<マスコミ・ジャーナリズム論>

『平和の砦となり得るために何をなすべきか』
連載 第1回
津吹 純平



◇「克服されるべき危機とは何か」

原油資源の確保・利権の拡大と世界秩序の統率者としてのアメリカの威信、さらには病めるアメリカにおける国民の自信喪失の回復を意図して、フセイン・イラク大統領のクウェート侵攻という暴挙に、アメリカ政府が勇んで軍隊を派遣した湾岸戦争は、アメリカ国内において、もう一つの戦争を生んでいた。
 国家権力とジャーナリズムとの間の戦争である。が、この戦争もまた、実際の戦争がパトリオットミサイルやピンポイント攻撃や大量の爆弾の威力でほとんどの専門家や評論家の予想を覆す結果を生んだのと同様、アメリカ政府の完全勝利の内に早期終結した。ベトナム戦争の教訓を国家権力は生かしたというわけだ。超大国アメリカがアジアの一小国に敗れたその大きな原因の一つに、マスコミ・ジャーナリストによる戦場からのリポートの存在が指摘されている。たしかに、膨大な文章や写真や映像が、刻々と生々しい戦場の様子を伝えた。また銃後の人々の実態をも如実に報じた。戦争がいかに残酷で愚かで虚しいものであるかを、多くの人々に実感させた。人々は、茶の間に飛び込んでくる急流を渡る母と子の姿に心を痛め、戦争という名の犯罪を告発すべく声を上げたのだった。アメリカ政府は、あの戦争で、己が戦った敵は、ベトナム軍や人民だけではなく、ジャーナリズムや事実を知った一般市民であることを悟ったのである。
一九六〇年代とは比較にならないほど発達したこんにちの情報化社会に、国家権力が己の宿敵をみたとしても不思議はあるまい。あの東欧の共産党独裁体制の崩壊も、国境や主権を越えて飛び交う情報が大きな役割を担ったと言われている。国家権力が情報管理・情報操作を、国家政策遂行と国家権力維持の上で重要な戦略の一つと認識していることは明白のように思われる。
かくして、アメリカ政府は、こんかい戦争の実態をジャーナリストの目や市民の目から徹底的に覆い隠し、反戦平和の声が上がるのを阻止した。それでも防ぎえなかった小さな声は、恐ろしいことに、マスコミ・ジャーナリズム自らが、黙殺したのである。国家権力やアメリカ政府の不当な圧力には屈しない強さをもつアメリカのマスコミ・ジャーナリズムも、正義や自由などの御旗の前でその真偽をたしかめようともせず、すすんで頭を垂れたのである。それは、こんにち追い詰められたアメリカにおけるナショナリズムの焦りを示すものだと、私には思われる。

転じて、わが日本のマスコミ・ジャーナリズムは、どうであったか。日本のそれもまた戦場や爆撃を受けた町の実態を報じることができなかったわけだけれども、致し方なかった事なのか。残念ながら、多国籍軍やイラク政府などの管理や規制をまったく受けない取材は不可能だったのかについて、私達は詳細を把握しているわけではない。となれば、その点でのマスコミ批判は控えるのが礼儀と言うべきだろう。
ただ、日本のジャーナリスト達がこの戦争の目的や本質をどれだけ的確かつ敏速に伝えたかという点は問題にせざるをえない。この文の冒頭に掲げたアメリカにおける湾岸戦争の意味、その目的と意図については今でこそ少なからぬマスコミ・ジャーナリズム関係者によって語られもするが、自衛隊の海外派兵や九〇億ドルの戦費拠出が問題になっている折り、その是非を決する一つの判断材料となすべき肝心の時には、国際貢献とか、対米関係とか、国際秩序と正義といった言葉が飛び交っただけだった。実は、一部の政党の機関紙には既にほぼその旨の指摘がなされていたが、天下のマスコミ・ジャーナリズムは、それを知ってか知らずか、取り上げる気配もまったくみせなかったのである。
かくして、わが日本は、自衛隊の海外派兵は阻止したものの、戦費拠出という形で参戦し、次に掃海艇を派遣し、そして今(一九九一年一一月一八日現在)、PKO法案が公明党などの賛成で国会を通るかもしれないという危険な状況を迎えるに立ち到っているのである。(註:今国会は不成立、継続審議となる。12月21日現在)

この日米両国のマスコミ・ジャーナリズムの湾岸戦争への対応から、私達市民も教訓を学ばねばならない。正義やナショナリズムという御旗の下では、マスコミ・ジャーナリズムはもはや平和の砦たりえないという教訓である。
特に日本のマスコミ・ジャーナリズムにおいて、湾岸戦争ばかりではなく、あの本島長崎市長襲撃事件を生じた天皇の戦争責任問題をふくむ昭和天皇の死去と新天皇の即位など一連の天皇・天皇制をめぐる出来事、そして小選挙区制問題と、ここ三、四年に起きた歴史的にも極めて重要な、民族の運命を左右しかねない決定的な問題に関する対応をみるとき、平和の砦とはなりえないとの答は、既に出ているように思われるのである。
 誤解を避けるために繰り返すが、私はマスコミ・ジャーナリズムの活動のすべてが信頼に足るものではないなぞと決めつけているわけではない。自由や平和の面でも少なからぬ役割を依然こんにちも果たしていることは充分評価しているつもりだ。またジャーナリスト個人の苦労や悪条件を考えないわけでもない。
 私が指摘しているのは、あくまでも、自由や平和の問題における決定的な局面でのマスコミ・ジャーナリズム全体の危機的実態なのである。

私は、ここでの課題にこたえるに、まず日本におけるこんにちただいまのマスコミ・ジャーナリズムの危機を上記のとおり、平和の砦たりえない事という一つの側面で捉えることにする。厳しい評価であろうが、まずはこういった問題意識を前提に、危機打開への道を探らなければならないと思われるのである。そしてこの主題についての理論的分析は、けっして言葉の遊戯に堕するものではなく、具体的な対策と実践を求めるであろうから、換言すれば、のちに提言する対策の有効性と必要性は、こんにちにおける危機の理論的分析を前提に確かめられるであろうから、いましばらく理論的考察を進めた上で、私達に課せられている〈観念的な理論よりも具体的な提言を〉という要求にこたえたいと思う。厳しい事を言うが、ここでの理論的分析を自明の理と言い切れるジャーナリストはきわめて稀であろう。つまり、危機打開の道を切り開くためには、どうしても危機の実態や構造についての的確な認識の形成から始めなければならないのである。



◇現象論
 「保守派の台頭と反体制派の退潮」

戦後の長い歳月、マスコミ・ジャーナリズムは平和の砦としてこの社会に存在し続けてきた。その功績は大きく、またこんにちも依然として少なからぬ役割を果たしている。その前提の上に立って言うのだが、湾岸戦争において露呈したのは、その砦はもはや崩れかけているという事だった。私達はそれに全面的に頼ってはいけないという厳しい事実だった。
マスコミ・ジャーナリズムの衰退はなぜ起きたのか。
 現象論的位相において、私は次の点を指摘しておきたい。即ち、一つは保守派の台頭と反体制派の退潮という現象であり、もう一つは、戦後民主主義的進歩派における〈挫折〉の現象である。この二つがマスコミ・ジャーナリズムを大きく弱体化させたと私は考える。
ここでは前者の問題を分析したいのだが、それはさらに三つの問題を抱えている。第一に若い世代の保守化現象という問題であり、第二に〈転向〉による新保守派の出現という問題であり、第三に旧保守派の勢力拡大と旧反体制派の勢力衰退という問題である。

ベトナム反戦、大学闘争、七〇年安保と続いた嵐の季節が過ぎ去ったあと、高度経済成長の達成と大衆消費社会の出現に伴って若者が保守化してきたという点については誰も異論はないだろう。むろんすべての若者をその一言できめつけるわけにはいかないが、社会的関心の低さ、社会的正義感の希薄さの実例をあげるに困ることはないのが実態だ。
 例えば若い教師の日教組への加盟が著しい減少傾向を示している教師の世界もそうだ。私は日教組に加盟しないことを以て直ちに社会的関心の低さの証とするつもりはまったくないのだが、実態は残念ながら教育的保守化とでも言うべきものだ。社会的正義感どころか、教育や教師に求められて当然の使命感さえ希薄な教師が多いのである。聖職という言葉を突き付けることに私は賛成できないが、教科の専門家としての自覚や子供の人格形成と将来を担っているという責任感などの点で実に希薄な教師が多いのである。俗に”サラリーマン教師”とか、”でも・しか教師”とか称される若い教師の激増は周知の事実であろう。
これに似たような事が一流大学の成績優秀な人材が集まるマスコミ・ジャーナリズムにおいても起きているとは、よく聞く話だ。”正義を求めて寝食を忘れる”とか、”燃えたぎるような批判精神で権力に立ち向かう”といったジャーナリスト魂は、単なる職業人としての意識しか持ち合わせていないこんにちの若者に期待すべくもないのかも知れぬ。
もちろん若者の保守化とはこうした専門家としての自覚の欠如という形をとるばかりではない。文字どおり政治的保守化としてもあらわれているわけだ。政党支持、安保、自衛隊、君が代・日の丸問題などにおける若者の意識は明らかに保守化している。これは若者に限った話ではないとはいえ、従来国民的な平均値に対してかなり革新的・反体制的であった若者としては大きな変質だと言えよう。その政治意識においてマスコミ・ジャーナリズムの世界に入る若者にも多かれ少なかれ同じような事が言えるのではあるまいか。いや、ひょっとしたら一般の若者より保守的傾向が強いかもしれない。と言うのも、特にテレビ界の話だが、就職に際して、自民党政治家の推薦や縁故が大きな幅を利かせているのが実情だからだ。
 人事権を保守体制側に握られている実態は地方にも及んでおり、七〇年以降の国家権力ないし保守権力によるマスコミ・ジャーナリズム支配の画策で目立たないながら最も効果をあげた点かも知れない。

〈転向〉による新保守派の出現は、当面より重大な問題だ。年齢的に三十代後半から五十代の定年を迎える幅広い世代に亙っており、その職務においても重要な立場にある人達が多いからだ。
 ここで言う〈転向〉とは、戦後左翼からの転向と戦後民主主義的進歩派からのそれを意味している。戦後左翼からの転向を特徴づけているのは、全共闘をはじめとする新左翼運動に関わった人達が目立つという点である。厳密にいえばマスコミ・ジャーナリズムの世界の人というわけではないが、いまやマスコミ・ジャーナリズムの寵児としてブラウン管や紙面を賑わしている一部の元学者などその典型である。革命を口にしない者を馬鹿呼ばわりしてきた彼らが体制擁護に狂奔する姿は悲劇か、それとも喜劇か。マスコミ・ジャーナリズムの内側の人でそうした転向の例をあげるのは私達市民には困難だが、私達は転向学者をもてはやす人々の存在を察するのであり、マスコミ・ジャーナリズムにおける保守派の画策の事実と同時に、転向の事実を感じ取るのである。
 戦後民主主義的進歩派からの転向は、より広範にそしてより日常的に浸食してきたように感じる。政党との関連でいえば社会党支持層の人達であろうが、その社会党が例の公明党との間で〈合意〉を確認して以来ひたすら〈現実主義路線〉を走り続けてきた(社会党により一層の〈現実主義路線〉への転換を求める立場からは、その歩みは遅々として映るようだが)事に対応して、戦後民主主義的進歩派からの転向も進んできたと言えよう。
 こちらのほうは世が右へ、保守へシフトしたぶんいっしょにシフトしているので、転向と気づかれないわけだ。自分自身でも、その政治的立場は一定であるために転向の事実を欺瞞できるというものだ。そして過去の意見を一八〇度転換させる場合も、その正当性についての弁明を求める者がいないことを幸いに自己検証のかけらさえ示さない。かつての反体制的認識をことごとく修正し体制的認識をもつに到った戦後民主主義的進歩派における転向とは、こういう特徴をもつのである。
これら二つの〈転向〉は、いまや体制内勢力及び保守勢力の中心的存在をなすといっても過言ではないだろう。
 もっとも、本論からちょっと外れる事だが、私は、ほんとうは彼らを〈転向〉の名において批判することに疑問を抱いているのである。と言うのも、転向というからには、元々の立場がそれ相当に確固たるものでなければならないはずだが、彼らの観念や意識の実体はどうであったか。私には、そのマルクス主義も、絶対平和主義も、例えば彼ら自身の少年時代から育んできた己の感性や正義感や価値観が必然的にもたらす帰結だったとはとても思えないのである。己の人格や魂と深く結び付いたところで選択された立場だとは信じ難いのである。そこにどれほどかの正義感や覚悟が認められたとしても、それ以上に、社会的存在における己の成功を求める意識が渦巻いている姿を、私は見い出す。彼らは、単にその時代において勝利者として存在しえる立場を選び取っているに過ぎないのではないか。
そこに彼らの実体を探ろうとすれば、実は〈転向〉したとされるこんにちの彼らの観念や意識や感性を発見することになるだろう。つまり、彼らは変わっていないのだ。こんにちの彼らこそ彼らの実体――自我形成期から成人となるまでに彼らの精神を支配してきた原理――なのであって、マルクス主義者としての彼、戦後民主主義的進歩派としての彼は、所詮、処世術に過ぎなかったと、そう私は考えざるをえないのである。その意味では、彼らは〈転向〉などしていない。彼らを〈転向〉という名において批判すること自体、或は過大評価なのかも知れないのである。
ここで論述している〈転向〉による新保守主義の出現とは、ほんとうは、擬性左翼及び擬性戦後民主主義的進歩派における〈保守回帰現象〉の出現と言わなければならないのかも知れぬ。

若い世代の保守化現象と〈転向〉による新保守派の出現という二つの実態に加えて、保守派の台頭と反体制派の退潮を形づくる実態として、さらに旧保守派の勢力拡大・旧反体制派の勢力衰退に触れておく必要があるだろう。
これは戦後日本の知識人やジャーナリストの間に強い影響力を保持してきたマルクス主義が八〇年代に入り、その神話としての魔力を失って以来顕著になってきた事である。  〈転向〉派の開き直った言動に勢いを得て、従来から保守反動と目されてきた人達の攻勢も著しくなった。
 体制擁護という受身から体制礼賛と能動的になり、左翼をはじめとする反体制派への攻撃が目に余るほどになった。一方、反体制派における左翼は、社会主義の停滞と資本主義の発展という予想外の現実を目の当たりにして、謂わば去勢された虎に転身した。旧勢力自体の戦いにおいても、立場は完全に逆転してしまったのである。

こうして、保守派の台頭・反体制派の退潮という現象は、七〇年安保以降緩やかに始まり、八〇年代に入って加速され、こんにちにおいてもマスコミ・ジャーナリズムの言論状況を特徴づけるものになっていると言えよう。
例えば、今年になって崩壊したバブル経済の事でもそうだ。以前なら大新聞で財テク講座が連載された頃に左翼・マルクス主義の立場から分析・批判されたであろうに、一部の左翼政党関係の出版物は例外として、一般のマスコミ・ジャーナリズムの場での批判は皆無だった。世はあげて財テクブームに狂奔したのである。リクルート事件をはじめとする数々の金にまつわる事件において、金権政治に汚れたのは保守派ばかりではなく中道から革新に到るまでがそうであるという実態が露呈したわけだが、状況の真相がそういうものであったにもかかわらず、日本経済の勝利が叫ばれ、大衆消費社会の出現が説かれ、労使協調がうたわれてきた。また安保容認論が保守反動派から偏向と名指しされる某大新聞の社説に掲載され、安保批判は、天皇の戦争責任批判と同様、タブー視されるほどに到った。
 さらに政界における〈共産党除き〉が、マスコミ・ジャーナリズムにおいても浸透した。左翼の終焉が元マルクス主義者達を中心に宣言され、資本主義全面勝利論が横行した。
 そしてこれは一般的な話ではないとはいえ、わが国を代表する文芸誌に、天皇制軍国主義によるアジアへの侵略と太平洋戦争を、大東亜共栄圏の正当性と戦争の付加価値性とを根拠として容認する戦後世代で元全共闘の作家や評論家達の発言が相継いで掲載された。
まさに、金儲けに狂奔する日本の実態を経済大国の美名のもとに礼賛し、その国益の根拠であり今後の国益維持の保証であるとして日米安保を絶対化するという滑稽なほどの現状容認論と、その礼賛すべき現状に到る必然的な一過程だとして遂には植民地支配と天皇制軍国主義戦争を合理化する過去容認論とが、ここ数年間、マスコミ・ジャーナリズムの風潮を形成してきたと言わざるをえない。
 こうした大国主義と利己主義に根ざしたナショナリズム――その国益を保証する体制としての日米同盟関係の偏重という逆説的ナショナリズム(対米従属)を含む――の横行がやがて戦争への関与をもたらすのではないかと、私は数年前から恐れ、それを警告する言論活動を個人的に続けてきた者であるが、いま、湾岸戦争における日本の参戦への荷担という形でそれが現実となったわけだ。ここに到る歩みをマスコミ・ジャーナリズムは七〇年安保以降はじめは緩やかに、そして近年は急激に進めてきたと言えるのである。


◇現象論
 「戦後民主主義的進歩派における[挫折]」

湾岸戦争の際、日本が戦費拠出という形で参戦に踏み込んでしまった事に対して、マスコミ・ジャーナリズムが毅然とした批判を展開できず、結局それを容認するという決定的な過ちを犯した原因として、保守派の台頭と反体制派の退潮という現象の他にもう一つ、戦後民主主義的進歩派における〈挫折〉という現象をあげなければならない。これは、護憲平和という立場を、彼ら自身の主観においてはもちろん、客観的にも辛うじて保持していると認められる人々の問題である。
 例えば、湾岸戦争の際の〈多国籍軍(連合軍)〉への自衛隊の派兵はもちろんPKO(PKF)への参加も否定するほどの護憲意識、反戦意識を抱いており、戦費拠出の容認という過失を反省し、立場の修正が期待しえる人々の問題である。或は、さきに述べた保守的言論のキャンペーンに同調しなかった人々の問題といってもいい。
 もっとも、私がここで既定する戦後民主主義的進歩派とその転向派とその挫折派という分節は、いま述べた具体的事柄を基準に行われるものだが、その人物なり集団なりを特定することは困難だろう。実際には、私が〈挫折派〉と想定している人が、一方で挫折していない戦後民主主義的進歩派のごとき言動を放つことも珍しくないのだ。(その矛盾は実は同根のものだと私は理解しているが、それはここでの問題ではない。)或は〈転向派〉と軌を一にした言動も珍しくないのだ。しかし、とにかく〈転向派〉でもなく、左翼でもない戦後民主主義的進歩派と言うべき立場の人々がおり、その中で、こんかい護憲平和の主義を貫き通すことができなかった人々がいるのである。ここで問題にしているのは、そうした、躓いてしまった人々の事だ。
実をいえば、この種の人達がこんかい決定的な役割を果たしてしまったと私は認識しているのである。すでに述べたように、昨今のマスコミ・ジャーナリズムにおける保守的言論の風潮は一部の良心的かつ良識あるジャーナリストの抵抗を一般の目から覆い尽くすほどの激しいものであるが、しかしその一方で、国民との接点の場で、戦後民主主義的進歩派の立場に属する人々が多数活動しているのも事実なのだ。特にテレビにおいて顕著であるが、国民世論への少なからぬ影響力を有している点で、これらの人々の言動は重視されざるをえない。日頃、憲法擁護や絶対平和を口にしているこれらの人々が、まさにそれが突き崩されるか否かの瀬戸際で躓いてしまった責任は極めて重いと言わざるをえないのである。
もっとも、私は、さきに指摘した〈転向派〉などの責任や罪と同列に論じるつもりはない。日本の参戦という重大な状況を意図して作り出した謂わば〈確信犯〉と同列に看做すのは過酷であろう。彼らのそれまでの誠実な歩みは疑うべきではないし、今後の反省への期待を捨てるべきではないだろう。私はそうした彼らへの敬愛と同情の念を抱きながら敢えて指摘するのである。
 こんにちの事態を冷静に観察するならば、彼らの動向こそが、世論形成の分岐点をなしていると思われるからだ。戦費拠出の是非(実際は、是非という形で認識されることすらほとんどなかったが)如何についての国民世論の大勢を左右する、謂わば〈キャステングボート〉を握っていたのが彼らなのである。彼らの言動は、その意味で客観的に決定的な役割を果たすことになるのであり、事実、こんかい日本を参戦へと踏み込ませることに荷担してしまったのである。


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