基本思想─われらいま何をなすべきか

【その4:われらいま何をなすべきか】

われらいま何をなすべきか

人間(身体-人格)はこの地球上に住んで、働いて必要なものを作り、それを互いに分かち合う共同体的存在、一言でいえばコミュニカント(コミュニケートする者)である。要するにあらゆるレベルでコミュニケートする身体だ。実際、幸福とは妨げられぬコミュニケ-ションの場にあるではないか。健康も、内外のコミュニケーションがうまくいっているからだのことだ。

このような人間存在に超越的根拠があることを自覚し、人間性を肯定し、個の死を受容しつつ人類の存続(ここに家族の役割がある)を意志し、人類的共同体の形成を願うのが宗教心である。我々の問題は、いかにして我々がこのような「本心」に立ち帰るか、その道を、宗教の伝統に学びつつ、改めて明らかにすることだ。

自由な与え合いが社会生活のなかで交換として制度化され、さらに貨幣経済が成立するとき、所有権、契約、違反への罰など(つまり法律)が社会的現実となる。貨幣そのものが価値とみなされ、富が求められる。以上は歴史の示すところだ。

これは単なる自我達の社会的現実(秩序)の世界だが、この世界は人間が自我で有る限り、むろん否定されうるものではない。しかし、このような社会的現実(言語化された世界、仮想現実としての人為的秩序)の根本に統合化(根源的コミュニケ-ションの世界)の働きを認めなければ、人間は肉体からすら浮き上がり、影のように実在性を欠いた単なる自我となって、欲と計算に明け暮れ、世界を収奪・破壊し、膨大な富をかかえたまま枯渇するだろう――人類はこの地球上でせっかくここまで宇宙的にみても極めて稀に違いない歩みを進めてきたというのに。