むらよし旅日記・其の二十四:ラストツアー〜全都道府県制覇に向けて〜

 五章 奄美大島の風土は険し

3月22日〜3月24日 

background: 3/22撮影『奄美のマングローブ林』

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3月22日(日)憧れの奄美航路

 二等船室での宿泊は、堪え難きものであった。消灯後もガキがはしゃいでうるさいし、テレビは付けっぱなしにされている。たまたま客層が悪いのだろうか。ひっきりなしにトイレ等に行く人の靴音が、頭のすぐ近くを通る。むかついて寝返りを打とうにも、一人当たりのスペースが極端に狭い。結局睡眠不足積もったまま朝になり、奄美大島の名瀬市に入港した。ここで“途中下船”する。九州本土からはだいぶ南に離れた海上だが、まだ鹿児島県である。
 漠然とした憧れを持ってこの島にやってきた。映画『男はつらいよ』にもゆかり深い場所である。しかし島の玄関にあたる名瀬港には、全く旅人歓迎の気風が見受けられない。曇天の下、あまりいい予感がしないぞ。
 缶コーヒーで眠気を払った気にしておき、島の南方へ向けてチャリ出発。ハイビスカス咲く国道58号は、よく整備されトンネルもあるので楽だ。自分には、昨日までの奇跡のような体力は、もう、ない。ははは、ない。
 南の楽園というイメージにはそぐわない、北風の寒さである。しかし高台から見下ろすマングローブ林などは、さすがのジャングルであった。他にチャリダーはいないのかな、と思っていたら、ひとりMTBが追い付いてきた。少し一緒に走ってみると、軽自動車のパンク現場に遭遇。修理を手伝いながらいろいろ話す。やがてそのMTBはすごい勢いで坂道を登って行ってしまった。さいなら。
 私はゆっくり走る。筋肉がダメダメ状態だし、右ヒザの痛みも復活してしまっている。そして峠の下り、眼下のトロピカルな海に見とれて気持ちよく走っていたら、よそ見しているスキに中央分離帯のごつい凸に乗り上げてしまった。「!!」、車輪のリムが曲ったぁ…! 手持ちのペンチで復元を試みる。カン!カン!カン!・・・何とか旅の続行が可能なレベルに回復した。ブレーキの具合は悪くなったが、不幸中の幸いだろう。これからは気を付けよう。
 気持ちはブルーになりかけたが、海と島の風景はいいムードなのだ。古くからの集落はみな一階建てなので、独特の雰囲気がある。島のほぼ南端にあたるホノホシ海岸は、丸い石ころがいっぱい転がっていて、果ての風情。
 瀬戸内町の中心集落、古仁屋で買い出しをして、もう少し先に進む。内海は静かで、海水は澄んでいる。珊瑚を海中に見下ろせるポイントもあった。陸軍弾薬倉庫跡では、電灯を付けて壕の中に入れる仕組みになっていたが、一人ではむちゃくちゃ怖かった。
 島の西海岸を伝う県道79号は、うわさには聞いていたが、アップダウンの量と質がいやらしすぎる。ボロボロな思いで、白浜という海岸に到着した。ここでキャンプが出来そうだ。さすがにここまで日本の西に来ると、日が暮れるのが遅い。白浜は、集落はあるが人気が少なすぎる。外灯も自販機もない。

 波の音だけを聞きながら、深い深い眠りに入った。

3月23日(月)海の自然と、山のリゾート

 太陽が上がるにつれ、輝きを増す島、半島、海。こんな美しい景色に、そびえるリゾートホテルなんて一軒もないのが素晴らしい。開発の波はまだここには至っていないようで、嬉しくなる。気候はようやく暖かくなってきて、今春ついにTシャツ一枚で大丈夫そう。
 昨日の続きで県道79号を北に向かうが、地図では確認できないアップダウンが、その量と質をもって自転車に襲いかかる。ヒザの痛みはギリギリである。宇検村でようやく県道をそれ、逃げ込むようにしかし長い登りの林道に入った。
 およそ400mアップを登り切った頃、右ヒザ痛が深刻化した。痛みのあまり、曲げ伸ばしが出来なくなったのだ。もはや、合宿のころから愛用していたバンテリンしかも1%ゲルも効かなくなっていた。どうしよう、ここで倒れる訳には行かない…。考えた。なぜ、夏は大丈夫なのに春にはよく故障するのだろう? そうか、冷えるからいけないんだ。今さら気付いた私はバカだが、ともかくタオルをサポーター代わりにして巻き、ようやくしのいで走れるようになった。

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マテリヤの滝
 林道とはいえ大部分が舗装されていた。いくぶん坂を下りると、突然目の前に、一大レジャー公園が建設されていて完成間近だった。こんなへんぴな所に客が来るのだろうか。その公園の端に、本日わざわざ林道に入った目的であるマテリヤの滝が。落差はあまりないのに、青く大きな滝壷は、奄美独特のものなのだろうか。しかしこうもレジャー開発されてしまうと、ジャングル奥地の幻の滝、という雰囲気ではなくなってしまうのが残念。
 地図に乗っていない林道に足を踏み入れてしまい、大いに迷いながらも大和村役場あたりで海岸沿いに下りることができた。という事は県道79号。またしてもアップダウンが尋常ではなく、今日もヘトヘト。名瀬市の端にある大浜海浜公園キャンプ場に到着した。
 ここは地図には無料とあったが、今年から有料になっていた。今春初めてキャンプ設営に金がかかった。どのみちそう高くもないが。他に客はいない。海がすごくきれいで、足だけ入ってみる。本当に海なのかしらと、海水をすくって舐めてみると、…やっぱ海だ。

 夕暮れの海辺。誰も聴いていないウクレレ・オカリナ。そこに野良猫一匹。僕に歌が作れたら、なあ。

3月24日(火)自転車にはやさしい地形の島東部

 きしむ右ヒザをかばいながらの睡眠だった。缶詰で朝食を採り出発。霧雨の中、名瀬港フェリーターミナルに寄り、荷物をあらかた置く。どうせ今日中にここに帰ってくるので、最小限の軽荷でいいのだ。
 名瀬から島東部へ向かう。満身創痍に近いのでスピードは出さず、ゆっくり。昨日までのようないやらしいアップダウンはないが、時折向い風が強い。笠利湾はエメラルドブルーの海はいいが、空が暗くてはあまり絵にならん。
 だらだらと笠利町にやってきて、昼パン。そしたら大雨になってきやがった。町役場に避難する。早く止まないかなあと、役場に置いてある新聞を読みふける。まあ、暗くなる前に名瀬に戻れれば良い。

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アヤマル崎から
 午後3時まで待てど雨止まず、仕方なく出撃。急がないと日が暮れてしまうので、飛ばし気味に行く。用海岸の珊瑚礁に感心するヒマもない。
 アヤマル崎には寄る。かつてここを訪れた後輩K林&H川の報告では「サイコー」とのこと。確かに崎の両側に珊瑚礁が続いているのはいいが、晴れて欲しかった…。この雨ではあやまる気にもならない(何をだ!?)。
 ここからがさらに土砂降り。しかし急がねば。ブルーハーツの『電光石火』を口ずさみ、電光石火の激走気分。しかしさらに雨はひどくなり、口ずさむことすらかなわない。かつてこれ程の豪雨の中をツーリングしたことがあっただろうか? これぞ奄美のスコール。この大島で奄美を存分に感じているんだ、と前向きに考えよう。
 強気なギア比での激走も、終盤は空腹でバテ。だいぶ暗くなるころ名瀬市街に入り、フェリーターミナルまで頑張った。買ってきた弁当をかっ込む。あとはフェリーにさえ乗り込めば、全都道府県制覇へのあらゆる苦労は達成したも同然だ。もう勝ったようなものにござりまする。
 港にはまず沖縄発鹿児島行き『あけぼの号』が来た。搭乗が済んだころ、中学卒業生らしき連中が、誰を送るのか、花火を打ち上げている。フェリーからもお返しとばかりに花火が飛んでくる。共に打ち合い、まるで海戦の様相だ。こっちゃあ危なくてしょうがない。物陰に隠れて見物する。
 次に神戸発沖縄行き『あかつき号』が来た。強い雨風の影響で遅れ気味であり、搭乗作業は慌ただしい。いよいよ私も乗り込み、そして出航。中の風呂でサッパリした後、窓の外を眺めてみると、まだ奄美大島の灯りが見える。

 すでに全都道府県「つなげて」制覇の達成感は我がものになった。沖縄でのランは、お祭り気分のものになるであろう。


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