南八ヶ岳へサイクリング&登山日記 二日目


7月15日(木)

南八ヶ岳登山地図

 浅い眠りを繰り返し、覚める度に足を動かして疲れをチェックする。大丈夫だろうか。3時55分、ケータイから目覚ましMisirlou(パルプフィクションのテーマ)が鳴り響く。起きない。4時丁度、今度は雪の進軍(映画八甲田山で使われてた軍歌)が鳴りだす。まだ暗いうちにこの曲がかかると、兵隊の霊が行進して来そうで怖い。起きる。

 朝食の菓子パンの賞味期限7.15。…今日だ。そうか、今日が私の誕生日だったっけ? もう20代も最期となってしまった。山なんて登ってる場合か。しかしテントを畳んで自転車にくくり付け、それを放置して登山開始。時刻は5時丁度。

 稜線へ向かうのに、北沢コースと南沢コースどっちがいいか迷ったが、午前中の天候が安定しているうちに最高峰赤岳へ登っておくべきだし、帰りに赤岳鉱泉に入る可能性も考えて、南沢を選択。早く行者小屋に着ければ、阿弥陀岳もついでに登りたい。しかし気力十分の朝でも、おそらく今日後半またバテるだろうから、あまり早足にはせず。何せ先は長い。八ヶ岳南半分縦走ののち、塩尻峠をチャリで越えねばならん。まだ信じられない。


行者小屋から見上げる赤岳(左)と中岳

 雪の進軍 氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず
 馬は斃(たお)れる 捨ててもおけず ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国
 ままよ大胆 一服やれば 頼み少なや頭に毛が三本…ってQ太郎かよ!?

 妙な替え歌を歌いながら、涸れた広い沢を行軍し、やがて行者小屋。あんま早く着かなかった。しかし阿弥陀岳の立派な山容を見ると、後悔したくないと思う。八ヶ岳では3つしかない2800m超の山頂だし。よし、がんばって登っちゃおう。それにしてもここから見上げる横岳・赤岳・阿弥陀岳は、何かものすごい急峻にそそり立ってるんですけど。本当にあれ登れるものなの? こんな山のフトコロまで来て、先を思いやるのだった。

 いよいよ道も登山道らしくなってくる。いままで山に隠れていた日差しが照り始める。天気ピーカン。日焼け止めを塗ってバンダナを装備。ほどなく中岳のコルヘ。「スッゲー!!」鼻血ブシュー。コルから一挙に南方の視界が拓けたのだ。八ヶ岳のさらに南部の権現岳が緑に輝き、左には霞む甲府盆地の上に、日本代表の富士山が美しい。よっしゃいけるぞ、いざ阿弥陀岳へ。

 ・・・坂が急すぎる。岩の掴める所を探しながら「ファイトー、一発〜」と声を上げて進む。が、つい道を外したのか、いつの間に進路も退路もなくなった。うっかり荷物を岩にぶつけて体のバランスを崩せば、そこには崖が口を開けている。生きててもヘリ出動→破産はまぬがれないだろう、なんて考えると余計足がすくむ。それでも何とか、少しずつ体を有利な体勢にもっていきつつ、思い切って上に登れたのだった。


富士見高原、入笠山越しに中央アルプス

 いよいよ2805mのピーク。さすが急峻な山だけあって、展望がすごいのだ。東には赤岳や横岳が逆光で威容に黒く、南は甲府盆地から諏訪盆地に続く谷を越えて富士山、南アルプス、中央アルプスを水平視し、西は諏訪湖、高ボッチや霧ヶ峰、あの美ヶ原までも遥かに見下ろし、北には蓼科山(13年前に登ったが記憶薄い)や、浅間山も望める。

 ほとんど人が来ないので、自分撮りのために三脚使ってみた。しかしそれ以外の撮影では、手ぶれ補正の効くデジカメなので三脚は不要なのだった。以降使わず。下山を開始。すぐそこに見下ろす中岳のコルが、また遠い。「ついでに寄る」なんて山ではなかったと思いつつ、登りより時間をかけて降りた。

 フツーの登山道に戻って一安心だが、サングラスをかけて、先を急ごう。しかしここから中岳、赤岳へは、さっきまでの単独行ではなく、人が多い。ついに渋滞にハマってしまった。中学生の集団登山である。どうやら一番遅い人を先頭にしてるらしく(まぁ当り前だが)、しびれを切らして強引に全員抜いてった。


八ヶ岳最高峰 赤岳2899.2m

 そんな勢いで、垂直に見上げる程だった赤岳も制覇。振り返ればさっきの阿弥陀岳がとがって見え、逆に東を見下ろせば、平らな野辺山高原に降りてゆくいくつかの稜線。北へは横岳、硫黄岳への険しそうな岩稜が続いている。最高峰へ来た!って感動はまだない。せめて硫黄岳まで縦走してこその八ヶ岳制覇としたいし、とにかく先はまだ長いのだ。ここまでピーカンだったが、霧の素が発生して、太陽を覆い始めている。阿弥陀岳へ登ったぶん計画よりだいぶ時間が遅れてるし、さっきの中坊どもが追い付いて昼食を取っているスキに出発、縦走開始。


あの稜線を歩いていくのか…

 赤岳からの道もかなり険しい。阿弥陀ほどではないと思うが、どうしてもゆっくりになる。そもそも履いてきたトレッキングシューズが底のあまり硬いものではなく、しかも相当すり減っている。ちっとも地面をホールドしてくれないのだ。おまけにマメがもう痛い。それをカバーする気力体力も尽きつつある。それでも人並みよりは速く進んでいるつもりだが、コースタイムよりどんどん遅れる。なんなんだこの地図は。

 ともかく下界とはかけ離れた天の道。時々停まって呼吸を整えないとつらいのは、きっと空気が薄いせい。左右の切り立つような崖を見下ろしつつ、クサリ場やハシゴではスリルも味わう。調子に乗ってクサリを使いまくってると、今度は腕力がなくなっていく。


大同心という巨岩
あれ登るなんざほんとにクレイジーだ

 仏教的な命名であるという小さなピークを越えたり巻いたりしながら、からがら、横岳山頂2829mの看板前。よくわからないがここが横岳最高峰らしい。左手には小同心だの大同心だのを見下ろす。一般登山道でさえ私は恐る恐るなのに、あんな気が動転しそうな巨大な岩のナイフを登ろうって人は、確かにいるのだ。背後の赤岳や阿弥陀岳は、もう霧に覆われている。

 太陽がなかなか姿を現わさなくなった。サングラスをかけてるせいで、余計どんより暗い気がする。とにかく、早く美濃戸に降りたいなぁ。しかし台座の頭の脇道をゆくと、斜面一面に咲き乱れるコマクサの花!「スッゲー!!」鼻血ブシュー。こんなに群生しうるものとは知らなかった。

もう12時を過ぎたので、硫黄岳山荘のベンチで昼食。ここまでほとんど座らなかったから、ようやく休みらしい休みに入れる。しかしここでもあまりゆっくりはできぬ。あまり食欲もないし、3つ持って来たおにぎりのうち2つだけを食べて、すぐ出撃。なんでこう、私の計画ってまったりとした山行にならないのだろう。


硫黄岳北壁をなす
爆裂火口

 硫黄岳へは、木曽駒ヶ岳に似た登り。ガッチリ組んだケルンを8〜9つ数えると、山頂広場へ。何にビックリしたかって、北壁の爆裂火口! 名前も凄いが、見た目はもっとスゴイ。なるべく際まで寄って写真を撮りたいが、強い風がそっちに吹き込んでいる。うっかり落ちたら、気を失って、頭を打って命を失い、魂を抜かれ、ただのブヨブヨした物体となったボクは、骨を砕きながらどこまでもどこまでも墜ちてゆき、麓の露天風呂にジャッポーンだ。恐ろしくて、硫黄岳最高地点(2760m)や三角点のある切り立った細い道にはとうてい行ってみる気にはなれないのだった。きっとこの山はもっと高かったのだろうが、いったいどうしてこんな崩落が起こったのだろう。もうちょっと調べてくれば良かったかな。

 とにかく南八ヶ岳の最北峰に来たぞ。さらに北へは夏沢峠越しに、北八ヶ岳の天狗岳や蓼科山が続いている。南を振り返れば阿弥陀岳、赤岳、それに横岳も、もう霧の中。あの霧から逃げるように歩いている。つくづく南沢回りにして良かったと思う。しかし横岳西側の断層絶壁はやはりダイナミックな景観だ。さぁ、もう山を降りよう。

 腹を上に向けた四つん這いで砂礫の難所をずりずり下りたりしながら赤岩の頭。あとは樹林帯のジグザグ下山道。坂はまだ急でも、やはり岩陵よりはよっぽど歩き易い。もう、最大のイベントだった縦走部はどんどん上の方になってゆく。急いでしまったものだ。ここからはもっと急ぐ。足やヒザの痛みを気にしつつ。足下の感触が予想と違った際のとっさの反射神経もにぶってきている。なかなかこの道も長い。やがてジョウゴ沢。顔を洗う。また強い陽射しを浴びながら。


赤岳鉱泉より見上げる横岳

 ほどなく赤岳鉱泉へ。入る時間がないのが残念であるが、ここからの八ヶ岳西壁の眺めも良い。あの稜線を、私はさっきまで制覇してきたのだ。それを背にまた歩き出す。嬉しくなって体中の血液がジンジンした。“爆発を背に立ち去る主人公”の気分だ。男のロマンだ。

生きているか死んでいるかも分からない日々。生きてる実感を求めて八ヶ岳に来た。稜線歩きをしながら「目標に向かって一生懸命になっていること」が生きていることなのだろうと考えた。でもやっぱり、血が逆流するほどの感動の時! これが欲しいものである。

 もうあとは沢沿いのゆるい下り道で、自動運転みたいなもん。余裕余裕。ところがいきなり天地がひっくり返った。今日一番の派手なズッコケだ。デイバッグがぼよよんとクッションになって体のダメージはなかったが、油断大敵。しかもまだまだ距離は長い。やがてクルマも通れる林道部。急ぎを意識しての大股歩きも疲れ切り、「もう次のカーブの先か」という念を繰り返し繰り返し、ついに建物の屋根を発見! 美濃戸山荘である。やった、南沢ルートからぐるっと、北沢ルートで下りて来た。

 さっそく昨日の娘が出迎えてくれた。時刻は15時30分。つまり10時間半、ほとんど歩き通しだった。「いやーしんどかったよ」。ここまでトイレもずっと我慢してたので、それも10時間半ぶり。ジュースを買って、余ったおにぎりを食べながら休憩する。そしてもう16時。出発せねばならない最終時刻。あの娘に見送られ、私は帰りの自転車を出撃させるのだった。

奮闘努力の甲斐もなく今日も涙の 今日も涙の日が落ちる 日が落ちる

 いやいや冗談じゃない。日が落ちる前にせめて塩尻峠を越えないとやっかいだ。心配だった林道ダートをトラブルなく下り切り、あぁもう山荘は遥かの別世界。アスファルトの道を快走で下りて行く。上りはあれほど苦労した直線道。一気に思い出がいっぱい詰まった八ヶ岳を離脱してゆく。いつのまに愛用のジョンレノンバンダナを吹っ飛ばしてしまった。


諏訪湖夕照

 下界はまだ暑い。バテる〜。せまる塩尻峠に気を重くしながら、ついに耐えられなくなり、サークルKでソフトアイスを買う。ここから諏訪湖岸のサイクリングロードも少し利用し、国道に復帰して岡谷市に入ると、いよいよ上り坂になる。ゆっくりとだが、力弱くはない。もう、体力を使い果たしてしまえばいい。そんなボロボロの体が、ついに峠に生き着いた。雲に霞む八ヶ岳との、最後のお別れである。さようならかありがとうか、ちくちょうか。ともかくあの山は、松本から自走できた私の足によって制覇された!

 19時。ちょうど日の入りの時刻で、まだ明るさが残り、峠を下り終えるまでダイナモランプ不要のぎりぎりのタイミングである。長い坂をシャーッと下りて行く。これをまた、上りたくない。市街地まで下りるともう夕闇深くなり、ダイナモオン。ゆるい坂を松本へ。


自転車もくたくた?

 松本城からの、最後のちょい上りも終わった。アパートの2階に自転車を担ぎ上げて、やっと、あのメチャクチャな計画を完了!! 有言実行!! ザマァみろってんだ(?)。もう真っ暗の、20時15分だった。

 んでもまだまだ、一人暮らしだからやる事は多いのね。荷物全部外して部屋に入れ、食べるものがないから残ったカロリーメイト、も唾液が出ず半分がやっと。とにかくフロ! 裸になって風呂場に入って、ここで初めて「やった〜っ!!」と両手ガッツポーズ。

 サッパリしたので、食い物を求めて買い物に出る。何かこの光景、すっかり日常と変わらない。ホントにあの阿弥陀岳から硫黄岳への稜線歩きは、そしてそれへの上り下りは今日の出来事だったのかしらと思う。今日の出来事だったんです。んで、ちゃんとここまで帰ってこれたのです。結局流動物しか喉を通らぬ疲れっぷりで、バタンキュー。


コマクサ

 翌日、洗濯物がたまったので、3回洗濯機を回す。疲れてるというより、体中が痛い。仕事休みがあと一日あって本当に助かった。でもそんな体の痛みが妙に心地いい。それは、昨日まで私が八ヶ岳にいた、自分にとっては唯一の証拠だからである。

 ちょっとした偶然から計画を立てて、それまであまり興味のなかった八ヶ岳ではあるが、松本から完全自力による登山を達成できた。素晴らしい山だった。今後、中央本線の車窓からあの山を見上げる時、今までとは違った感情を持つだろう。でも次こそは、もっとゆったりとした山登りがしたいものである。

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