をやじくん 名 前 をやじくん
生年月日 不明
性 別 元男の子
好きな物 不明
好きな人 にこちゃん
特 技 抱っこ

をやじ君を見かけるようになったのは1999年の秋頃でした。おかあちゃんと一緒に連れ立ってよく散歩をしており、そのうちおかあちゃんと一緒に餌場にも来るようになりました。をやじ君は目が薄いグリーンで、とってもかわいい顔立ちをしており、おかあちゃんが惚れるのも無理無いな…という感じの二枚目にゃんこさんです。

なぜをやじ君か?

1999年7月頃、ある1匹の猫を保護しました。その猫は1999年の春先におかあちゃんが産んだ子猫で (小次郎の父親違いの弟になります) その後ずっと見かけることはなかったのですが、ある日突然ズダボロになって助けを求めてきたのです。大分成長してはいましたが、とにかく全身傷だらけでガリガリにやせ、熱もあるようでした。つついても持ち上げても全く抵抗しないので、とりあえずS病院に連れていき診察してもらいました。抗生物質の注射をしてもらったり、寄生虫の虫下しのお薬を飲ませたりして、あんあん鳴くのでアーちゃんと名づけてケージに入れて3週間ほど看病しましたが、1ヶ月たってエイズの検査をして陰性だったら飼ってあげようと思っていた矢先のある日、いつもケージを掃除している間はアーちゃんをリードでつないでケージの外に出していたのですが、その結び目がほどけて脱走したきり、アーちゃんは二度と帰らぬ猫となりました。(直後には2、3回目撃しましたが、ここ2年ほどはまったく姿を見ないのでもう死んでしまったのかもしれません。)

で、アーちゃんがいなくなってから現れたのがをやじ君だったわけですが、しっぽの長さと茶ブチの模様が一緒だったことから、アーちゃんの父親だろうということになり、おかあちゃんの彼氏だからをやじ君でいいか〜と安易な名前をつけてしまいました。2000年の春先に産まれてすぐ死んでしまったおかあちゃんの子猫も茶ブチだったと聞いたので、きっとこのをやじ君が父親でしょう。でも、亀井君から1週間後にをやじ君も去勢してしまったので、もうをやじ君が父親になることは二度となくなってしまいました。

をやじ君との不思議な体験

をやじ君はもともと我が家の周辺をテリトリーとはしておらず、どちらかというと坂を下っていった先のエリアがテリトリーのようでした。そして、そのテリトリーには別の三毛猫がおり、どうやらそちらの三毛猫もをやじ君の彼女だったようで (二股かけてたのね) やはり2000年の春先に茶ブチと真っ黒な2匹の子猫が産まれて、よく母子3匹で歩いているのを見かけるという話を風の噂に聞きました。

そして2000年9月のある日、そう、おかあちゃんが事故にあってから1週間ほど経った時でしょうか、おかあちゃんが目撃された事故現場から100mほど離れた同じ道の道端で今度は自動車事故に遭って死んでいる子猫を見つけました。私は会社からの帰り道で近所のスーパーへ買い物に行く途中だったのですが、すでに辺りは薄暗く最初は何だか白いものが道に落ちているな…と思っただけでした。しかし、スーパーからの帰り道にまた同じ所を通ると、やはりまだ白いものがあります。スピードを落としてヘッドライトの灯りで目を凝らして見ると、やはりそれは子猫の死体でした。

そこから我が家までは50mほどの距離でしたので、とりあえず一旦家へ帰り、猫が死んでいることを両親に話しました。両親はそのうち誰かが片付けてくれるだろうから関わるなと言いましたが、私はおかあちゃんの事故から1週間するかしないかのうちにまた猫が事故にあい、しかも今度は命まで落としてしまったという悲しみがあまりに大きくて、どうしてもそのままにはしておけませんでした。

裏の畑のすみに穴を掘ってもらうよう父親に頼みこんで、私は段ボール箱と古いバスタオルを持って家を出ました。早く行かないと、猫の死体が車に踏まれて手のつけようがなくなってしまうかも しれません。そして、我が家の一段下にある一戸建ての借家が並ぶところまで坂をおりてきた時のことです。ふと目をやるとをやじ君がある借家の前にポツンと座っていました。そしてそこから10m足らずのところに、今度はアーちゃんがポツンと座っています。2匹はお互い別々の方向を向いてはいましたが、どうみても それまで何かを語り合っていたようにしか見えませんでした。

おそらく死んだ子猫はをやじ君の子供であり、アーちゃんにとっては母親違いの弟か妹になるはずです。 をやじ君がアーちゃんに子猫が死んでしまったことを話しているようでした。私はをやじ君に向かって 「何してるの?」 と声をかけました。すると、それまで自分から積極的に近寄ってくることなどなかったをやじ君が、その日はなぜかミャーミャー鳴きながら私に所に向かって歩いてくるのです。をやじ君はおそらく私が死んだ子猫を連れに行ってくれることを瞬時に悟ったのでしょう。それから私はをやじ君と一緒に子猫を迎えに行きました。

猫は道端に横たわっていました。私はもともと血の出るシーンが苦手なので、なるべく死体は直視しないように横を向きながらすばやく死体にバスタオルをかけました。まだ6ヶ月くらいの白に茶ブチの猫のようでした。おそるおそる震える手でタオルごと猫を持ち上げ、段ボール箱に子猫を収めると、をやじ君はいつまでも名残惜しそうに子猫が横たわっていた路面の子猫が流した血の跡に体をこすり つけていました。

をやじ君に声をかけ、私達はもと来た道を戻りました。相変わらずをやじ君はミャーミャー鳴きながらずっと私の後をついてきます。そのまま裏の畑へ直行すると、父親が穴を掘っておいてくれました。私は箱ごと入れてしまいたかったのですが、穴が小さかったのでまた恐る恐る猫を箱から取り出し、バスタオルにくるんだまま埋葬しました。をやじ君はその一部始終を見ていましたが、そのうちどこかへ行ってしまいました。をやじ君はすべてわかっていたのだと思います。なにもかも…。とても悲しくて、とても不思議な体験でした。

どうしようかな?

2001年11月に亀ちゃんが行方不明になり、1ヶ月後の12月にはおかあちゃんも亡くなってしまって、我が家の周辺をにぎやかにしていたお外のにゃんずはをやじ君だけになってしまいました。そして、をやじ君のテリトリーをおびやかす猫は向かいの家から時々脱走してくるカンだけになったため、いつの間にかをやじ君のテリトリーは我が家の周辺だけになり、パトロールに出かけている以外はほとんど我が家の敷地にいるようになりました。

しかし、ぽてっとした顔と体型からは想像もつきませんが実はかなり喧嘩っ早く、時々テリトリーを侵して現れる向かいのカンやどこかの猫としょっちゅう喧嘩をしていました。2002年の秋頃には喧嘩をしてわき腹の部分に大きな穴を2箇所も開けグッタリしていたをやじ君を病院に連れて行き、裏のおかあちゃんが住んでいた小屋で面倒を見てあげてから3ヶ月ほどの間に3回も同じような怪我をする騒ぎを起こしています。元気になると外へ出せ出せとうるさく騒ぎ、それではと外へ出すとすぐに喧嘩をしてまた大きな傷をこさえて帰って来て、裏の小屋へ逆戻りの繰り返しです。

予想はしていたのですがエイズの検査をしてみたところやはり陽性と出てしまい、2002年12月に喧嘩の傷を見てもらった時に病院の先生に 「できればもう外に出さないほうが良い」 と言われてしまいました。まぁ、ケージは狭いとは言えある程度自由に動き回れる大きさなので、入れておけと言われれば入れておくことは構わないのですが、それでお外命のをやじ君が納得してくれるかどうかが一番の問題です。

それにをやじ君を裏の小屋で生涯面倒を見るということになると、私にもそれなりの覚悟が必要です。外にいればをやじ君が現れた時だけご飯をあげれば良いし、トイレの掃除もありません。でも小屋に住むとなると、毎日朝晩欠かさず裏の小屋に通う必要がありますし、今以上に外出や遠出が困難になるでしょう。しかも今は怪我をのぞけば比較的元気なをやじ君ですから、あと数年は生きられると思います。それだけ私の根性が続くかどうか…。

せめて同じ建物の中にいればそれほど負担には感じないのですが、特に寒かったり雪が降っていたり、仕事が忙しくて遅くなったり、自分の具合が悪かったりすると他の家族には世話を頼めない分精神的な負担が重くのしかかります。でも、外へ出せば喧嘩による白血病感染の危険もあると言われ、自分の生活をよりラクにするためにをやじ君のもしかしたらもう少し長くできたかもしれない寿命を短くしてしまうか、それともをやじ君にはをやじ君の道を歩んでもらって外で自由を満喫しながらも太く短く生きてもらうか、いったいどちらが良いのでしょう?

幸い、をやじ君は小屋の生活にも慣れてきたようで、最近はあまり鳴く事もなくなりました。どうやらこのまま小屋の中で余生を送ることになりそうです。しかし、まだ自分の中では最終的な結論が出ていないのでありました。

Text Last Update: 2003.2.3
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2007年7月17日、をやじくんが虹の橋に旅立ちました。
長い闘病生活の間に生まれたをやじくんとの強い絆。
辛い時も苦しい時も、何とか乗り越えてこられたのは
ただただをやじくんの強さと優しさのおかげです。
をやじくん、ありがとう。そして、さようなら。
今度は虹の橋で会おうね。

さよなら、をやじくん
Page Last Update: 2007.7.27