むらよし旅日記・其の二十四:ラストツアー〜全都道府県制覇に向けて〜

 四章 九州の秘境を走り抜けて

3月18日〜3月21日 

background: 3/19撮影『五家荘・梅の木轟公園吊り橋』

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3月18日(水)別れ、そして新たなる旅立ち

 まだ暗い早朝に起きる。旅の日程はまだ半分で、これから合宿後の個人ラン“後ラン”に出るのだ。G藤(M)が「全県制覇がんばって下さい」。T村にも言われた。お、おう。あとのみんなはまだ眠っていて、これといった別れの挨拶も出来ずに、宿を離れた。

さよなら。

 朝もやの松山市街地を駆け抜けて、港へ急行。私と同じく九州へ向かうI島が同行している。港は意外に遠く、信号ほとんど無視で爆走、何とか別府行きのフェリーに間に合った。すぐにフェリーは出港、松山の街並がぐんぐん小さくなってゆく。四国での長い旅は終わった。
 4時間かけてフェリーは大分県の別府港に着いた。さあ九州だ。さて、ここからどうしよう。別府から直接走って宮崎・鹿児島に向かうルートも魅力的だ。しかし、熊本県の五家荘の方が渋いような気がするため、列車輪行で熊本に向かうことにした。
 I島とあっけなく別れ、一人になった私はまずJR別府駅へ。急いで自転車を輪行袋に片付け、駅前の外湯につかる。日本最大の温泉地別府に来て温泉に入らないのでは、温泉好きの名がすたるからだ。メチャクチャ熱いそのお湯は、さっと入る目的にはありがたい。駅に戻ってホームに駆け登り、発車寸前の列車に飛び乗った。ウルトラC! 一本乗り遅れると列車接続の都合で、熊本への到着が大幅に遅れる計算だったから、間に合って良かった。
 なにしろ今回のツーリングは、帰宅後の引越しの都合で日程的に制限が厳しい。いつ帰ってもいい放浪の旅の方が好きだが、仕方ない。奄美・沖縄へのフェリーのチケットや、帰りの航空券まですでに予約して買ってある。それに間に合うようにしっかり予定を踏襲していかなければならないのだ。もっとも、それが普通の旅であるが。
 大分駅で豊肥本線(愛称:阿蘇高原線)に乗り換える。街から離れるにつれガラガラになってゆく、単行汽車の車内。鉄道の旅はこれぐらいがいい。車内には登山家たちが乗り込んでいるが、私は自転車旅行の方が、より“旅の本質”に近いような気がするから、好きだ。むろん登山にも強い興味がある。
 峠のトンネルを抜けて熊本県に入ると、車窓には雄大なカルデラ地形が広がる。なにせ世界一だ。しかし阿蘇山は雲の中。阿蘇に来るのは三度目だが、一度も晴れたことがない。恐るべし阿蘇山。
 宮路駅では次の乗り継ぎ列車までの待ち時間が長かったので、周辺を歩いてみた。すると阿蘇神社という立派な神社があり、ちょっとした観光になった。引いたおみくじはまた大吉だった。ついでに近くのスーパーで買い物も。意外と安かったので、つい明日の分まで買い出ししてしまった。と言ってもレトルトカレーだが。
 夕方にやっとこさ熊本駅に着くと、ホテルの客引きが寄ってきた。わたしゃ見るからにキャンパーだっつうの。町外れに適当な公園を見つけ、テントを張った。

 新たなるキャンプ生活、そして全都道府県制覇へのカウントダウンが、始まった。

3月19日(木)なるほど源氏は追ってこまい

 朝の雨は出発時には止んだ。まだ見ぬ南の地を目指す。砥用町から国道445号に入ると、峠への細くせまい登り道が始まった。
 これが激坂! 自分史上では、信州高ボッチへの登りが一番の激坂だったが、あれを彷佛、いやあれよりキツい! 霧雨の中、時々休みつつも頑張る。おまけに道路工事による時間通行止の時刻が迫っているから、ゆっくり出来ない。最後の方はようやく勾配もゆるくなり、一つの大きな峠を登り切った。二本杉峠。
 ここからは阿蘇や雲仙、天草を一望できるらしいが、今日は霧で真っ白。心の眼で眺めるしかない。すると、いままで走ってきた地形が体の芯に溶け込んできて、海と山の世界を感じることができた。景色のすばらしさ云々よりも、この感覚の方が大切なのではないか。

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巻き物風のパンフレット
 峠を越えると、そこは五家荘(ごかのしょう)。平家落人伝説が伝わり、都市や公共交通からいまだに隔絶された山深き里は、日本三大秘境にも数えられる。
 時間通行止ポイントを無事通過すると、『梅の木轟公園吊り橋』がある。折しも太陽が顔を出し、霧が白く照らされて山肌を駈け登ってゆくさま! 鳥肌を立たせつつ、そんな吊り橋の情景を写真に収めることができた。その橋を渡った先には梅の木轟(とどろ)という滝がある。橋がなければまみえることのない、幻の滝と言えよう。そんな贅沢な気分の滝見遊歩道。すっかりこの山里が気に入った。苦労して峠を越えた甲斐があるというものだ。
 国道をそれて、樅木(もみき)集落へのアップダウンを越える。五家荘探訪のメインだ。『平家の里』という、昔ながらの家屋を模した資料館がある。400円の入場料でもらえるパンフレットは、巻き物の形になっていて、いい土産になった。
 今度は、国道に戻るための県道の、時間通行止の時刻が迫っている。これも引っ掛かるとやばいので急ぐ。樅木吊橋を渡ってショートカット。山深いということは谷深いということでもあり、谷を渡る手段は伝統的に吊り橋しかないのだ。しかし樅木吊橋は歩行者用の橋。自転車でも何とか通れたが、そこから県道へは階段の遊歩道を登らなければならなかった。腕力をミシミシ言わせ「ファイト〜、いっぱ〜つ!!」と叫びながら、ゼエゼエに疲れて登り切った。おかげで時間通行止ポイントはまた無事に通過できた。
 時々、自動車で来ている人から「頑張って」と激励の声を頂くのはやはり嬉しい。国道の勾配を下りてゆくと、だんだんと山谷の深さもゆるんでゆく。今日は五木村までで良かろう。
 ここは『五木の子守唄』で知られる山里。子守唄公園にテントを設営した。すぐ隣には五木温泉センターがあるのが素晴らしい。安価で、ややぬるいが、こんな疲れた日に入る温泉がいちばん気持ちいい。

 今日は時間通行止に振り回されたが、終わってしまえば笑える思い出である。

3月20日(金)無人駅に張られたワナ

 公園に流れるスピーカーの音色で朝を迎えた。五木の子守唄である。悲しみ深い旋律は、明るい街からは程遠いここの山深さにも通じている気がした。
 雨が止むのを待って出発。昨日からうすうす気付いてはいたが、崖を見上げるとそこに新しい道路を建設しているあたり、本当にこの村はダムに沈んでしまうらしい。子守唄の伝承の地なのに。やがてここはゴーストタウンになり、水面の底へ…。私が泊まった公園や温泉にも、二度と会うことはないだろう。そう思うと寂しいが、もう村を出よう。
 下流では、大規模なダム工事が進行中であった。まさに自然と人間との、戦場である。
 両脇の山々はどんどん低くなってゆく。一時どしゃ降りに遭いながらも、平坦な地形の人吉市に着いた。駅でパンを食べながらゆっくりする。
 午後は国道221号でさらに南へ。いざ登り。今日は気温が低く風もあるが、登りはやっぱり熱い。何だか、自転車で坂を登っている時に「幸せ」を実感するようになってきちゃった。

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えびの市街を見下ろす
 ダイナミックな人吉ループ橋、そして長い加久藤トンネルを越えて、宮崎県入りのガッツポーズ。展望もよい。上の方は雲で隠れてはいるけど、霧島山が大きく裾野を広げている姿。眼下にはこれから訪れる、田園に囲まれたえびの市街。気分が盛り上がる。
 JR吉都線えびの駅は、意外にも人影の少ない無人駅であった。よっしゃ、今日はここまでにしてしまえ。ホームにある待合室が駅寝をするのにいい感じ。時間が余ったので、居心地を良くするべく、置いてあったホウキとチリトリで掃除にかかる。駅の掃除なんて生まれて初めてだ。決して善意からだけではないが、気持ちがスッキリした。
 自転車の整備や夕食を終え、待合室で終電が過ぎるのを待ちながらオカリナを吹く。密室なのでよく響いて、音色が美しくなる。周辺はもう真っ暗で、ショパンの夜想曲がよく似合う。
 しばらくすると男の人がやって来た。名前はM窪さん。かつて徒歩で日本一周をしたこともある筋金入りの旅人で、今は社会人だが、こうやって他の旅人を拾うためによく駅まで巡回に来るらしい。見事に網に引っ掛かった私は、誘われるままに彼の家へついて行った。
 家には某宗教の教会があるので少々ビビったが、勧誘の気は全く無いとのことなので安心した。食事を頂いて、風呂も借りられた。いつか旅人のための安宿を経営するのが夢らしく、すでにそのための部屋が完成していた。まだ試営業ということなので宿泊はタダと言う。酒を交わしながら、夜遅くまで話し込む。

 それにしても、旅先、意外なことがあるものだ。

3月21日(土)The end of KYUSHU

 M窪さんに別れの挨拶をして、予定より遅く、霧島への登りに出撃。やはり、登っている時の幸せ感は気のせいではない。霧島バードラインは1000mもアップがあるのに、一回しか休まない爆走ぶり。どんどんえびの市街が眼下へ小さくなってゆき、広葉樹林が南国ムードを盛り上げる中、あっというまにえびの高原まで走り切ってしまった。霧島山最高峰の韓国岳(からくにだけ)も間近に望める。
 寄り道して、露天風呂にも入っておく。なかなか野趣満点である。疲れは取れたかな?
 風呂から上がるころ、天候は悪化。霧島と言うだけあって深い霧と雨の中、先を急ぐ。鹿児島県入りの瞬間はもちガッツポーズ。ここから雨の下り坂に入る。
 湯煙が路肩にも立ち上る霧島温泉郷を走り抜ける。さらに続く、あまりに長い下りをハイスピード。登った分の標高差はダテじゃない。高原の雨風をまともに受け、体温の極端な低下が気になった。ペダルは漕げるなら漕ぐ。そうしないと寒いし、時間も…。
 隼人町のスーパーになだれ込むころにはふらふら。パンを補給するが、長々とは休めない。再出撃。待望の錦江湾を左に眺めつつ、一番重いギア比でガシガシ進む。追い風にも助けられているが、ランドナーらしからぬ、奇跡のハイペースである。足が壊れてしまいそうなほど。しかし今日は本当によくペダルが回るのだ。国道10号の渋滞もなんのその、原チャリどもさえも抜き去り、鹿児島市街に到着した。
 船の出港時刻が迫っているが、なんとかこの街でコインランドリーと鹿児島温泉入浴をしておきたかった。それを済ましてフェリー乗り場へ。時間ギリギリの乗船手続きだったので嫌な顔をされたが、ともかく無事、奄美・沖縄方面への便に乗り込んだ。空はいつの間にか晴れている。いやはや、すごい一日だった…。

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鹿児島港を出港

 宗谷や知床からつくば・東京を経て鹿児島までの細い細い一本のタイヤ痕、というか線。フェリーは出航して、その線を海に、点線で落とす。後方を振り返った右手には桜島が当り前のようにそびえ、左手には鹿児島市街が海の向こうへ小さくなりながら、夕景、そして夜景へと変化してゆく。
 自分のたどった線は、ここまで来ると、いよいよ地球の丸みも実感できてくる。平面の地図にペンで線を引いているのではない。球面の地球に自転車で線を引いているのだ。

 やがて外は真っ暗に。湾をでる頃なのか、船の揺れが大きくなってきた。ああ、あそこに見えるのは佐多岬の灯りか。…夜の航海には、海のロマンを感じる。琉球王国へ行くんだ、この船に乗って。


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