むらよし旅日記・其の十六:中部北陸、夏盛り

『個人ラン』信州を極める(前編)

8月7日〜8月13日

まだ見ぬ信州へ

 かくして合宿は終ったが、そのまま今度は独り、後ランとして旅は続く。8月18日からは自分の所属するもうひとつのサークル『ギター・マンドリン部』の夏合宿が長野県北部の戸狩で行われるので、自転車で合流することにしてある。それまでの12日間、まさに自由に中部地方を駆け巡ることができるのだ。私はツーリングする場所として北海道よりも信州(長野県)の方が好きだ。そして今回の旅の目標は、信州のまだ行っていない地方を巡り、信州の主な土地を自転車で制覇してしまおうというもの。しかる後に、東日本でただひとつ未制覇の山形県へ向かうつもりだ。さて大コンパの翌朝・・・

8月7日(木)下呂温泉でひと休み

 昨夜荒れてはいたが、飲んだ量は大したことなかったらしく、ゆっくりとした目覚めを迎えた。合宿の仲間達は、つくばへ帰る者、実家へ帰る者、後ランをするもの、それぞれ次々と宿を去ってゆく。寂しくなる。私も発つとしよう。
 後ランはまず下呂まで輪行。たまたま同輩Wが明日まで同一旅程らしいので、それまで行動を共にすることにした。下呂温泉に入り、昨日までのヘビィな疲れを落すべくゆっくりさせてもらう。
 そこから少し走った所の、夏休み中の小学校にテントを張り今日はここまで。明日からまたつらいランになりそうだが、今日これだけ休んだので大丈夫だろう。Wには親子丼の作り方を教えてもらった。

8月8日(金)ロングダートを越えて

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鞍掛峠標高1430m
 Wとの“ペアラン”、まずは900mアップの鞍掛峠。登り勾配がだんだんきつくなってきて、ダート(未舗装路)に入るとさらにきつく、ランドナーではついにホイルスピンを起こすようになった。仕方なく自転車を手で押して、MTBで先を行くWを追う。峠は霧で眺望なかったが、ともかくこれで長野県入りだ。
 ここから先もず〜っとダート、なにせちょー山奥なのだ。特に下り坂は、ドロップハンドルのランドナーでは恐怖。ゆっくり下りるがころぶ。キャリアの荷物も固定が甘く、何度も落とした。相変わらず先を行くWは、子熊を目撃したらしい。御岳山は残念ながら見えないが、三浦貯水池あたりの未開感はよい。林道をふさいでいるゲートは、自転車ならではの強引な突破で抜ける。森林軌道跡のこのダート道、時々あるトンネルの中は水浸しだったりするが、あまりの人気(ひとけ)のなさに「こういう所がいいんだよ」とWも喜んでいた。
 ダートではさんざん足を引っぱったが、やっと舗装路に出て一安心。景色も気持ち良く王滝村中心部に降り立った。私はもう少し先まで走る予定だったが、疲れたのでここでもう一泊、二人でいることにした。その方が食事面も含めて心強い。で、ここの小・中学併設校にテントを設営したのだが、教師が出てきて追い払われてしまった。ケチ!! まあ近くに人気がない神社を発見したので、こちらに移動して事なきを得たが。

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8月9日(土)目をつむれば御岳

 雨が降ったり止んだりの朝。適当なタイミングでWと別れ、出発。ちなみに彼は近くのダートをさらにアタックするらしい。ついに私も完全に独り旅。気がねなくスローペースでまず北へ。そして御岳明神温泉に入り、その露天風呂で晴天を待つ。そうすれば御岳がパァッと姿を現わすはずだ。しかしいくら待てど奇蹟は起こらず、諦めてまた走りだした。針路を南東にとる。地蔵峠からも御岳は見えず残念。また来るか・・・。
 やがて木曽福島町に下り、今夜設営するべき小学校を発見。とりあえず荷物を置いて、10キロ程南の『寝覚の床』へ。まあいわゆる奇岩だな。雨続きのせいか川の流れはさほどきれいでもなかった。そういえば昼食はカロリーメイト1箱だけだったのでハンガーノック気味。ここで信州の味、五平餅を買い食いする。あとは木曽福島に戻ってレトルトカレー食って寝た。夜の学校にひとりってのは実は怖いな。

8月10日(日)中央アルプスをこえて・血のふるさと

 それはまだ朝の4時前だった。いきなり小学校にパトカーがやってきて、マッポが私をゆり起こした。「不良がここで大騒ぎをしているとの通報を受けたが(君は被害を受けなかったか?)」・・・そんな記憶ねえよ。結局なぜか私が職務質問を受ける羽目に。こういう時、筑波大学の学生証は大変役に立つ。それだけである程度の信用を得られるからだ(多分)。マッポは帰り、もうひと眠り。すると今度はテントの外で変な音楽が鳴り出した。「現われたな不良どもめ!」と思って外を見たら、実はババアどもの変なラジオ体操だった。今後小学校には泊らないほうがいいかも知れないな。

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ランドナーの似合う奈良井宿
 木曽福島の関所を見て、今日も雨が降ったり止んだりする気候の下、なるべく旧中山道を選んで北上。途中、この旅の起点だった薮原駅も通過。少し感慨。新鳥居トンネルを抜けると奈良井宿。へえ、こんな所に古い街並が。中に上がれる『中村邸』を見学すると、ひょっとしたら私と同族かもしれないような顔立ちのおばさんが、いろいろ説明してくれた。落ち着いた雰囲気の民家で、他の人がいないスキに畳部屋にあぐらをかいてみた。
 すっかり時を過ごしたあと、今度は南東へ。自然の中の細い国道を登ってゆくと、そこは権兵衛峠。中央アルプスを越える古い峠だ。はじめ伊那谷が見下ろせたが、やがて天候悪化。しばらく休んでから下りる。
 さあいよいよ中村家のふるさと、伊那である。農村部のひとつの集落に、祖父の弟にあたるコウヘイじいさんの家を何とか発見し、家に入れてもらう。どうやら連絡がうまく行っていなかったらしく突然押しかけた形になってしまったが、じいさんは快く泊めてくれて食事も世話してくれた。

8月11日(月)悩みのない日

 朝、見せてもらったのは川中島合戦における武田信玄からの感謝状(の写し)。どうやら先祖は武田信玄に仕えていたらしい。さてコウヘイじいさんからは米なども頂き、感謝して伊那を出発させてもらった。
 まっすぐ北に向かうと伊那谷と松本平の分水嶺、善知鳥(うとう)峠。次は東に向かい塩尻峠。ここから諏訪湖の眺めがよい。天気は良くなってきて、それに反比例するように食欲はなくなる。暑さは大敵、何だかたるいので今日は諏訪市まで。
 もちろんここは上諏訪温泉、今回はデパート5階にある風呂へ入る。展望はないが、他に客がいなかったので贅沢な気分を味わった。テントは去年のGWに泊り損ねた高島城跡公園に設営。
 今日は一日全く雨に悩まされなかった。今回の旅では初めてであろう。

8月12日(火)麦草を麦草(ばくそう)いや爆走

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夏空の麦草峠
 まず茅野駅に寄る。ここは私がサイクリング部に入って最初の合宿の出発地だったので、思い出深い。ここからは東へひたすら登り坂。日陰の少ない炎天下は、休み休み登ってもつらい。この道はメルヘン街道というらしいが、どこがメルヘンやねん。3時間ぐらいかけてようやく1400mアップ、麦草峠を登り極めた。標高2150mは国道の峠としては日本2位である。ちなみに一位は3ヵ月前に登った渋峠。
 小海側に下りてからは、千曲川や小海線と並走する佐久甲州街道を北へ向かう。前方にそびえる浅間山が見事だ。佐久市で夕食の買い出しをし、距離的にはここまでにしたかったが、どうしても温泉に入りたいので先を行く。足はもうガダガダだ。ところがあてにしていた温泉は定休日。仕方なくさらに先に向かい、やっと布引温泉にありつく。いい湯だが、とても今日の疲れは癒えそうにない。キャンプは北御牧村の小学校を借りる。すっかり食欲もなく、暑苦しくてなかなか寝付けない。明日はいったいどうしよう・・・。

8月13日(水)計画変更

 もともと今日は温泉巡りでもしようかと考えていた。とりあえず海野宿(うんのじゅく)という古い街並でかき氷を食べる。ああかき氷がこんなにうまいものだったなんて。そうして休んでいるうちに気が変わり、青春18きっぷで輪行をすることにした。こうした大幅な計画変更も個人ランならでは。
 上田市の大屋駅から輪行先は上松駅。4日前に寄った『寝覚の床』のある所だ。明日はそこから南に向かえばよかろう。設営はまた小学校で。


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