「羽田新進党離党問題」

――――平和の擁護の観点からの一考察

                     
津吹 純平




 羽田孜元首相の新進党からの離党問題が最終的な局面を迎えている。
 小沢新進党党首との確執と、党内民主主義の閉塞が原因だとみられている。

 テレビニュースはさも重大ニュースとばかりの扱いでこれを報じているが、果たして本当に重大ニュースなのか。
 たしかに、最大野党の分裂が政局に与える影響はけっして小さくはない。現実の政局の動向を伝えることはマスコミの使命でもある。
 だが、小沢政治との決裂を殊更強調することにどれほどの意味があるのか。

 事を、平和と民主主義の観点からみるならば、羽田、小沢両氏の間にさほどの政策的差異はない。
 一般に、タカ派イメージの強い小沢氏にたいして、羽田元首相はハト派イメージで捉えられている。独断専行に走ることも辞さない小沢氏にたいして、話し合いと和を大事にする羽田氏のソフトな人柄が、ハト派のイメージを抱かせているようだ。

 が、しかし、平和と民主主義に関わる現実の政策、具体的には湾岸戦争における戦費拠出、自衛隊のPKO派遣、事実上の安保改定にも等しい日米合意、それを受けた有事立法体制などの問題にたいする姿勢や考え方においては、羽田氏は、小沢氏と異なるところがほとんどないのである。
 国際的な武力紛争に軍事的に関与し得る国家体制の確立を志向することに関して、両者の差異はほとんど認められないのである。
 平和と民主主義を志向する者は、その事実をしかと直視しなければなるまい。

 それなら、「体制」側の分裂は、平和と民主主義を希求するわたしたちにとって歓迎すべき事かと言えば、残念ながらそうとも言えないのだ。
 第一、その分裂は、決して、「思想」の分裂ではないし、そこに至ることもあるまい。
 第二に、それにも拘わらず、分裂が、なにか平和と民主主義を守るうえで良い結果をもたらしてくれるかのようなムードが生まれてしまう。
 実際、小沢対羽田、小沢政治対羽田政治の構図は、先にも指摘したとおり、タカ派対ハト派の構図を描き出すことによって、タカ派小沢の〈危険な政治志向の破綻〉を意味するかのように受け取られるであろう。平和と民主主義の危機にたいして格別な危機感を抱いて批判に向かわずとも、ハト派政治の台頭が無事を約束してくれかのような幻想を抱くことになるであろう。
 その結果、平和と民主主義の危機にたいする検証と警鐘が、マスコミ自身の間で、そして国民の間で、看過されがちになるのである。
 
 重大なのは、小沢対羽田の分裂そのこと自体ではない。洞察力を欠いたマスコミの取り上げ方によって、政治の現実にたいする誤解が生まれることだ。
 小沢政治ばかりではなく、羽田政治もまた、平和と民主主義にとって危険な道を歩み出しているという危機にたいする的確な認識が欠如することだ。危険なのは小沢政治だけで、羽田政治はハト派で平和と民主主義を守る側だという誤った観念が広まることだ。そして、危険な小沢政治は、挫折し衰退するという根拠のない楽観論に帰着することだ。

 日本は、今、国際的な武力紛争に軍事的に関与し得る国家体制の確立に向けて動き出しており、その事について、国民的な冷静な論議とコンセンサスの形成が求められていると言うべきだが、その点で、小沢対羽田の対立と分裂は、如何ほどの意義も有しないのである。
 マスコミは、そのことを明確に認識して、報道に当たるべきである。 


                                               了
 
「新・八ヶ岳おろし」
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