<思想・状況>

「北朝鮮問題に関する一考察」:上



  北朝鮮批判の正当性とは如何なるものか
津吹 純平


 北朝鮮に対して反感を抱く若者が増えているようだ。
 問題なのは、単に嫌うだけではなく、過去の歴史に対する謝罪の必要を認めなかったり、日米合意に基づく国際紛争に対する日本の積極的関与を容認したりといったところにまでその意識が及んでいることだ。
 もちろん、現在の北朝鮮がどうであろうと、それで日本が過去に犯した植民地支配が免罪されることはないし、専守防衛を原則としてきた戦後の防衛政策を、日本周辺の有事に対処するとして事実上の日米連合軍としての行動に踏み出すそれへと転換することが正当化されるわけでもない。
 その点は、しかと認識しておかなければならない。

 だが、反感を買われる北朝鮮には、それだけの理由が存しているのも、また事実だ。
 まずなによりも、異常な個人崇拝による独裁国家である点が、問題であろう。
 実際、金日成や金正日を、子供たちまでが動員されて歌ったり、踊ったりして賛美する様子は異常だ。北朝鮮の指導層はそれを子供にまで慕われていると印象づけたいのだろうが、わたしたち日本人からみれば、洗脳されロボット化させられた子供たちの姿は実に痛々しいものだ。その媚びた画一的な微笑みは醜悪ですらある。子供好きな私でさえ、目をそむけたくなるほどだ。
 その異常な個人崇拝は、自由と民主主義をブルジョワ思想だとして斥け、共産党一党独裁体制を固持する事と対をなす。日本においても、マルクス主義を掲げる左翼や新左翼によって、自由と民主主義は、一定の批判に晒されてきた。
 確かに、天皇および天皇制批判のタブーをはじめ、幾多のタブーを内包する日本の自由と民主主義は、真のそれとは言い難いものであろう。こんにちなお超克されるべき欠陥と矛盾を抱えていると言わなければならない。
 だが、旧ソ連や現中国、そして北朝鮮の政治体制、社会体制の実態をもって、ブルジョワ的自由と民主主義を超克したと強弁しても、わたしたち日本人の理解と共感は決して得られまい。

 また、北朝鮮に対する反感をさそう事として、テロの問題がある。大韓航空機爆破をはじめとして、北朝鮮が国家的にテロ行為を犯しているのではないかとの疑いは濃厚だ。いずれの場合も、韓国を対象にしたもので、それが直ちに他国、とりわけ日本に対するテロ活動や武力攻撃に及ぶというものではあるまい。その点は冷静な認識が求められるところであろう。だが、テロ行為は現在世界中を悩ます深刻な問題となっており、それを国家自らが画策するに至っては、日本に限らず、反感を買うのも致し方ないところではないか。

 個人崇拝と独裁国家体制。国家的テロ活動。北朝鮮の政治的病弊はこうした形をとるだけではない。直接、わたしたち日本人の市民生活にまで関与してくる。
 例の日本人の拉致事件である。これは以前から反共的な週刊誌などでは取り沙汰されていたのだが、媒体が媒体なだけに信憑性は高いとはいえなかった。が、昨今の有力なマスコミの報道や政府の公式見解によれば、北朝鮮の政府機関が関与しているのは事実のようだ。この問題についての北朝鮮政府の極めて不誠実な対応が、それと証明しているかに思えるのである。
 この拉致事件は先のテロ活動と相俟って、北朝鮮が日本を武力攻撃する危険性もあるのではないかとの疑念を惹起させていると言っていい。北朝鮮は不気味な国だ、何をするか分からない国だ、何でもやりそうな国だといった恐れと不安を抱いている若者は少なくないと思われる。その疑念と恐れと不安は、北朝鮮への反感に容易に転化する。

 さらにその反感を増幅させているのが、昨今の日本人妻と食糧危機に際しての援助問題であろう。
報道によれば、北朝鮮は、日本人妻の一部の帰国を認める代わりに、米の緊急援助を求めているという。もちろん、日本人妻の問題は、そのように取り引きされるべき問題ではない。はじめから交換条件として採り上げられるべき筋合いの問題ではない。あくまでそれは人道的に対応すべき事柄であって、政治の駆け引きに利用されることがあってはならない問題である。
 なるほど、日本政府も、食糧危機への対応に際して、日本人拉致事件の解決を交換条件としているが、両者の意味合いが違う。日本側が求めている日本人妻の問題は北朝鮮にとって義務となる事柄だが、北朝鮮側が求めている食糧援助の問題は日本にとって義務となる事柄ではない。加えて、日本側が食糧援助の交換条件としている日本人拉致事件の解決は、北朝鮮にとって、義務でもあり責任でもある事柄だ。換言すれば、日本政府が求めている日本人妻の問題にせよ、日本人拉致事件にせよ、いずれも北朝鮮の義務と責任に関わる人道上の問題だが、北朝鮮が求めている食糧援助は、人道上の問題とはいえ、日本にとって義務や責任が生じるべき事柄ではない。従って、日本が義務や責任の範疇に属さない行為を果たすに当たって交換条件を持ち出すことはあながち不当なことでもないだろう。だが、北朝鮮が義務や責任の範疇に属する行為を果たす際に交換条件を持ち出すのは正当とは言い難い。
 それにだいいち、おそらく全ての日本人妻が帰国を願っていると思われるが、その一部のみ認めて他の方々の願いを閉ざすなど、人情に抗うやり方ではないか。
 こうした援助を乞う立場にありながら人情を弄ぶような政治主義的で高飛車な態度は、北朝鮮に対する反感を募らせるだけである。

 以上、みてきたように、北朝鮮の実態に対しては、厳しい評価をせざるを得ないのが正直なところだ。これでは、たしかに、過去の歴史に格別の罪悪感を抱いているわけではない若い世代の人々の間で、北朝鮮に対して反感が生じ広がるのも、無理ないことに思われる。
 北朝鮮関係者はもちろん、北朝鮮を評価し支持する人々は、事の深刻さをしかと受け止めて戴きたい。
                                       1997年7月27日

*この稿、「北朝鮮問題:下−−−敵対関係の超克のために」へと、つづく


「北朝鮮問題・下……敵対関係の超克のために」へと、つづく