おかあちゃん Part3

お引越し

そうこうしているうちに、3週間が過ぎました。おかあちゃんは相変わらず激しい威嚇を繰り返しすこしも仲良くなってはくれませんでしたが、旺盛な食欲のおかげか表情も以前のような美人さんに戻り、被毛もきれいになってきました。ただ呼吸だけは相変わらず浅い呼吸が続いていました。当初、長生きはできないものと予想していたため、便宜的な住まいを提供したのですが、すでに狭いケージの中で3週間も経過してしまい、トイレは毎日掃除しているとはいえ、他の部分はこぼれた水や餌、ちぎれた段ボールくずなどで、相当ひどい状態になっていました。そこで思い立って、新しいケージを購入することにしました。

以前からホームセンターで目星をつけておいたアイリスの2段のプラケージ(大)を購入しました。家には同じケージの小型のものがありますが、お兄ちゃん達が使用しているためそれを転用することはできません。それに小型ではやはりスペースが少ないため、長期的な飼養には適していないような気がしました。今度はかじられないように、ボア付きのドーム型ベッドも購入し、さっそく家に帰って組み立てました。

組立はすぐに完了しましたが、まだ問題がありました。ケージの移動です。それまで、ケージを合体させるという方法を何回かためしてはいたのですが、その度に失敗しており、しかも今回はケージが大きいため屋外でおかあちゃんを移動させなければなりません。もし脱走でもされたら大変です。そこで今回は両方のケージの出入り口の部分を極端に小さくし、かろうじておかあちゃんが通れるくらいのスペースだけを残してあとは出入り口を段ボールでふさいでしまいました。

プレハブ小屋からおかあちゃんとトイレを入れたままケージを担ぎだし、組み立てた新しいケージと合体させました。次に仕切り板としてはさんであった段ボールを取り、おかあちゃんが両方のケージに行き来できるようにしました。おかあゃんは当初古いケージ内をウロウロしていましたが新しいケージに入ることはなく、いつもの習性でそのままケージのコーナーに座りこんでしまいました。しかし、偶然私がそのコーナーの延長線上に出入り口を開けていたため、丁度おかあちゃんがそのままバックすれば新しいケージに入るという好都合な形になりました。そこで、私はおかあちゃんめがけて息をフッとかけました。おかあちゃんはこれが大嫌いなのです。いやがるおかあちゃんは一歩さがりました。しめたっと思い、息をフッとかけてまた一歩、またフッとかけまたまた一歩、そうして知らず知らずのうちにおかあちゃんは後ずさりを続け、気がつくとそのまま新しいケージの中に入ってしまったのでした。おかあちゃんはわけがわからすキョトンとした顔をしていましたが、すぐに仕切り板を差し込み、ケージの戸を閉めて今度は新しいケージをプレハブの中へ担ぎ込みました。あいにくこの日両親は外出していたため、全部一人でやったのですが、後で気づくとケージを持ち上げた時にできたと思われる青あざが足の至るところにできていました。

おかあちゃんが下の段にいる間に上の段にベッドを入れ、上の段にいる間に下の段にトイレを入れ、引越しは完了しました。新しい清潔なケージで、多少の上下運動もできるようになり、ボアのベッドも入って少しは環境が改善したと思います。また、これを機にフードもドライに切り替えました。やはり市販の猫缶に総合栄養食というのはあまりなく、特に体力の落ちているおかあちゃんには高カロリーで安心なフードをあげたいと思いました。それに、今度はケージの中が広いので、水入れを置くこともできます。そこで、お兄ちゃん達が食べているアズミラのドライを与えることにしました。

ドライフードと水入れを置いた翌朝、ケージに行ってみるとやはりおかあちゃんは水入れをひっくり返してケージの中が水浸しになってしまいました。しかし、ドライフードへの切り替えをやめるわけにはいきません。仕方なく、水は置かずにフードだけを置いて夜まで様子を見ることにしました。昼ごはんも水なしでドライだけを置いておき、夜ご飯のためにプレハブ小屋へ行くと、おかあちゃんはお腹を空かせて待っていました。そこで、まずドライフードだけを与え、そろそろ喉も乾いた頃だしと思い、今度は水入れに少しだけ水を入れてケージの中へ入れました。おかあちゃんは最初水入れを手でつついてひっくり返そうとしましたが、私が 「これひっくり返すと、もう水は飲めないよ。」 と言うと、おかあちゃんは手を止め、じっと水入れを見ると、水入れの水を飲み始めました。やはり一日ドライフードだけを食べていたせいで喉がかわいていたのでしょう、水入れの水を飲み干してしまいました。そこでまた水入れに水を継ぎ足すと、またちゃんと水を飲みました。まるで言葉がわかったかのような行動でしたが、おかあちゃんはきっとわかっていたんだと思います。それ以降一度として水入れをひっくり返したことはありません。

まぁ〜良く食べること

アイリスのプラケージにお引越しして、フードをアズミラに替えてから、おかあちゃんの食欲が爆発しました。とにかくパクパクと良く食べるのです。私も食欲があるのは元気な証拠と、毎日山盛のフードをあげていました。それから3日ほどして、やはり問題が生じました。下痢です。フードの量を少なくしたり、缶詰を与えたりして様子を見てもなかなか治らず1週間が過ぎてしまったため、捕獲した日に休診だったY動物病院へ、セカンド オピニオンを聞くことも兼ねて相談に行く事にしました。

事情を説明すると、先生は交通事故に遭ったという別の猫たちのレントゲン写真を見せながら、いろいろとお話をしてくれました。まず、事故に遭ってから1ヶ月以上経過しても呼吸が治らない原因は、肺が外傷性の損傷を受けているのではなく、やはり横隔膜ヘルニアが疑われること、呼吸以外に異常はなさそうなので、後遺症の中でも比較的軽い方だと思われること (もちろん運が悪ければ即死でしょうし、重い後遺症になると自力で排泄ができなくなってしまったりということがあるそうです) などを説明してくれました。結局この日は当の本人 (猫) を診察できないので、ただ下痢止めの薬と整腸剤、それから下痢用の療法食をもらって1週間様子を見るということで帰ってきました。

幸い2日ほどして下痢はおさまったので、次の週に様子を報告しながら再度先生のところへ相談に行きました。おかあちゃんの現在の状況は何となくわかりましたが、私が一番聞きたかったのはおかあちゃんが元気になるのか、治るのか、ということでした。それがわからなければ、おかあちゃんはいつまでケージの中で生活しなければならないのかわかりません。おかあちゃんの面倒を見ることは苦になりませんが、これまで自由気ままに外の生活を楽しんできたおかあちゃんをケージに閉じ込めることに、とても罪悪感を感じていました。しかし、おかあちゃんをケージから出すには、おかあちゃんが元気になって避妊手術が完了していなければなりません。

そこで、先生に何とか手術をお願いできないかと聞きました。(前回相談した時は、できそうな口ぶりだったのです。) しかし、横隔膜ヘルニアの手術が成功するのは事故に遭った当日か遅くとも翌日までで、それ以降は手術をしても成功率が非常に低いこと、そしてヘルニアになったままの状態で安定してしまったものを無理やり元に戻すと、そのショックで死亡する可能性が高いという話になりました (それならそうと、最初の時に話してくれればいいのに…とちょっと思いましたが)。とりあえずおかあちゃんは元気になったのに、あえて危険な手術をして万が一死んでしまったりしたら、私は悔やんでも悔やみきれないでしょう。

そこで仕方なく手術はあきらめ、今度はケージの中で生活することについて意見を聞いてみました。すると先生は、常に周囲に神経をはりめぐらして警戒したり、餌を求めてうろついたり、その日のねぐらを確保したりするストレスはケージに入れられ続けるストレトの何倍も大きいもので、例え狭いケージの中でもそんな心配をせずにのんびり暮らせるのならば、絶対その方が幸せであると言ってくれました。それに、手術をせずに今の状態でおかあちゃんを外に放せば、冬を越せないことは目に見えているとも言われました。幸か不幸か、おかあちゃんは呼吸が浅いので激しい運動はできません。つまり、ケージの中で安静にしていることが一番とも言えます。

そして安住の地へ

こうして、いろいろな状況を考えた末に、私の中で1つの結論が出ました。いつまで生きられるかわからないけれど、おかあちゃんにできる限り安心で快適な余生を送らせてあげたい…そう考えました。おかあちゃんにはこれ以上の治療を受けさせてあげることはできそうもないし、これから先ケージから出してあげることもできないかもしれないけど、でもできる限りストレスの少ない、快適な生活をしてもらおう、そう決心したのです。

となれば、まずは住環境を整えなければなりません。プラケージがそこそこ大きいとは言え、歩くことも爪を研ぐこともままならない狭いスペースではあまりに可哀想です。そこでプレハブ小屋の中を整理してもう少し広いスペースを確保し、確保したスペースを何かで仕切ってその中で生活してもらおうと考えました。場所は西側で窓のある日当たりの良い一角に決めました。そこでまずプレハブ小屋の中のがらくたを順に外へ出し、何とかスペースを確保しケージを移動しました。

しかし、問題は仕切りです。いろいろ考えましたがなかなか良い方法がみつかりません。そんな時、いつも猫の問題が起きるとすがりついてしまうネットで知り合ったとても親切で頼りになる方から、部屋を仕切るのではなく、大きな箱状のものを作ってその中に入れてしまえば簡単ではないかというご提案をいただき、父親に相談したところ、その方法が一番簡単だし費用も少なくてすむということになり、さっそく材料を調達して父親と2人がかりで大型のケージを半日がかりで作成しました。一見すると鳥小屋のようですが、なかなか頑丈でそこそこ立派なものができました。

そこで、意気洋々と2人で大きなケージを担いで (これが結構重かったんですが) プレハブ小屋へと運びました。しか〜し、ここで大きな問題が発生しました。作ったケージが大きすぎたのです(爆)。一般住宅の間取りではだいたい窓やドアの高さは180pになっています。そこで、入り口の高さを測らずに勝手に180pと思い込んで簡単な設計図を書いて作ってしまったのですが、実際の入り口の高さは160pしかなかったのです。プレハブ小屋の配置のため、ケージを斜めに倒して入れることもできません。仕方なくその日の設置はあきらめ、翌日ケージの足を切って低くすることにしました。

翌朝、父親が柱を20 cm切り落として高さを調節し、ケージは無事にプレハブ小屋に納まりました。今まで使っていたプラケージもこの大ケージの中に入れました。やはり警戒心の強いおかあちゃんのような猫には、だだっ広いスペースよりも何かあった時に逃げ込める、安心できる一角が必要だと思ったからです。(もちろん1段目の戸は開け放してあるので、プラケージからは好きな時に出られます。) 床にはブロック式のカーペットを敷き、砂が飛び散らないようにフードと出入り口のドアがついたトイレも新しく買いました。爪とぎもカーペットタイプと段ボールタイプの2種類を用意しました。ケージを置いた西側の窓ガラスはすりガラスになっていたので、日光浴をしたり外を見たりできるようにと外してガラス屋に持ち込み、透明なガラスと交換してもらいました。

こうしておかあちゃんの新居はどうにか整い、4ヶ月近くが経とうとしていますが、特に外に出たがる様子も暴れたこともありません。教えたわけではないのに爪とぎは入れた翌日から使い始め、トイレも1度として失敗したことはありません。天気の良い日は窓から差し込む光にあたりながら、プラケージの中のドーム形ベッドから首だけ外に伸ばして、たら〜んとなって眠っています。相変わらず威嚇が激しくてプラケージの外からしかお顔を拝見することはできませんが、とても美人でお利口な自慢のおかあちゃんです。いつまで一緒にいられるかわからないけれど、おかあちゃんが生きていてくれる限り、穏やかな毎日を過ごさせてあげたいと思っています。(ここまで2001年1月記)


さよなら、おかあちゃん

2001年12月15日、おかあちゃんがお空に旅立ちました。
最期まで本当に立派な猫さんでした。
とっても悲しかったけど、でもいつまでも忘れずに残して
おきたかったので、最期の写真も撮りました。
おかあちゃんに最期のお別れをして下さる方は、
どうか開いてみてください…。

さよなら、おかあちゃん

Last Update: 2003.2.1