background: 3/26撮影『瀬良垣ビーチ』
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ラストツアー、いよいよ沖縄へ
日本は計47の都道府県に分かれている。いつしかその全てを回るということが目標になり、旅を続けて来た。
県境なんてものは誰かが勝手に引いた机上の線だから、「全都道府県制覇」という言葉に本質的な意味などない。
しかし、日本のおよその地域を見聞するために、それは大きな、旅の動機になりえた。以前の自分ではとうてい到達できないような、山や海の向こうの世界を巡ることができた。いろいろな景色を見て、様々な人に会い、太陽や雨風を肌に受け、地形を足に感じ、そしてその土地どちを経験として心身に刻み込ませることができた。
そして今、「将来もし仮にお金持ちにでもなったら飛行機で行くことがあるのかな」程度に考えていた島に、自転車で引いてきた線と、フェリーで引いている点線で向かっている。最終目標“沖縄県”、そこでは一体どんなラストツアーをすることができるのだろう。
3月25日(水)猛暑がお出迎え
二等船室での宿泊は、堪え難きものであった。今回はたった一人のガキ女がうるさかった。深夜0時を回ってからようやく母親が「あんまりうるさいと海に放り投げてやるから!」と叱り出した。是非そうして欲しいものである。またこの船に乗ることがあれば、せめて二等“寝台”を指定したいものだ。それでも前回の船よりはよく眠れた。
朝起きると、窓の外にはもう沖縄本島が間近であった。わくわくする。天気予報では、曇りのち晴れの模様。体の疲労と右ヒザ痛が心配なので、本当は一日休んで大事をみたいが、もう残り日程が少ない。そのためにわざわざ夜行便を使った訳である。
午前9時30分にフェリーは那覇港に入港、そして自転車を漕ぎながら上陸。その瞬間、最後のガッツポーズを決めた。これで長きに渡る全都道府県制覇を達成!
まあ、とにかく走らなくちゃ。船旅のうちに見事に梅雨前線を越えてしまったのか、夏のようにムシ暑い。これぞ沖縄に来た甲斐があったぞ。
フェリーターミナルの待合室に寄ってみると、丁度テレビで春の高校野球の開会式をやっていた。テーマ曲は沖縄出身キロロの『長い間』。すでに沖縄かぶれが始まっている私としては「沖縄尚学高校に頑張って欲しいな」なんて考えた。[注:その後の沖縄尚学の快進撃は御存じの通りで、沖縄県勢として初の甲子園優勝を成し遂げた。おめでとう。]
暑い。早くも夏バテの危機を感じつつ、まずは那覇観光つまり『国際通り』へ。お土産屋が無数にあり、とても回りきれない。商店が超高密度で連続する路地もここ独特のものだろう。沖縄そばやタコスを安く食べることもできた。街行く女の子は、安室顔はあまりいないが知念顔やキロロ顔はゴロゴロしている、なんて。
首里城への坂で早くも汗だく。城はまさに異国情緒。曲線的な城壁は、本土ではまず見られない。
ここから島を北へ向かう。国道58号は広くて交通量が多い。キロロの曲を口ずさむのが気分である。「ランラランお花畑に〜」わたしゃ隠れファンらしい。…とにかく“暑い沖縄”を走っているのが嬉しくてたまらない。ヤシ並木もグッド。米軍基地もグッドグッド。戦闘機の爆音が痛快だぞ。ちなみに国道58号は、鹿児島市街から種子島・奄美大島を伝って沖縄本島那覇に至る、海上の国道として有名である。
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ひとりぼっちで灯台の光を眺めていると、ちょっぴり重い何かが胸を抉る。4月からは信州の松本市で、私は曲がりなりにも独立生活することになっている。新時代へのかすかな希望が、今の心の支え…。
3月26日(木)エメラルド海岸紀行
米軍兵がオカマを掘りに来るなんてことはなく、無事に朝を迎えた。急いで岬の灯台へ駆けつける。日の出には間に合わなかったけど、素晴らしい朝日が昇っていた。ここは夕日も朝日も素晴らしい岬。
ランは島の西海岸を、真栄田岬、恩納海岸、万座毛、瀬良垣ビーチと結ぶ。左手にはずーっとエメラルド色に光る海。珊瑚の海は晴れている日にこそ美しく輝く。万座毛は観光客が異様に多かったが、侵食された崖は見事だった。
名護市ではヒンプンガジュマルという熱帯っぽい大木を見た。国道58号をそれ、本部(もとぶ)半島への道へ。採石場が多くダンプが大量にホコリを巻き上げるため、自転車で通るには最悪。
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確かなのは、今僕がここでこうしているってこと。それだけ。
今夜は暖かいのでテントにフライシートをかぶせる必要はないだろう。シュラフもいらない。テントの戸を網戸にして仰向けになると、風に揺れる防砂林の向こうに月。これもいい感じ。ただ、何か不安。
3月27日(金)RPGに出てくるようなジャングル
曇り模様。これ以上晴れられても、腕の日焼けが痛む。朝早々に瀬底島を出て、東へ向かう。あぁ、だるい。しかし旅の終わりは近い、頑張れよ。
沖縄記念公園はまだ開園時間ではなく、パス。近くの観光地も全部パス。今日は距離を稼がにゃ。名護市羽地でパン補給。雨が降ってきた。ここから北へ向かえば沖縄本島最北端だが、そこまで行く動機や余裕がない。島を横断すべく、山道に入る。
非常に平坦な地形の沖縄本島にあって、山道は珍しい。といっても大した山ではない。雨が本格化する前に山を越えるつもりだったが、登ってる途中でついにきた、スコールだ! 梅雨前線が南下して来たのだろうか。多野岳山頂にあたる休暇施設に避難した。
しばらくは霧も深く、どうにもならないでじっとする。寒くもなってきた。やがて雨が止んだので山頂の三角点に立ってみる。まだ何も見えない。ここでの眺望はあきらめ、山を下りる道へ。
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日記は貴重な暇つぶしでもある。今日までのことや、明日の予定についてもいろいろ葛藤する。こうやっていろいろ考えているのだから、脳みそ退化しないよね、きっと。
3月28日(土)沖縄のこころ
今日も国道329号のゆるやかなアップダウン。曇り空の下、TシャツでOK。国道を内陸側にそれて坂を登ると、名所・中村家がある。この響きに弱いんだ。中を見学して、居間であぐらをかく。
続いて中城(なかぐすく)城跡。城壁が所々崩れてはいるが、琉球一壮大な曲線美は健在である。城壁の上に立ってみると、太平洋側がよく見渡せる。東シナ海側も、何となく見える。
しかし私の興味を引いたのは、中城城の南側にたつ、もうひとつの巨大な城だった。米軍が建設したっぽい、あやしすぎる廃虚。はるか向こうにある展望塔まで続いている。人の気配はなく、落書きのペイントだらけである。あまりにも恐ろしいので、とても中を探検する気にはなれなかった。一体なんなのだろう…。
国道に復帰し、さらに南へ。道脇には時々墓も見かける。沖縄の墓はみんなデカい。何と言うか、のっぺりとした石製の霊柩車、という形容で伝わるだろうか。また、家屋の壁の足下にはよく「石敢當」という文字が彫り込まれている。街にはマンガ喫茶が多い。ガソリンが妙に安い。コンビニはローソンとファミリーマートとホットスパーが三強である。などなど、独特な文化が次々と眼に入る。
やがて晴れてきた。島の南部を回る国道331号に乗る。知念岬は人気はないが、珊瑚礁や小島を見下ろせる絶景で、穴場だと思った。この先、海岸段丘上のやや高いところに道路は延びる。
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の宣告が、鮮烈に脳裏に蘇ってきた。身震いする程に、歴史の悲劇の重さを感じた。多くの女学生が、苦しみの洞窟戦の果てに戦死した、その象徴である。
そこを、右翼の宣伝カーが大音量で「君が代」をかけて通り過ぎて行った。ひめゆりの塔の資料館を出てきた人々の神経を逆撫でしてるのではと、心配になった。
パンク修理などしていたら、日が暮れてきてしまった。急ぎ、糸満市街へ。ところで沖縄に来て以来、ほとんどチャリダーを見かけない。全国一千万の(?)サイクリスト達はこの時期いったいどこをうろついているというのだろう。九州で足止めを食らっているのか、はたまた沖縄本島よりさらに南西の八重山諸島まで飛んでしまっているのだろうか。
そんな事を考えながら走っていると、私と同じスタイル(前輪にサイドバッグ)のランドナーにすれ違った。ようやくだ。でも手挨拶だけ。お互い設営地を探して急いでいるので、ゆっくり話している場合ではないといったところだ。ここ沖縄では「出会いの旅」にはなりそうもない。
街の人に銭湯の場所を教えてもらい、沖縄ツーリングでの疲れを落とす。キャンプは糸満小学校にひっそりと設営した。定番のレトルトカレー夕食の後、買って来た泡盛という酒の栓を開ける。
これが学生時代最終のキャンプ。感無量。独り言で乾杯の音頭をとり、泡盛をあおる。キツーイ! 過ぎ去りし旅の日々よ、さようなら。
3月29日(土)このしまへの道程
昨夜は120mlだけ泡盛を飲んだ。しかし摂取したアルコールの量は私としては尋常でない。寝付く時はかなり大変だった気がする。そして、良く寝たような寝てないような、朝5時半には起きて眼が冴えてしまった。
無事なんのおとがめもなく撤収し、ゆっくりとラストランに出る。曇り空はまだ早朝の暗さを残している。Beginの『失われたワルツ』という曲が、憂鬱な終末の気分に、よく似合うよ。
再び那覇の国際通りに来た。これでまぁ、一回りしたな。まだお土産屋の開店する時刻ではないので、ドトールで時間を潰す。なにも沖縄に来てまでドトらんでも。ともかく旅の回想でもする。
沖縄は人口密度が高い。自動車が多い。かつて鳥取県を縦走した時とは、えらい印象の違いだ。地形が平坦なのは助かる。奄美大島ではずいぶんひどい目に会ったからなー。旅の間、世の中の動きがどうなっているのかは関わりのないこと。しかし、どこの商店にいっても『地域振興券取扱店』の大きな張り紙がしてあるのは、正直うんざりするところだ。限られた日程で、これまで一日も休みらしい日を作ることが出来なかった。だから馬車馬のごとく駆けずり回ったなぁ。旅の本質って何だろう、私に追求できるだろうか。そのためには自転車旅行だけではだめだ。今、こんなに日本の果てにいるのに、今日の夕方にはつくばに戻っている。飛行機とは恐ろしい乗り物よ。向こうはまだ寒いんだろうなあ。帰ったら、早く引越しの手筈を整えなくちゃ。みんなは元気にしているだろうか。……。 |
ようやくお土産屋の開く時間になった。下見は4日前にしてあったので、家族やお世話になった人への土産を手早く買い揃えることができた。空港への道は、いよいよ本当にラストランの最期になった。
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旅はここで始まり、そしてここで終わった。今その全てが、終わった。
こうして全都道府県「自転車でつなげて」制覇の旅は、47番目の沖縄県の旅を以て完了した。寒さに震えた若狭湾岸での前ラン、とにかく楽しくて走り甲斐もあった四国での合宿。再び単騎になった後ランでは、とかく急ぎ足になってしまったけれども、南九州や奄美、沖縄の気候や文化をその分急ぎ足で吸収することができた。絶対忘れることの出来ない体験や思い出である。最後の旅になると判っていたから、どんなに疲れていても一生懸命になれた。だからこれまでのツーリングで一番充実した日々を送ることができたんだと、確信する。 第二の人生は、今、始まれり。(って大袈裟なんだよ) |