<マスコミ・ジャーナリズム論>

「歪んだ小選挙区制報道」
              ―――真相解明の使命に立ち戻れ

津吹 純平


 小選挙区制のマスコミ報道がおかしい。筑紫哲也氏や久米宏氏のような、護憲平和、自由と民主主義擁護の立場を表明してきたテレビキャスターまでが容認の立場をとっていることも驚きだが、それ以上に、その報道の在り方が、信じ難いほどにひどい。
 はじめから、〈導入ありき〉という報道姿勢だ。小選挙区制とは何か、現在とどう変わるのかなどと、一見客観的な解説という形をとっているが、実際には、導入すべきだとの主張を積極的に展開している。
 具体的には、その解説者に、内田健三氏や福岡政行氏など推進派だけを出演させ、批判派は完全にシャットアウトしている事実がある。
 当然、彼らからみた小選挙区制の利点なるものが、一方的に宣伝される。〈自民党の超永久政権になるのではないか〉〈四割の得票で八割の議席は、民意を反映しないではないか〉〈死票が多くなるのではないか〉〈小選挙区制にしても金権選挙はなくならないのではないか〉といった反対派の論点も一応取り上げられるものの、いとも簡単に退けられてしまう。(まるで、反対派は愚にもつかないことを言っている馬鹿者のようだ)。
 つまり、自説を異論によって自己検証するとか、自説も一度相対化して異論と同様、一つの課題として比較検討するといった独善性の排除や真理の探求に配慮した姿勢がまったくみられないのだ。ほんとうに、まったく、である。
 さらに問題なのは、この小選挙区制導入を計る政府自民党の主観的意図について、それこそまったく分析しないことだ。
 金権政治の打破、反倫理的政治家への厳しい審判、政権交代可能な二大政党制の実現といった久米氏や福岡氏らの主観的意図と、その腐敗政治の元凶であり、自らを厳しく律することができずに(それどころか、中曽根元首相や竹下元首相を相次いで復権させている)、いっときは政権維持も危うくなった政府自民党という権力与党の主観的意図とを、完全に同一視しているかのようだ。いや、彼ら自身の自覚では一致しているとも、一致していないとも、意識していないのかもしれない。単に、政府自民党の主観的意図、その政治理念と基本政策について、無頓着なだけかもしれない。が、いずれにせよ、権力与党の主観的意図についての分析と検証を怠っている点では同じだ。
 尤も、政府自民党の主観的意図がどうであれ、要するに小選挙区制それ自身の利点と欠点を分析すればよいではないか(実際には、その主観的意図がたとえ好ましいものではない場合でもそれが必ず反映されるというわけでもないだろうし、逆に意図せざる好ましくない状況だった起こり得る。つまり主観的意図と小選挙区制の結果は、ほんらい別個のものであり、さほどの因果関係は認められないのではないか)という反論の声が聞こえてきそうだが、それは、はっきり言って、観念的な意見だ。
 権力与党の主観的意図がどの程度実現可能かは、それこそ、その主観的意図の内容に関わっているからだ。その主観的意図の実現を計るために、当の小選挙区制それ自体を再び自党に有利に改悪する危険とて、皆無とは言えまい。
 実際、後日そのような結果が生じた場合に、「まさか権力与党が、そんな意図を抱いていたとは思わなかった。こんな事までするとはとても予想できなかった。我々の良識を超えた事であり、我々も裏切られたのだ。とにかく、我々自身は、権力与党のこんにち明らかになった暴挙=主観的意図を容認して小選挙区制導入を支持したわけではない」なぞと弁解されても困るのだ。
 ほんとうに、こんにちの政治腐敗をもたらした張本人の権力与党の主観的意図をまったく分析せずに、己の主観的意図だけで事を肯定し、しかも、その主張に際して、一度自らを相対化し、客観的な立場から異論との比較検討を厳密に行なうといった独善性の排除と真理の探求に配慮した報道とはまったく逆の、イデオロギーに偏した報道に突っ走っているこんにちのマスコミの状況は、異常としか云いようがない。それも、最も良識ある報道を行なうとして世間的評価も高い筑紫氏や久米氏などのテレビキャスターでさえそうなのだから、日本には、あくまで具体的事実に即し、多様な論点を客観的に分析して事の真理に迫ろうとする真のジャーナリズムは存在するのかと、暗澹たる思いに襲われてしまう。
 実は、再三言っているように、私は、筑紫氏も久米氏も大好きな人であり、大いに敬愛しているのだが、小選挙区制をめぐる一連の報道姿勢には、危惧の念を禁じ得ない。ほんとうに、「筑紫さん、久米さん、こんな報道の仕方で世論を誘導していいんですか? 歴史に責任をもてますか?」と、猛省を促したいところだ。むろん、これは両氏についてだけの問題ではないわけで、ともかく、マスコミ・ジャーナリズムは、原点に立ち帰るべきだ。
 尤も、マスコミやジャーナリストが特定の政治的判断なり政治的主張をもつことを悪いと言っているわけではない。小選挙区制容認は、私の立場とは異なるが、(私の立場から言って)、間違った判断をとっていると批判しているわけでもない。問題にしたいのは、あくまでも政党・政治集団とは異なった真相解明を旨とするマスコミ・ジャーナリズムとして自己主張の在り方なのだ。
 一般国民の間には、日本のマスコミ・ジャーナリズムのほとんどは、タメにする議論はせず、特定の情報だけを伝え、特定の異論をあらかじめ排除するなぞという偏向も行なわず、常に是々非々主義の立場で、事の真相に迫っているといった信頼があるが、その信頼を裏切るなと言いたいのだ。
 ほんとうに、マスコミ・ジャーナリストが、客観的な事実報道なり是々非々主義の真相解明なりを隠れ蓑に、己の主観を一方的に展開し、世論誘導を計っているこんにちの状況は、断じて許し難いことであり、心底、怒りをおぼえる。

                                             了

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