むらよし旅日記・其の二十:近畿・中国地方マイペースラン

『4th Stage:個人ラン(後)』気ままにふわふわ淡路島

3月17日〜3月23日

3月17日(火)幸せのひこうき雲

 全体合宿は終り、みんな次々と宿を去って行く。やがて私ひとりが残った。頭の中は真っ白。いいかげん自分の将来について本気で考えなくてはいけない時期だが、考える材料がないのだ。
 風に吹かれて流されるように、自分も宿を出て、ゆっくり自転車を転がす。10kmちょっと走ると、田辺市。今日はここまでにしよう。限界にきているヒザをいたわらなくてはならないし。
 街の本屋で安達哲の新刊漫画を見つけたので、浜の公園で読み耽る。読み終ると、やっぱりヒマ。ボーーーッと海を眺める。空も眺める。幸せのひこうき雲は見えない。時間が経てば、腹が減る。これが永遠の真理だ。
 やがて夕方、ヒトケの少なくなった公園に設営した。テント生活の再開。

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3月18日(水)みかん星人

 こんな紀伊半島の僻地にいてもしょうがないので、脱出に向け海岸沿いを北進する。空は相変わらずの快晴だが、今日は逆風が強い。道のアップダウンも多いので、無理のないペースでゆっくりと。
 御坊市では、日本一距離の短い鉄道『紀州鉄道』を見ることが出来た。有田市が近くなると、左右の丘一面にみかん畑が。これは一見の価値がある。無人販売のみかんは安くて魅力だったが、重そうなのでパス。
 和歌山市まで走って、海辺の片男波(かたおなみ)公園でテント。キャンプ禁止らしいが、知ったことか。

3月19日(木)淡路に流れ来て

 和歌山城を横目に、少し南海本線と一緒に走ると大阪府岬町。ここの深日港から、魅惑の淡路島へ渡ってみることにした。高速船の便。本来自転車は乗せられないらしいが、「1台なら、まあいいか」と言って乗せてくれた。そして出航。今日も風が強く、波が高いのでジェットコースターのようなスリルを味わうことが出来た。
 兵庫県淡路の中心都市、洲本市には午前10時過ぎに到着。フェリーターミナルにインターネットコーナーがあったので、自分のWebページにアクセスするなど、思わず遊んでしまう。
 ああ、もういいや。眠いし疲れてるので今日はここまでっ。海水浴場にある建物の軒下でテントを設営し、洲本の街をぽたぽたポタリング。はぁ、悠々自適かな……。

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3月20日(金)命ある限り、愛は続く

 ようやく雨が降ってきた。小康のスキを突いてターミナルビルへ今日も。据え置きの新聞を読みあさるなどでゆっくり。ゆっくりしすぎ。
 雨が止んだので、南回りに走り始める。やがて道は狭く、急激な登り坂に。さらに向かい風が猛烈で、思わず自転車を降りてしまった。するとそこには『立川水仙郷』のゲートがあるではないか。おばちゃんに誘われるがままに中に入り、500円で妙なチケットと饅頭、金玉飴、猿の餌、謎の円盤をもらい、ワゴン車に乗せられて谷の水仙郷まで降りて行く。途中、UFO神社で降ろされ、厄除けになるからと言われてさっきの円盤を投げてみた。??。
 ワゴン車はさらに下へ、そして水仙郷に降り立った。水仙のピークは過ぎているが、まだ少し咲いている。一回りすると、私は小さな怪しい建物の前に立っていた。『淡路島ナゾのパラダイス・おしべとめしべのことをまなぶところ。。』……。これがテレビで話題の秘宝館か! 吸い込まれるように中に入り、みっちりむっちり勉強して、おもてに出るころには2時間以上が経過していた。ここで深呼吸。
 あとは子猿に餌をやったり、健康茶と菓子を頂いたり、ちっとも盛り上がらないエアーガンをやってみたり。お土産コーナーではおばちゃんに押されて四十八手ハンカチを購入。軽トラでゲートまで送られ、再び走り出す頃にはすっかり洗脳されていた。「ア〜ワジッシマ〜」の歌が耳から離れない。
 左手に紀伊水道を望む海岸道は、強風で波しぶきが道路まで襲ってきていた。時々それを浴びてしまう。通行止めギリギリなのだろう。
 南淡町福良に着くと、急にドシャ降りになった。雨をしのげそうな設営地として、神社の門の下へ。今夜はどんな夢をみてしまうだろう?

3月21日(土)まわせうず潮

 勝手な設営に対しケチが付かないよう、早朝逃げるように出撃し、南淡温泉へ。久々にお風呂入った…。蓄積したままの疲れをとるべく、ゆっくり丹念に入浴。風呂から出て、無料電動アンマ椅子を使ってみる。「ア〜…」無上の快楽。ロビーでは新聞読んでまたゆっくり。

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大鳴門橋とうず潮
 昨日の波しぶきにやられてガビガビになったチェーンに油を差して、鳴門岬へ。かの有名な大鳴門橋、うず潮、向こうには四国が見える。うず潮は筑波大の某学類生がコンパでやっているのはよく見かけるが、本物を見るのは初めてだ。丁度満潮で、ものすごい海流の速さも目のあたりに。つり橋共々、満足の行く光景だった。
 西淡町で慶野松原を見るだけ見て、東の洲本へ走り戻る。途中の緑パーキングエリアでは、淡路牛乳を無料で試飲できた。ラッキー。風は追い風で、こんな時私は「ハオ!」と口ずさむ。多分中国語から来ているのだろう。
 キャンプは、一昨日と全く同じ場所で行った。気楽である。

3月22日(日)略してギタマン!

 「おう青年、これからどこ行くんだ?」「とりあえず津名まで。」「そうか。あそこには竹下登の一億円で買った金塊があるぞ。」…というわけで、やってきました津名町。オノコロ遊園地のリニューアルオープン日だそうだが私には関係無い。静御前の墓がある静の里公園に、かの金塊はあった。公開は午前10時からとのことで、それまで隣の図書館で時間をつぶす。本を読みふけっているうちに昼になってしまった。で、金塊にさわりにゆく。果たしてこれが“ふるさと創生”に役立っているのだろうか。

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津名町カリヨン広場
 大震災からの復旧工事が続いている住宅街を抜け、海辺の方へ行くと『カリヨン広場』という街並ができていた。建物や道すべてが西欧風のすばらしいショッピングタウンで、気分も上々。いまいち人通りが少ないのが気になるが。
 そして近くのコンサートホールへ。“津名高校ギター・マンドリン部定期演奏会”があるのだ。仮にも先月まで筑波大学ギタマンの正指揮者を務めた私、見逃せる訳がない。いいタイミングでこの町に来たものだ。演奏は、地域のレベルの高さを思い知る程素晴しかった。
 こうして気の向くまま、この島をふわふわしていると、何だか自分がユーレイにでもなって、誰にも見られないのをいいことに好き勝手遊んでいるような気分になる。でも足は生えているのだし、いつか社会復帰しなくちゃいけないんだけど……。世捨人になるにはまだ若い。早すぎる。
 そんなことを考えながら、追い風さっそうと淡路の北端、淡路町へ。あっ、明石海峡大橋だ!! 遠くからも「すごい」と思える建造物は滅多にないものだ。さすが世界一の橋である。キャンプはその近くの小公園で。海峡の向こうには明石の夜景がキラキラ輝いているが、開通前の大橋はまだライトアップされておらず、黒くて不気味だった。
 明日は、そろそろ淡路を出よう。

3月23日(月)さよなら淡路島

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明石海峡大橋
 この季節、朝はさすがにまだ寒い。いつものように納豆を食べて、テントをたたみ、明石海峡大橋の写真を撮ってから出撃。すぐに播淡フェリーに乗る。さよなら淡路島、とてもいい所だったよ。フェリーは汽笛を上げて大橋をくぐり、本州側の明石市へ接岸した。


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