♯序曲

世界が ・ 一心に ・ 私を ・ 忘却していました


《カミュの教示》

・ジロドゥ(かつて一度だけ)無垢な存在とは、かれが生きている宇宙への絶対的な適応である
・無垢なひととは説明しないひとのことだ
                   ――――太陽の讃歌



     


         1

 シューベルトの音楽は時々讃美歌のように聞こえることがある。
 讃美歌を弾いていると、ふとシューベルトのソナタにしてしまいたくなる時がある。
 ただ、シューベルトのほうがすこし悲しそうに聞こえる……。

 かれは探している。まどろみながら予感している。
 そしてよく見えている。直面している?――というより、浸り切っているのだ。
 かれは世界になりすましている。そして何も考えていない。
(そのぶんかれは仕合わせだ――シューマンよりか)
 自然児がさすらうとき、それはともすると奇異にうつる。 (そしてすこしは意地悪にみえる……)。
でもそれは――たとえ遊戯風をしてはいても――わざと逸らしている訳じゃない。
 ただかならずしも当て填まらないだけなのだ。
 
 かれが従順なのはただひとつのことにたいしてだ。

 ――シューベルトと讃美歌はたしかに おなじひとつの接点を 巡っていると思う。

 けれども讃美歌は天上にむかっていく。(とどいているだろうか……)。
 シューベルトは下を向いて探している。かれの心は地上のものでいっぱいだ。
 ――さも無頓着そうにかわしていく―――
 
 かれは地上で、居場所を間違って戯れている。 天の迷い子なのだ。


  音楽――――

・透明・柔順・自然・一体・自由・無心であるために記されること
・みまもられた至福にみちて 世界でありつづける いといけなさ
・いぶかしい感謝にみち、驚きつつ、明徹なまなざしのもとに いつの間にか出発まるためのもの
                           (聖歌隊日記82)より



         2
《出発の祈り》
 避けるべき、目を外らすべきなにものもありませんように
 むかってくるものすべて、私を取り巻き私と向きあっているもののすべてが 私の内にありますように……
 そういう祈り――――出発の祈り
(そして出来ればもう)そういう祈りをすでに充たしてしまっている心
 
 こうしたことは、もしかすると何もむづかしいことでなかったのかも知れない。

 なぜなら くったくのなさは、すべての真剣さをのり超えてそれを包み込んでいくので…………
〈何処へ〉ともなく すべてに注がれていますように  [まなざし]
「仕切られた空間」から出発することのありませんように
                                 *Rei


         3
《放心》
ただひとつの明るみに ぼくは生まれた
事物にみちあふれた、
しかし未だ何もはじまっていない、透き通った時刻 広大無辺なあの地帯に
こうして閃光が 不意のまばたきごと ぼくらに呼び醒ますものは、
まぎれもない かの全一なのだ
もはや余剰の一点は 世界からその頭部を締め出されることもなく
再び何不自由なく すっぽりと、
くるまれることだろう
  ぼく自身の場所は与えられ…かたちというかたちが受肉する、
    秩序という秩序が零れ落ちる――――ぼくを取り込みつつ、ぼくの眼の前で
    何度繰り返してもすり切れることがない………


                                 *Rei
         4
《さすらいの起源》
 ふと気づいてしまったとき、かれは地上に舞い降りた 
         (かれとひとつだった無数のものも舞い降りた)

…………こうしてかれは、はぐらかされてしまった!
 「間隔」は、原初から存在していたもののように――いったいかれ の為因だろうか…?
ともかく もう それははじまっていたのだ―――! あたりは静まりかえっている
 
 シューベルトは仕合わせそうに彷徨っている
 辺境線の消え入るところ・うごめく底――底の底・零れ出る「形象」 (付き添い人の気配?)
  陰翳のやわらかい不意打ち…………
  幽かな瞬き――遙かな記憶・遠い記憶
                                 *Rei


    


《リルケの教示》

・しずかな形象に化して眺める力 (第二の悲歌)
・かつてはすべてが呼吸であったのに
最初の故郷とわかれてから
第二の故郷は、まやかしもので吹きさらしだ
おお、ちいさい生きものの至福さよ (第八の悲歌)
                     ――――ドゥイノより


         5
《即自の喪失》

  こもりうた

それは 置き去られた マイクロバスの
からだぢゅう くぼみだらけで 傾いたままに、 ポツンと
午睡している はらっぱだ
迷子のねむる はらっぱだ
 何処かの ここは辺境地帯
         (予感したまま 微睡んでいる)
 ぼくは昔 他所ものだった?
    ―――でもいやに居心地がいいんだ
  ほんというと 今でも不思議なんだ、この辺りに、ぼくが
  あんまりすっぽりと はまり込んでいたものだから
 何処までもつき当たることがない
               この画架のなかに?…………

                

はらっぱだ 置いてきぼりの
はらっぱだ 迷子のねむる はらっぱだ
おひさまに からだを透かした たんぽぽの
綿毛がきらきら 金色の 光を放って
舞い降りる サーカスの 
曲芸よろしく ゆーらんゆらん
真っ黒い衣装をまとった アシナガグモの
鉄条網が 待ち受けている…………

いっせいに ざわめきわたる 草のなみ
――透きとおった手に なぶられるよう
仕切られた碧の海いちめんに こだまする
        (遠くでサイレンの音)
…………本当にぼくひとりなんだ
ぼくは他所もの?――でも居心地がいいんだ
きっと生まれた時からずっとこうしていたのさ………

「やあきみ!こんなところにいたのかい?
不思議だなあ ぼくが此処にいたなんて
ぼくのからだが あっただなんて
初めて知ったよ、だが
なんだかなつかしいなあ………こうしていると
そっちに吸い取られていくようだよ」

――いやだなあ。くすぐったいよ、そんなに
近くで囁いては!
  (でもきみは もうぼくを通り過ぎて行くんだろう?)


                    調布市/’83〜84
                                *Rei