿を全うしていなくなってしまったら、また必ずイギリスに勉強しに来ると答えました。するとTerryに 「じゃあ、もう猫は拾わないようにしないとね」 と痛いところを突かれてしまいました (爆)。私は思わず 「そうなのよ〜、それが問題なのよ〜」 と叫んでいました(^○^)。

出発まで1時間ほどになったのでそろそろ行く事にしました。出国ゲートらしきものは特になく、女性の係官が一人イスに座ってただ通り過ぎる人のパスポートとボーディングパスを見ていました。そこで私はゲートを通るまえにTerryに心からありがとうを言いました。本当に楽しい4日間で、言葉では言い表せないほど感謝の気持ちで一杯でした。そして去っていくTerryの後姿を見ながら、楽しい思い出ができたうれしさとイギリスを離れなければならない寂しさで思わず涙が出そうになってしまいました。

ゲートを通ると免税店がずらっと並んでいました。あまり時間も無かったので私は一通り走り抜けるようにお店を見てまわり、そこでいくつかおみやげを追加購入して搭乗ゲートへと向かいました。免税店に並んだ一角には自分のノートパソコンを電話回線に接続して座りながらネットができるというコーナーもありましたが、電話用のケーブルをスーツケースにしまってあったのと時間があまりなかったため、チャレンジすることはできませんでした。そんなこんなでバタバタしているうちに出発の時間になりましたがここでもクイーンマザーの葬儀が影響して、葬儀に参列した各国の要人の専用機を先に離陸させるため少々お待ちくださいなどと言われて30分ほど離陸を待たされてしまいました。それとよほど乗客が少なかったと見えて、予約した時に予定されていた飛行機より機材が小型のものになってしまったため、飛行機は意外に込んでいて一列占領して横になって眠ってくることが出来ませんでした。エコノミーの座席で小さくなりながら、また食事の時間以外はひたすら眠りつづけ、翌朝無事成田に到着しました。

飛行機の窓から 1   飛行機の窓から 2
飛行機の窓からの景色。

日本到着に続く
Last Updated: 2002.6.11