八木誠一 * 公式サイトに寄せて:手紙

プロフィールに代えて***

~八木誠一から 企画者 津吹純平(Web管理人の兄)への手紙

津吹純平様

                         八木誠一

2004.09.04

先日はお電話有り難うございました。ご好意のほど深く感謝申し上げます。この前のお電話で、私は自説の主張について遠慮し過ぎているというお言葉でしたが、実際そうなのかも知れません。そうだとしたら、それは私の仕事が完結していなかったからで、しかし最近それなりに完結の見通しが立つようになりました。来年もう一冊本を出したいと思っていますが、それで研究の方は一応おしまいになるでしょう。

私の研究は「新約思想」と「仏教との対話」と「宗教哲学」にわたっていますが、新約研究の中心は新約思想の成立の説明です。 イエスの死後、弟子達がイエスをあのように生かした働き、つまりイエスが「神の支配」、またそれを人格化して「人の子」と呼んだものに目覚め、それが自分たちのなかで働いていることを自覚して、それを「イエスは復活して、その力が自分たちのなかで働いている」と解釈した(マルコ 6:14,16に先例あり)、それが「イエスの復活」として宣教された、というものです。こう考えると新約思想の全体が矛盾も困難もなく説明できます。

さらに弟子達(孫弟子)たちはそこから、

〈1〉「イエスの死は贖罪死だったとして、人類の堕罪と救済の歴史を語る神学」と、

〈2〉「神がイエスを地上に派遣して救いを告知させ、またイエスが死んで神のもとに上ったことにより、イエスは救済の働きとして、信徒に内在するようになった、という救済神学」とを発展させたと考えられます。

パウロ神学は〈1〉と〈2〉の複合体、ヨハネ神学は〈2〉の展開ということです。 私の新約思想研究は以上が中心で、あとはイエスの思想もパウロとヨハネの神学も、ここから説明したわけです。『新約思想の構造』(2002,岩波書店)がまとめです。

仏教との対話については、十冊近い対話集がありますが、その中心はこうです。新約聖書は「キリストが私のなかに活きている」といいますが、これは上記の「経験と解釈」で、この経験は、仏教でいう「悟り」と本質的に一致するものであり、特に「うちなるキリストに生かされる自我」と鈴木大拙秋月龍珉のいう「超個の個」(無位の真人)は結局は同じことで、全人類的普遍性をもつあり方だ、という認識です。これは秋月さんとの対話 『ダンマがあらわになるとき』(1990,青土社)という本の中心命題です。

私の宗教哲学の中心点。 上記の「仏教とキリスト教の一致点」は、「場所論」と私が呼ぶ宗教哲学的認識で統一的に語られる、ということです。 場所論は記号化すると実に便利です。場所論には統合論もフロント構造論も含まれます。いまは「場所論」をまとめているところです。*東西宗教交流学会での研究発表(パソコンでアクセス可能)と講演集の形でほぼでき上がっています(まだ未完の部分があります)。 この問題については「言語」と「直接経験」に関する評論が不可欠ですが、それは駒沢大の曹洞宗宗学研究所西田学会での講演で話しました(ちかく印刷される予定**)。

**…『場所論としての宗教哲学』(2006,法蔵館)

こういうことで、私なりの研究がまとまりつつあるわけですが、これでやっと自分の学説を「教師」して語る資格が出来たと思います。だからこれからは「遠慮」しすぎずに語ろうと思いますので、せっかくの有り難いお申し出に応じさせていただきたいと考えています。おわかりの通り、文字通りの意味での「イエスの復活」を否定する私の説は、キリスト教の本質がもつ人類的普遍性を明らかにするものではあっても、伝統的キリスト教にとってはまことに迷惑なものですから、私は自分の学説を語る場所を与えられずにきました(未完成だったからか当然だともいえますが)。しかしできるなら、もう残り少なくなった期間、積極的に語りたいと思うようになりました。それについてはITが有力なてだてになるでしょう。私は慣れていませんから、何卒よろしくお願い申し上げます。

実はまだ大問題が残っています。それはどうしたら上記の経験に到達できるか、ということで、キリスト教は「信仰」、仏教は「坐禅」(禅宗)と「信心」(浄土教)を方法としてきました。私は自我、言語、直接経験をめぐる自省が有益ではないかと考えて、担当している桐蔭横浜大学の生涯教育、「現代と宗教」のクラスではもっぱらその方向で話をしていますが、ここでは教会でも修道院でもないカルチャーセンターだという制約があり、一般教養として行っています。何とか展開は可能でしょうか。

PS. なおこの手紙は、もしよろしかったら、私から大兄への書簡として、お作りの私のためのホームページに入れて下さって結構です。私の仕事をまとめて簡単に紹介したものになるでしょうから。略歴を同封します。

末筆ながら麗子さんによろしく。

                        敬具