むらよし旅日記・其の二十四:ラストツアー〜全都道府県制覇に向けて〜

 三章 四万十&道後旅情[サイクリング部全体合宿]

3月13日〜3月17日 

background: 3/16撮影『内子への土手道』

3月13日(金)(続き)HALu in SIKOKU

 サイクリング部内の各班が揃って、一緒に合宿をしてゆくのが全体合宿。近年は部員減少もあり参加できる人数が少なくなったが、何とか10名ほどが集まった。風呂待ちの順番を争奪する必要はないが…。
 民宿『さざ波』は浦ノ内湾の岸に立っている。牡蠣などの魚介類が豊富で、食べきれないぐらいな夕食。今夜からはしばらく、キャンプではなくヤド泊まりなので、かなり清潔で楽。

3月14日(土)四万十川慕情

 朝も楽である。キャンプに比べて至れり尽せりなのだ。朝食後、2つの班に分かれて全体合宿のランは開始した。しかし私は右ヒザ痛が悪化して、自転車を漕ぐエンジンが左足だけになっている。昨日までの激走とはうって変わって、上り坂ではみんなに追い付かないほどになってしまった。やばい。
 雨の中、国道56号『中村街道』を南へ進む。みんなはスポーツ用品店で買った立派なレインコートを着ているが、私は相変わらずコンビニのビニールガッパである。よく破けるが、安さはバツグンなのだ。
 焼坂峠はトンネルを避け、旧道を選択。そしたら思ったよりハードなダートだった。しかもけっこう長い。一部危険な箇所は自転車を押して歩く。大変だが、ツーリングに変化が与えられた峠だと思おう。

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七子峠(BGM: My Heart Will Go On
 国道に戻ると、また長い登り。足のコンディションは悪いままだが、ここは踏ん張り所。なんとかついていき、七子峠に辿り着いた。V字谷の向こうに海も臨む眺望が意外に素晴らしい。ここにまるで船首のような展望台がある。老朽化して立入禁止のようだが、かまうものか。H瀬とG藤(M)に映画『タイタニック』のポーズをさせて写真を撮る。
 峠を越えて、ドライブインの軒下で昼食。今日はG藤(S)の誕生日なので、他のメンツで口裏を合わせて、食後にケーキを出した。ホワイトデー用のケーキしか売っていなかったのがナンだが、ともかく本人は喜んでくれたようだ。
 雨といえど、日本最後の清流と言われる四万十川沿いをサイクリングするのは爽快な気分。点在する四万十名物の沈下橋は、欄干がないのが特徴だ。砂防ダムなど見当たらない雄大な眺め。単行のローカル線が走っているのもよい。
 川沿いはずっとゆるーい下りなので、ハイペース快走。距離は長かったけど無事、十和村の『泉旅館』に到着した。人数にしては部屋数が妙に多く、私は一部屋六畳を占領させてもらった。浴衣もうれしい。夕食にはもちろん四万十産の鮎、そして土佐かつおも味わうことができた。

3月15日(日)戦国気分でア〜レ〜

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沈下橋を渡る
 天候、どしゃ降り。川はさほど増水していなかったので、沈下橋を渡るぞ計画は実行できた。
 全体合宿では毎日、担当者によってランダムに班が組まれるはずなのだが、今日どういう訳か男性だけの班ができた。どうやら、とある有名な秘宝館に行きたい担当者I島の策略らしい。3人の女性はみな一つの班に集まった。私は幸か不幸かその女性班に所属することになったのだった。
 四万十川と別れ愛媛県、道の駅松野ではボタ餅が安かったので買っておく。雨はほぼ止み、宇和島市に到着した。鯛めしが名物だと言うので、駅近くの料理店で頂く。味はよくわからないが、ともかくめでタイ。食い足りない分は、さっき買ったボタ餅で補給。
 宇和島城で、我々女性班は天守閣の最上階へ。よい眺めじゃ。「大将!」と呼ばれるT村嬢は「どうしてお姫様って呼んでくれないの?」とか言いながら相当喜こんでいる。くつろいでいると、やがて男性班までそこに登ってきた。「敵襲!!」「敵襲!!」、勇敢に戦う我々、しかし天守閣は男性班に占領されてしまった。彼らの、勝利の鬨(とき)の声「エイ、エイ、オー!」を聞きながら、大将以下空しく落ち延びる我々。…他に観光客がいなかったから、やりたい放題である。
 “秘宝館”多賀神社に行きたがるT村をなだめて、ユースホステル(YH)に直行する。宇和島YHは激坂、いわゆるユース坂の上にあった。YHにはプレイルームがあり、旅の疲れを癒す間もなく、卓球やビリヤードに興じる我々。私は早々に疲れて、ひとりボーッとする。そのうちみんなはプレイルームから去っていった。ラジオからは森高千里の『渡良瀬橋』が流れ、思わず涙が浮かんできた。
 風呂から上がって、ヒトケのない談話室に寄ってみると、お! クラシックギターあったんじゃん!! おっしゃー。さっそく弾きまくる。こう何日もブランクが空いてしまうと演奏はずいぶんタドタドしくなってしまうが、曲のポジションをまだ指が覚えていてくれているのが嬉しい。やっぱ自転車に乗ってばかりじゃなくて、クラギも時々弾かないと、精神バランスさえ崩れてしまう。
 夕食はフランス風料理。なかなか豪華気分でいいが、食後はまた急いでギターのもとへ。だいぶ弾いて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
 そこには碁盤も置いてあった。私は囲碁が好きだが、ルールを知る相手がいない。しかし五目並べならできる人もいるのでいざ勝負。T木先輩や同輩K出と実力伯仲、一手一手がしびれる対局で、充実した時を過ごせた。
 インスタントだが、久々にブラックコーヒーをセルフサービスで頂けたのも嬉しかった。

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3月16日(月)陽のあたる土手道

 やーーっと、快晴模様のサイクリングになった。足のコンディションも回復に向かっている。交通量のほとんどないローカルな道を北へ。無人販売の愛媛みかん7個百円は安いので買う。陽のあたる芝生の上でポカポカと休むのが気持ちいい。大小の峠やトンネルを越え、順調に距離を伸ばす。五十崎町の見晴しの良い土手道を走り抜け、夕方には内子に着いた。
 公共の温泉宿『ハイプラザうちこ』は坂の上。男子スプリントが発生したが、もがいてバテた後の粘りで負ける私ではない。差し切らせてもらった。風呂にはサウナもあり、のぼせた。
 夜のミーティングでは、明日のペアランの組み合わせ決めが行われた。今回は“究極の選択”を設問して、同じ選択をした人同士がペアになる方式である。そして最後の選択はなんと「生まれ変わるなら、H瀬か中村(私のこと)どっちがいいか?」であった。なるほどどちらも壊れてる人生だ? H瀬も私も迷うそぶりはしたが、二人とも“自分”を選択した。そして私とペアになったのは…。

3月17日(火)最後の晩餐

 全体合宿最終日。参加者が奇数名なので、ペアランといえど一班だけ3人になる。私はそんな“トリオラン”の一人になってしまった。私のほかはS子とM輝という二人のG藤で構成。なぜかS子さんとは山楽班合宿の時からずっと同じ班である。ユ○ヤ(I島)の陰謀か?
 まずは昨日出来なかった内子観光。ロウ人形のある資料館でゆっくりしたり、古い街並も歩く。とある店では万病に効くと言う酢卵が売っていて、好感を持ちながらも試飲にとどまった。無人販売で今度は伊予柑を買った。道の駅内子ではサクラ味のシャーベットを食べてみた。
 交通量を避け、マイナー国道379号を走る。山肌に菜の花が黄色く群生する、いい雰囲気の道である。快調に、峠のトンネルを越えた。
 ここで、時間通行止に引っ掛かってしまった。道路工事のシーズンで、通行止の時間を一日に何度か設定して、そのスキに工事を進めるらしい。次の解除まで50分ある。かくなる上はその場で紅茶を沸かす。自動車の列からの視線を恥ずかしく思うか、優越感に浸れると思うか。
 通行止が解除され、再びラン開始。ここは砥部町。「砥部ー!砥部砥部ガッチャマーン」…。ここからは国道33号に合流する。交通量が多く、巻込確認をしないで左折してくる自動車どもにハラハラさせられつつも、松山市に到着。ここは去年北海道で出会ったA本君の地元だが、彼から来たeメールによるとこの春も旅立っていて、今は九州か沖縄にいるはずである。

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道後温泉『温泉本館』
 旅館『城山』に自転車を置き、ジャージからGパンに履き替えて少しだけカジュアルに。三人で歩いて大街道(アーケード街)そしてチンチン電車に乗り道後温泉としゃれ込む(?)。チンチン電車は鉄道ファンの私としてはもちろん大感激なのである。
 道後温泉といえば、言わずと知れた“坊っちゃん”の湯。日本三大温泉にも数えられている。あと2つは別府と白浜だろうか?はたまた熱海や伊東や上諏訪や有馬や下呂や草津だろうか?詳しくは知らないが、諸説あるのだろう。『温泉本館』の中は改築直後とあってきれいな内装。宗教的な動きでお湯浴びをしている人がいるのは、ここの風物詩?
 チンチン電車で大街道に戻り、帽子屋でキャップを買う。昨日までかぶっていたキャップは洗濯したとき壊れてしまったのだ。つばのついたキャップは、目に入る雨を防げるのでサイクリングの必需品だと思う。
 かくして、宿へは規定より10分遅刻して午後5時10分帰着。しかしまだ到着してないペアが多かった。だいぶ遅れて、酔っぱらって帰ってくる人も。こんなんでいいのかサイクリング部。
 夜は合宿無事終了おつかれさまコンパ。私は穏やかに飲んでいたが、もうみんなに会えなくなることが内心悲しくてしょうがなかった。こうして合宿で飲むのも最後である…。


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