むらよし旅日記・其の二十二:北へ。TSUKUBA to SOYA

『四の巻:個人ラン(後)』北への逃避行〜そして出会いへ

8月9日〜8月12日

8月9日(日)お尋ね者、北への逃避行

 昨夜のアルコールが抜けない。部屋には死屍累々とした連中が、しかしごぞごぞと起き出して、いずこかへ消えて行く。サイクリング部全体合宿は終った。私も消えなければならない・・・。
 だめだ。急に独りになんてなれない。長い合宿の間に、すっかり自主性を失ってしまったのか。とりあえず後輩I島と場外中央卸売市場へ行き、実家に松前漬けなどお土産を送った。
 午後まで後輩達とうだうだしていたが、どうにも解決策がなく、仕方無く別れた。走らなければ生きてはいけない。北都札幌を出発して、隣の町まででも、走る。ペダルを漕ぐ足は、いかにも弱々しい状態だ。

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 隣の石狩市。そこの石狩浜で、設営地を探すべくチャリをポールに立てかけた。そしたらとある自動車が発車の際、ポールの鎖を引っかけて、ポールを倒してしまった。「ガッシャーン!!」被害に遭ったのは別の自動車のフロントガラスであった。ところが犯人の車は逃走。ここで、ハタ目には私がやってしまったように見える状態になってしまった。やばい! オレじゃね〜よ〜!! こうなったら私も逃げるしかない。目撃者を振り切るようにして、北へ北へ逃げる。
 逃げ足は速い私のこと。足には見事に力強さが蘇り、あっという間に石狩平野を後にする“お尋ね者”。どうやらパトカーは追ってきていない。こんな意外な形で、北への旅の精神的な再スタートを切ることができた。これも運命か。
 キャンプは厚田村の砂浜のキャンプ場にて。テント生活の再開だ。日本海の水平線に沈む、美しい夕日を眺めることが出来た。

8月10日(月)さいはての駅にて

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“西の知床”雄冬海岸
 今日もとてもいい天気。北への逃避行はまだまだ続く。途中、濃昼という地名があった。「ごきびる」と読む。なんか、すごい。
 雄冬海岸、西の知床と言われるだけある。断崖絶壁がず〜っと続く。よくこんな所に道を通したものだ。トンネルやアップダウンは当然多いが。右手にはガケの主、暑寒別岳が大自然の山容を誇っている。
 多くのライダー、チャリダーと手を振り合っているうち、旅をする意欲がまともに回復してきたような気がする。元気にチャリを漕ぎ漕ぎ、しかし逆風には悩まされ、ヒザ、コシ、マタにも痛みがきている。
 増毛(ましけ)駅について、ホッと休憩。ここは留萌本線の終着駅だ。昔はたいそう栄えたのだろうが、現在は駅員は一人もおらず、寂しい駅舎とプラットホームが、山側に立つ小さな灯台と合わせて、さいはての旅情を醸し出している。
 ちゃんと100kmは走って、留萌市の黄金岬キャンプ場へ。ここまで北へ来ると、夕暮れ時には寒さすら感じる。ここは夕陽の名所とのことで、多くの旅人が集まってきていたが、昨日ほどの完璧な夕日は拝めなかった。

8月11日(火)「ここまで来れば北海道」

 後々聞いた話によると、夜のキャンプ場前は“走り屋”がとてもうるさかったとか。しかし私はちっとも気が付かなかった。多分、得な性格なのだろう。
 針路を内陸側に取ることも考えたが、やっぱりこのまま日本海沿いを北上することにした。もうパトカーは追ってこまい。天気はいま一つである。
 ニシン番屋跡がある道の駅小平(おびら)では、2人のチャリダーに会った。昨日のキャンプ場でも会った男女だ。彼等も昨日一緒になったと言う。W月さんとN谷さん。とてもフレンドリーで、この先ご一緒させてもらうことにした。速いペースで引いてもらう。まさかこんなところで集団走行するだなんて思ってもみなかった。
 かつてはこの“天売国道”沿いに国鉄羽幌線が走っていた。時々見える廃線跡が当時を偲ばせる。列車の車窓からも、海の向こうに焼尻・天売島がうっすらと見えていたのだろう。もうここには永遠に鉄道が復活することはない。
 そんな旧羽幌線の中心地・羽幌町で、パンを買い昼食。ゆっくりダベる。ここでN谷さんは是非温泉に入っていくということで、彼女を残し、私とW月さんで先に北へ進む。海岸沿いとはいえ意外にアップダウンがある。「ここまで来れば北海道」という看板が立っていて、確かに広々とした丘々の眺めである。
 今日も約120kmと、よく走った(つもり)。天塩町にある鏡沼キャンプ場まで。大きな沼と、沼岸の緑の芝がすっごくいい感じなのだ。ここでまたA本君というチャリダーに出会い、3人でカルビ焼肉をやった。さらにここに父娘で来ている上流家庭チャリダーがいて、夕張メロン等を食べさせてもらった。こうしていろんな人に気軽にコンタクトが取れるのが、北海道ソロ・ツーリングのいいところだ。

8月12日(水)今日にも宗谷岬到達か?

 しかし自分は自分の都合で旅を進めたいので、また一人でキャンプ場を出発した。海の向こうにはうっすらと利尻山。左手の海と、右手のサロベツ原野で、地球が丸く見えるような気がする。
 季節外れのサロベツ原生花園に寄り道をした戻りの道で、W月さんとA本君にすれ違った。あれ、キャンプ場で見かけた女の子(M井さん)まで取り込んでいる。またどっかで彼等に会うだろうか。
 広野の道は長すぎて眠くなる。ぼちぼち疲れもたまっているので、かなりゆっくり走る。今日にも宗谷岬に到達するつもりだったけど、やめておこう。それにしても、明日以降の予定が全然決められない。こんなんでいいのだろうか。
 「最北の温泉」という触れ込みに引かれ、稚内温泉に入る。ここも長万部と同じくナトリウム塩化泉の高張性だ。風呂から上がっても、なかなか体が冷えないのはいいことだ。
 ここまで北にくると、その厳しい気候のためか、丘には木が育たず、ひたすら緑の草原が続くような景観。これがけっこう奇麗なのだ。
 野寒布岬へ寄ってみると、ま〜たいやがった、W月・A本・M井の3人組である。私が温泉に入っている間に先回りしたようで、「何でオレらより遅く来るんだよ〜」と。結局、今日もこの先、行動を共にすることになった。

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稚内ドームの仲間たち
 稚内市の港には、昔建てられた防波堤ドームが保存されて残っている。通称“稚内ドーム”、この下が、絶好のキャンプスペースなのだ。どうやら市の方もそれを黙認しているようで、夏は大勢のキャンパーの集合地になる。むろん無料なので、何十泊もする人も少なくない。我々もここにテントを設営する。
 みんなが銭湯などに行っている間、駅好きの私は“最北端の駅”JR稚内駅へ寄ってみた。すると、昨日別れたN谷さんがいるではないか。昨日今日で宗谷岬まで泣きながら爆走した帰りだと言う。稚内ドームへご案内。
 夜のドーム下で5人、紅茶で宴会。北の果てで自分が宴会をしているだなんて、夢にも思わなかった。私が「うまいから!」と力説していた筑波大サイクリング部流フルーチェパンも取り入れられ、まずまずの評判を得た。
 住所交換もしてから、各々のテントへ。ドームには自動車の音が反響して、少々うるさ過ぎるのだが、かまわず眠る。


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