自転車旅行

旅立ち

1992年の夏のことだった。その頃私は大学1年生(花の18歳)だった。
 大学の夏休みというのは、知っている人も多いと思うが、異様に長い。 こんなに長い夏休みを何に使えというのだろうと途方に暮れるくらい長い。7月の終わりに はじまって、9月の中旬まで続く。夏休みが終われば、電子レンジに入れて20分間暖めた豆腐 (やった事ないから、実際どうなるか知らん。なにせ、私の家には「電子レンジ」なる文明の利器はない) のように頭が夏休みボケになる。もっとも、うちの大学は元々平日でも自主的に夏休みを やっている学生が沢山いるので、彼らは毎日が休みボケと言う話もある。 私もあまり変わらないので人のことは言えないが。
 そこで、この退屈な(「怠慢な」の間違いという説もある)状況を打破するために、 最初の夏休みが肝腎だと考えた・・・・のはもちろん最初の数日だけだ。
相変わらずだらだらと山のようにある宿題を無視して部屋でごろごろしていた。
 しかし、月の半ばに実家の方で同級会を開かなければならない。(何と幹事は私だ。私に任せるとは世の中には 無謀な人たちもいるもんだ・・・私に言われたくはないだろうが。
そろそろ帰省しなければならないのだが、そこで重要な問題が発覚した。
残金が1200円(全財産)しかなかったのだ。
私はここで人生の真理を発見した。「バイトもせずに食ってばかりいたら金はなくなる!」。
実家までの交通費は最も安く上げても2200円かかる。そういえば前の日まではあったような 気がしたのだが、どうしたのだろう。よく覚えていないが、まあ、食べてしまったのだろう。
さて困った。どうしたものか・・・まあ、もう一眠りしてから考えるかと思いつつ、 ふと布団の中から目を上げると、高校時代からの私の愛車(自転車)と目が合った。
自転車のどこに目がついているか疑問に思わないではないがそれはさて置き、自転車で帰るのも悪くないな、 と、ふと思った。というより他に選択肢が無いという話もあったが。
地図で調べると当時住んでいた埼玉県朝霞市(東京の近く)から実家まで約200キロ。
甲州街道まで南下して、後は街道沿いに終点までひたすら西へ向かえば、そこが私の実家である。
時刻は10時半だが、まあ、いいだろう。どうせ一日では着かないだろから。
私は早速何故か部屋に転がっていた寝袋を自転車にくくり付け、地図を持って家を出た。
部屋を出たところで近所のおばさんが「学校行くの?大変ねえ、暑いのに」と声をかけてきたが、 さすがに「金が無いので自転車で帰省する」とは言えなかった。
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