「新党問題は何が問われるべきか」

津吹 純平





 社民党の新党構想はどうやら当分棚上げになりそうだ。代わって、新党さきがけの鳩山氏をリーダーとした新党構想が急浮上してきた。薬害エイズで国民的な人気を得た菅直人厚生大臣が参加の意志を明確にしたことで、俄に現実味を帯びてきたといえる。
 たしかに、取り沙汰されている新党は、民主リベラルというスタンスをとるものと思われ、国民の意識を反映させるものではある。既存の政党との比較において、当然あってもおかしくはない政党ではあろう。
 既存の政党に飽き飽きしていた多くの国民が、かつて、新自由クラブに期待し、次に日本新党に魅力を感じ、さらに連合に関心を示し、そして新進党に一票を投じてきたように、鳩山新党に望みを託すということも有り得ない話ではないだろう。
 その精神的土壌をみれば、過去の新党以上に、近代思想に即した政党になりえるようであり、まずは、政治の逼塞状況を打破するものとして期待を示したいところではある。

 しかし、実は、そうした現実論の位相で判断するだけでは事は済まないのである。
 湾岸戦争における戦費拠出、自衛隊のPKO派遣、橋本・クリントン両首脳による日米合意、有事立法化と極東条項の見直しなどなど、状況は、要するに、日本が戦争に参画し得る体制の確立に向けて動き出しているが、この新党は、その体制に対してどういうスタンスを取るのかが、まだ不明である。
 また、過去の植民地支配と侵略戦争という歴史に対しても、如何なる立場を取るのか、まだ何も語られていない。
 つまり、わたしの言う「体制」に対して、明確に批判するのか、批判し得るのかが、明らかではない。
 現在取り沙汰されている政治家たちの名前から推測すると、齟齬をきたす恐れ無しとしないようだ。わたしが望む真の民主リベラルとは成り得ない恐れが大きいのである。
 尤も、それでもマスコミ的には民主リベラルという扱いを受けることになるのであろう。つまり、この国では、戦争や植民地支配にたいする良識をもたずとも、民主リベラルの名が通用するということだ。
 しかし、マスコミでどう扱われようと、「体制」にたいする的確な認識が欠如していては、本来の意味における「民主リベラル」とは、言い難いのである。民主リベラルという耳障りのよい響きにごまかされてはならないのである。
 こんにちの状況は、冒頭に示したような、現実的位相において政治を論じるだけでは、済まなくなってしまっている。
 日米安保の実態が、日本の紛争への積極的参画という有事体制の確立に向けて大きく踏み出した現在、新党の正否は、まずは、そうした「体制」に、どういう認識と姿勢を抱いているのかが問われなければならない。わたしの立場から言えば、日本民族にとって今、求められるべき新党とは、「体制」に明確に抗するものでなければならないのである。
 ともかく、新党騒ぎはマスコミの格好のニュースソースであろうが、護憲平和、反戦平和を希求する国民にとっては、全く意味をなさない出来事になるかもしれない。そのような疑念をもって、注視していかねばならないだろう。

                                            了


「新・八ヶ岳おろし」
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