<マスコミ・ジャーナリズム論>

『平和の砦となり得るために何をなすべきか』
連載 第2回
津吹 純平



◇本質論――

[挫折]の発想様式

湾岸戦争に戦費拠出という形で参戦してしまった日本――それに、護憲平和の砦として自他共に認めてきたマスコミ・ジャーナリズムが抵抗するどころか荷担してしまった原因を現象論的位相から検証したわけだが、次に、私は本質論的位相からこの問題を検証してみたい。つまり観念や感情や意識などの精神構造を分析して、砦の崩壊をもたらした原因を解明したいのである。
そこで、こんにちの状況に最も大きな罪と責任を負うべき〈保守派〉や〈転向派〉など反動的な立場に属する人達の発想様式の分析も重要ではあるが、ここでは敢えて戦後民主主義的進歩派における〈挫折派〉の発想様式の分析に限りたい。砦を攻め崩す側の発想様式ではなく、砦を形成する側自身の発想様式を問題にするわけだ。さきに述べたように、彼らの動向こそが事態を一方に傾斜させる重大な影響を有するからであり、また彼らにはまだ引き返す可能性が少なからず残されているからだ。彼らの発想様式の分析は、ここで与えられている課題――具体的な提言の要望――にこたえる点でも有効だろう。また〈挫折派〉への批判の多くは、反動的な立場にも当てはまる事なので、反動の発想様式の分析の一端は果たすことになるであろう。
さらに実をいえば、進歩派や左翼にも該当することさえあるのだ。その事で予めお断りしておかねばならない。つまり、論理的には〈挫折派〉と〈非挫折派〉を分けた決定的な原因はここで指摘する要素以外にあることになるわけだが、ここではその要素の分析までは触れられないということだ。〈挫折〉の原因を検証するといっても、ここではあくまで平和の砦たりえる――単に挫折しないというだけではなく、平和を積極的に志向していく――マスコミ・ジャーナリズムの構築を求めるという大きな主題に基づいて検証するわけであるから、何よりもまず、平和志向とは矛盾する在り方、〈挫折〉へと向かわしめる在り方そのものを問題にしたいのである。またこの事に関連して考察は、こんかいの〈挫折〉の直接の原因の解明だけに限定せず、〈挫折〉のメカニズムの解明を核としながらも、より広げた視点の〈挫折現象〉のメカニズムの解明という形で進めたいと思う。



◎[挫折]の発想様式

*「政治的位相の問題」
*「体制内的・保守的観念及び認識」
*「自民党の本質・自民党政治家の体質に対する甘い認識」

戦後民主主義的進歩派における〈挫折派〉に属する人達の言論は、世間一般では反体制的であり反自民だと受け取られることが多い。たしかにそうした側面が彼らの意識の中にあることは疑う余地がない。特に金権政治や所謂永田町の論理で政治が行われている実態に対する批判に、単に正義感を越えた反自民の意識さえのぞくのを見たとしても不当ではなかろう。
だが、彼らの自民党批判も、結局現象面にとどまるのである。自民党の本質なり自民党政治家の体質にまで論及する批判はほとんど皆無である。例えば、自衛隊の海外派兵の問題でもそうだ。周知のように大半のマスコミ・ジャーナリズムは反対の立場を明確にしたものの、憲法に抵触するとの批判にとどまってしまった。違憲行為を強行に押し通そうとした自民党の真の意図について触れることはなかった。この点は後述するマスコミ・ジャーナリズムの原理における誤謬の問題とも関係するのだが、ここでは政治的位相の問題として、自民党の防衛政策及び国家観に対する甘い認識を批判しておきたい。
 海外派兵の画策について、彼らの多くは、アメリカの押し付けによるものだとの認識と小沢一郎氏の独断専行によるものだとの認識を表明していた。つまり、自民党の大勢は、護憲平和主義を尊重しているという前提に立っているわけだ。しかし、この前提は明らかに間違っている。
海外派兵の画策についていえば、たしかに彼らの認識を裏付ける事実はあったろうが、問題の本質ではあるまい。アメリカからの圧力は事実だとしても、実は自民党にとって望むところだったのだ。言い替えれば、己の意図を隠蔽する口実にアメリカの圧力を使っているに過ぎないのである。
 海部元首相はともかく小沢一郎氏はじめ自民党政治家の大半の観念と意識の中にあったものは、経済大国日本の国際的地位の確立であったと言える。盟主国願望が心底に渦巻いているのである。国連の安保理の常任理事国を目指すのもその表れと捉えるべきだろう。そして自民党政治家の考える盟主国とは経済大国であると同時に軍事大国でもある国家だ。強大な軍事力とその積極的な活用こそ盟主国への絶対条件であると彼らは確信しているのである。
 私達は、自民党がこんにちなお第九条の破棄と天皇の元首化を第一義とした改憲の意志を捨てていない政党だという事実を忘れてはなるまい。その国家観において戦後日本の平和国家という理念を究極的には否定している政党だという事実認識を、私達はもっと明確にもつべきなのである。
彼らが長く政権の座にありながらその野望を果たさず、平和主義の原則をある程度容認してきたからといって、それを彼らの本質とみては危険である。なるほど、世界には現実政治の場でも己のドグマの発露に狂奔する権力が蔓延している事実をみるとき、自民党の〈妥協〉は、アメリカや中国などへの対外的な配慮が強く働いているとはいえ、それなりに評価できる事ではあろう。自民党は平和主義に対立するところの戦争主義に立脚しているとか、ファッショ政党だとか極論するつもりは私にはない。それほどではないせよ、少なくとも平和主義に敵意を抱いており、頭のてっぺんから足の爪先に到るまで平和主義に悖る政党であると、断罪し告発するつもりも私にはない。彼らもまた、平和を守りたいとの願望は少なからず抱いてあろう。
しかし、護憲平和主義を守りたいと考える多数の国民との間に、その平和主義についての認識に大きな乖離がある事実は否めないのではないか。
 彼らの〈平和主義〉とは、盟主国願望と軍事力信仰と戦争効用論(これが言い過ぎなら戦争必要悪論)といった意識や観念を心底に宿した平和主義なのである。
 国民のコンセンサスを得ている平和主義とは、平和を守るために非軍事的な貢献を最大限果たし、なおかつ紛争の危機に際しては最後の最後まで戦争を回避する努力を惜しまないという事を原則とするが、自民党の平和主義とは、平和を守るために軍事的貢献に積極的となり、紛争の危機に際しては国益を守るためには戦争も辞さじの覚悟で立ち向かうという事を原則とするものである。自民党内ではハト派と考えられてきた海部元首相の下で戦費拠出という形で参戦が行われ、いままた戦後民主主義的進歩派の知識人やインテリの間でも評価の高い宮沢首相の下でPKO(PKF)法案が強行採決されているという事実は象徴的である。この政党の護憲平和主義とは所詮この程度のものなのだ。

戦後民主主義的進歩派における〈挫折派〉の人々には、こうした厳しい客観的な認識が著しく欠けていると言わざるをえない。本音の部分ではそう認識していながら自主規制している人もいるとも考えられるが、その多くは、やはりとにもかくにも護憲平和主義の建前を掲げる自民党に幻想や錯覚を抱いていると言わざるをえないのである。
この点の認識が甘いがゆえに、例えばPKO(PKF)問題における国会事後承認をめぐる自民・公明の二年後か民社党の六ヶ月後かという対立を、さもこの法案の中心事であるかのような報道ぶりに終始するのである。
 「指揮の最高責任者を内閣総理大臣においてあるからシビリアンコントロールはできている」とはテレビ番組の中での自民党・某氏の発言だが、加えて内閣の合議を経ての自衛隊の出動であるのだからシビリアンコントロールは完全だとの考えが自民党政治家の多くから表明されている。その上での事後承認問題というわけだが、さきにも述べてきたように、自民党の本質が護憲平和主義とは異なる原理――盟主国願望と軍事力信仰と戦争効用論に基づく国家観――にあるとするなら、彼らの言うシビリアンコントロールなぞまったくナンセンスであると考えるべきだ。つまり事後承認の期間をめぐる論議よりもずっと重要な論議がなされていない事のほうが問題なのであり、政治家達が口にしないのであれば、マスコミ・ジャーナリズムこそ自ら積極的に問題提起をなさねばならないところなのだ。
 軍人の暴走はもとより政治家の暴走をどう歯止めしえるのか。政治家に対し事前にフリーハンドを与えることで歯止めになるのか。そもそも、その政治家達の志向する国家建設を容認すべきなのか――この論議こそ、いま緊急になさねばならない問題だ。
こういった事が、自民党の本質・自民党の政治家の体質に対する甘い認識ゆえに、見えてこないのである。 蓋し、マスコミ・ジャーナリズムにおけるこの甘さは、自らを共犯者の立場におとしめかねないほどの陥穽となるであろう。



◇政治的位相の問題―――
    「観念的戦後民主主義理解」

〈挫折派〉の問題を考えるとき、彼らの戦後民主主義理解が観念的であり表面的である点も落せない。ここでは国会政治と国民の分離というテーマで検証しよう。
 例えば二大政党論――。これが結局保守二大政党を志向する点での問題はここでは問わないが、国民の多様な政治意識を無視する発想が内在していることは強く批判しておかなければならぬ。推進論者には自民党長期政権の弊害を解消するためとの良識ある意図がみられはするが、そのために国民の中に存在する多様な政治意識を半ば強制的に二種類に収斂することが許されるのか。国民の多様な政治意識が自ら集合化に向かい結果として二大政党を待望することになるというのが本筋であろう。政党の再編成を国民意識とは切り離して論じる現在の二大政党論は、その意味で国民の意志を無視した論議だと言わざるをえない。
また例えば共産党除き――。社会党が公明党に接近した頃から国会で始まった所謂共産党除きの報道も国民の意志を無視したものだ。最近はニュース原稿でも「共産党を除く自社公民四党は」とさえ言わなくなってしまったほど、事の重大さへの認識が欠如している。彼らの認識にあるのは政党間の相克であり勢力争いである。共産党除きを批判する人達も、謂わば共産党いじめに反対しているのである。
 が、より重大なのは、共産党除きとは、共産党に投票している四〇〇万人以上の国民を除くことに他ならないという事だ。言うまでもなく議会制民主主義において政党の存在は国民の意志を反映させるものとして社会化されている。その政党の声を封じることは、その政党を通じて国会に己の意志を反映させたいと願う国民の声を封じることだ。この当り前の事実を指摘することはもちろん、そういう認識に立って共産党除きを問題にした言論に私は接したことがない。ここでも国会政治と国民を切り離して捉えているわけである。
また例えばPKO(PKF)法案の衆院強行採決の問題――。このところ政府与党のプロパガンダと化した感の強い某大新聞は見出しで「強行」の文字を削除した。社内でも議論があったが結局野党である公明党の賛成を得ての採決であり自民党単独採決ではないことから「強行採決」ではないと判断したとの事だ。なんと国民を愚弄する話ではないか。
 あの採決が「強行」であるか否かは、自民党単独か否かで決ることではあるまい。〈審議打ち切り〉という手段を用いること、つまり問答無用と採決に持ち込む事こそがその採決を「強行」の名に堕するものなのだ。仮に百歩譲ってあの採決を国会規則上の極めて狭い(歪んだ)定義に照らすと「強行」か否か議論の分かれるところだとしても、現在六割以上国民の反対があり、またそれ以上の慎重審議を望む声がある状況を無視して採決に持ち込んだ暴挙が免罪されるわけではない。
 国連文書と政府案との間に指揮権をはじめ重大な問題で大きな食い違いが明らかになっており、それについての国民を納得させるに足る政府答弁がいまだになされていないという状況にあったなかでの審議打ち切り、問答無用の行動は、単に国会審議・採決における「強行採決」という一形式上での過失にとどまらず、まさにファッショ的暴挙と断じなければならぬ。
さきの某大新聞の目には、それが国会の中の政党間の相克としか映らないらしい。自民党と公明党合わせれば過半数を越えており、議会制民主主義・政党政治の建前から国民の過半数の同意を得たことになるなぞと詭弁を弄することは許されない。国民の声を反映させるためにこそ国会は存在しているはずだのに、その現実に存在する国民の不安の声(自民党や公明党の支持層にも広がっている不安の声)を、国会政治において自公両党が無視し、己が主張を強引に押し通すファッショ的暴挙を行ったとの厳しい認識に立つのでなければならぬ。結局、彼らは、私達国民の視点から国会政治の実態を捉えることができないのである。

―――二大政党論、共産党除き、PKO(PKF)法案の衆院強行採決の三つの問題を検証したが、これらに共通して認められるのは、政治を国会の中だけの事、政党同士の争いと捉える発想であり、各々の現象が国民にとってどういう意味をもつのか、国民に対して政治は何を行い何を行わなかったのかという国民の視点に立った政治の実態分析の欠如である。
 日頃、「永田町政治」といって国民遊離の政治を批判しているマスコミ・ジャーナリズムにおいて、しかし、彼らの発想する国民主体の政治とはこの程度のものなのである。私は、ここに、主権在民意識の希薄さのこんにち的実態をみる。



◇「政治的位相の問題」―――
      「観念的平和主義理解」

観念的な理解にとどまっているのは残念ながら民主主義についてだけではない。戦後日本のもう一つの重要な価値となってきた平和主義についても同様だ。
 湾岸戦争以来しきりと「一国平和主義」批判が展開されている――「一国平和主義」ならぬ「米日軍事的平和主義」というエゴイズムに因われて軍事大国化へ血道をあげてきた者には批判の資格はない――が、残念ながら戦後民主主義的進歩派における〈挫折派〉の人々にはこの批判は有効なのである。
 たしかに、「平和ボケ」と悪口も叩かれる日本人にあって、世界平和の維持と達成に日本も貢献しなければならない(いや、義務を果たさなければならない)という意識や、そのためには相応の代価を払わなくてはならないという認識が広くコンセンサスとして形成されていたかといえば、首肯できる人は少なかろう。平和を「棚ぼた」的に観念していたという側面は、残念ながらあったのではないか。平和は国際的な義務や貢献を果たしつつ希求するものであるとの認識が希薄であったことはたしかだと思われるのである。
 実際、もし日本の平和を国際的な平和の維持・達成というなかで考え、そのために平和憲法から帰結される平和貢献に尽力してきた歴史があれば、こんかいのような軍事貢献推進者が唱える国際貢献とか国連主義といった美名を用いる欺瞞的な主張に胡麻化されることもなかったのではないか。そして問題の所在も、国際貢献の是非如何にあるのではなく、軍事貢献と平和貢献のいずれを選択するのかという点にある、と国民の前に明確にされたのではないか。
 が、現実には軍事貢献推進派の策略に平和主義を認じてきた進歩派の多くがまんまとひっかかってしまったわけだ。それも、彼ら自身の中に平和主義についての観念的な意識が巣食っていたためなのである。〈挫折〉をもたらす原因は己自身の中にあったのである。
もっとも、こうした弱点を抱えている戦後の平和主義ではあるが、その中核に平和憲法をもつことによって、戦後のわが国をとにもかくにも決定的な破滅から防いできた事実は忘れてはならないだろう。
 〈挫折派〉の人々にしても、戦費拠出という形での参戦は容認してしまったが――それは過失というにはあまりにも重大な過失だ――、それでもとにかく自衛隊の海外派兵やPKO(PKF)には反対の意思を明確にしている。違憲行為は許さないという反対の立場である。護憲主義は、ここでは平和を守る砦として力強く働いていると言える。その事を私は素直に喜ぶ者であるが、しかし、一方で悲しい気分にもさせられるのである。
と言うのは、その平和憲法についても、まさに「護憲」という言葉に象徴されるように、反動的な動きに対して、憲法崩壊の危機を感じ、改憲を阻止することが第一義となるにとどまっていたと考えられるのである。或は、反動的な動きに対し、憲法を持ち出してその不当性を批判するにとどまっていたと思うのである。もちろん、これは急いで補足するのだが、いずれもそれ自体はまったく当然の行動であり、困難な問題を数多抱えたなかで戦後一貫して護憲平和の旗を掲げて闘ってきた人々の労苦と功績は大いに評価されるべきである。それを無に帰するような批判をしたいのではない。
 評価と敬意を抱きながらも私がここで指摘したいのは、戦後の護憲平和主義とは、実態として、結局平和憲法の受動的役割・消極的活用を果たすにとどまってきたのではないかという事だ。ほんらい平和憲法が志向している日本と世界の未来に向けて積極的な行動を提起するという形での護憲平和主義こそ唱えられて然るべきだったのだが、残念ながらそうした憲法を積極的に生かすための行動もその意識も不十分だったと思われるのである。例えば〈生憲平和主義〉とか、〈求憲平和主義〉といった言葉が用いられてもよかったと思うのだが、その護憲平和の言葉どおり、守りの憲法に終始してきたのだと言える。ほんとうに辛い事だが、戦後の護憲平和主義の実態について私はそのような厳しい認識をもつ。
もっとも、ようやく昨今護憲平和主義の立場からの国際平和への貢献策が唱えられるようになってはきたとはいうものの、後手に回ったのはたしかだろう。そのぶん、護憲平和主義は後退と犠牲を余儀なくされたわけである。
 ここで問題にしている戦後民主主義的進歩派における〈挫折派〉の人々は、そうした護憲平和についての積極的でラディカルな認識を抱いていなかったがゆえに、妥協と屈伏の道に転落してしまったのである。
つまり、さきのような護憲主義はともすれば「違憲でなければ可」という風潮を生じてきたように思われるのである。そのような低いハードルを自ら設置したために、こんにちの状況に危機感を抱いている護憲平和主義に立つ人々はそうではあるまいが、「この程度なら仕方がないか。この程度ならだいじょうぶだろう」という甘い妥協的な感情が生まれ、低いハードルはさらに低くなるという実態を生じているように思われるのである。おそらく、私がここで指摘している〈挫折派〉の人々の現在の心境はそのあたりではあるまいか。
そうした妥協的な意識が日常形成されているという弱点が一つにあり、他方、すでに述べたような観念的な平和意識という弱点があったからこそ、「一国平和主義」批判の声や「国際貢献・国連主義」の声に、彼らは動揺し、その信念に自信をなくし、妥協を余儀なくされたのである。


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